◎インタビュアーの目
シドニー五輪の最終予選の時、チームのエースでありキャプテンでもあった成田は、まだ24歳だった。当時のメンバーでは唯一の五輪経験者だったせいか、背負い背負わされたものも多く、見ていて痛々しかった。アスリートへの同情は最大の侮辱と思い、口には出さなかったものの、疲労骨折を痛み止めで隠しながらプレイし、メンバーを代表して葛和監督に怒鳴り上げられ、必死に涙を堪えるシーンを何度も目撃した時は、オーバーワークにならなければいいがと心配したものだった。切符を取り逃し、しばらくして会った時に成田は言った。「キャプテンだったけど、私は年齢的には真中ぐらいだったので、上にも下にも気を遣い、五輪で学んだことなんて伝えることもできなかった。それが敗因になったのかな」と寂しそうに語っていたのを昨日のように思い出す。しかし、いったんバレー界から去ったものの、また五輪の経験を伝えるチャンスを手にした。今回は吉原という戦友もいる。「もう遠慮しません」と成田は笑う。結婚して手にした奥の深い笑顔は、チームの厚味にもなっている。
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