戦場のメロディ
- あらすじ -

平成21年9月4日
昭和26年(1951年)1月19日深夜──
元日本兵の一斉処刑が秘密裏に行われた。
家族はおろか、日本政府にも知らされることなく行われた極秘死刑。
異国の地の死刑台に虚しく響いた祖国に見捨てられた男たちの無念の叫び──
それは、焼け野原からの復興に沸く日本には届かなかった。

戦前・戦中と数々のヒット曲を放つ国民的人気歌手・渡辺はま子(薬師丸ひろ子)がトリをつとめた「第一回の紅白歌合戦」が開催されたのも、この頃のことだった。

日中戦争からはじまり、太平洋戦争、そして全世界へと拡大した第二次世界大戦。
10年近くにも及んだ戦いについに敗れ、絶望の焦土と化した日本は、数年の歳月を経て、戦中・終戦直後の飢餓から少しずつ抜け出そうとしていた。あの忌まわしい戦争の記憶を遠い過去に押しやり、人々は生きる希望をやっと取り戻しはじめていたのだ。

しかし渡辺はま子は、華やぎを取り戻した芸能界に身を置きつつも、心の奥底に暗い影を落としていた戦争の傷跡から目を逸らすことが出来ずにいた。
子供の頃からの夢が叶い、歌手となったはま子を待ち受けていたのは戦争だった。
従軍歌手として歌を武器にして共に闘ったはま子は、万歳三唱で戦地へと送り出した兵士たちを、忘れることができなかった。
その後悔の念から、はま子は戦後、歌手活動も顧みず、傷病兵収容所や巣鴨刑務所に慰問に訪れていた。

そんなある日、はま子は慰問先でフィリピンの刑務所で行われた元日本兵の一斉処刑を知らされる。わずか10センチほどの小さな記事でしか世間に伝えられなかった14人の非業の死。その真実を知るために、はま子は復員局のフィリピン担当の元に足を運んだ。

終戦後7年が経ち、すでに復員局はかなり規模を縮小していた。そんな中、たった一人のフィリピン担当・植木信吉(成宮寛貴)は、はま子に驚くべき事実を告げる。

フィリピンのモンテンルパにある刑務所には、戦犯として死刑囚となった元日本兵が108人も投獄されている。しかも彼らの多くが、証人として名乗り出たフィリピン人に「コイツが犯人だ」と指さされ、詳しく事実関係を調べることも無く有罪、死刑となったというのだ。

さらには、そんな過酷な状況にあっても、日本政府が手を差し伸べることはなく、遠い南の異国の地で、彼らは孤独な戦いを強いられているという。

しかし、そんな彼らについてほとんどが知られておらず、手がかりは植木がたった一人で調べ上げた囚人たちの名簿「命のリスト」だけだった。

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