ジャンクSPORTS
番組日記

ホームページをご覧のみなさん、はじめまして。
ジャンクSPORTSディレクターの木下と申します。
「はじめまして」と言った直後で言う言葉ではないんですが、3月いっぱいでジャンクSPORTSを離れることになりました。
そこでみなさんにご挨拶をと思い、この日記を書かせて頂くことになりました。

私がジャンクに参加したのが、6年前。
はじめての収録の時のインパクトは今でも忘れることができません。
ここ何年かは、ずっとトークーコーナーを担当していたんですが、番組に参加したばかりの頃は、ファンタスティック班だったんです。

初めての収録の時、その日のファンタスティックの企画は「全力ボーリング」という、アスリートが全力でボーリングをしてピンを割るという内容のものでした。

もちろん、オンエアされるものだと思っていたのですが、「果たしてあれがオンエアに耐えうるのか?」という疑問の声がスタッフの中からあがり、結局、そのVTRはお蔵入りになったんです。

内容がしっかりしていなければ、汗かいて作ったVTRでも、「収録後にボツになることがあるんだ」と身をもって知った瞬間です。
正直、「怖い番組だなぁ」というのが最初の印象でした。

思い返してみると、ジャンクでは本当に色々な経験をさせてもらいました。

日本の金メダルラッシュとなったアテネオリンピックでは、「浜田さんの等身大パネルにメダルをかけてもらい、コメントをもらう」という企画をやることになったんです。
ただ、選手の持ち時間はたったの10分。
なのに、フジテレビの番組の中でもスーパーニュース、とくダネなど、他の番組の取材もあって、時間がほとんどない状態。
だから浜田さんの等身大パネルを出しても、選手にコメントをもらえるかどうかはわからなかったんです。
でも「もらえませんでした…」と報告するわけにはいかない。
選手たちを"浜田さんの等身大パネル"に注目させるのが本当に大変でしたね。

一番、心苦しかったロケは、浜田さんがキャスターとなったトリノオリンピック。
選手の時間が読めなかったために、浜田さんを理由もなく待たせているという、東京ではありえない状態になっていたんです。

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