黒部の太陽
- インタビュー -

■美術進行 藤野栄治

今回の作品でもっとも心がけたことは?という質問からインタビューはスタート。
「第一に事故がないこと。安全が第一。オープンセットを建てる時も、一番台風が心配でしたね。どろどろで機械が入らなくて人力でやりました。」という。
栃木県岩舟には、トンネルの入り口付近にあたる、坑口および飯場を再現したオープンセットが建てられた。広さはなんと東京ドーム1個分。
約3ヶ月もの時間を建設に要した。雪の長野県に建っている飯場のセットもその岩舟に置いて寝かしたものを一部だけ持ってきたのだという。
去年の8月以来準備に入りほとんど休みなしで働いているそうだが、「うちは皆いい奴ばっかり」と笑う藤野さん。
「河毛(俊作監督)さんが入社してADの頃、小道具をやっていて」と河毛監督との関係も長い。
「監督と通じ合っていてこうしたいというイメージを実現するんですね。(「黒部の太陽」の)親方との信頼関係とかぶるものがありますね。トンネルの中に井桁を組んだ時も(本来担当でない)小道具もよんで皆で朝までやって、小道具もあざつくって帰りましたよ。日活スタジオでは一晩でトラック何台分もの砂利を出したり」と笑いながら一言で言ってしまうところがすごい。
トンネルセットも日本で唯一の土のスタジオ、日活スタジオに建てられた。3ヶ月ほどの歳月を要した。有名なトンネルが破砕帯にぶつかり大出水するというシーンを可能にするため、土を掘り、水を逃すためのプール上の溝をつくりその上に浮かばないよう鉄板を乗せ、さらにその上にセットを建設した。トンネルはほぼ実寸代。トンネルの内側を支える本来鉄製の柱、「支保工」をリアルに木で再現したり、その支えの間の横板も一つ一つわざとばらばらにはめてあったり、トンネルを掘り進むための大きな足場、ジャンボも設置され、50年以上の歳月を経て、日活に大町トンネルが出現した。
実際にトンネルを掘り、今もご健在の元親方、笹島信義氏も「すばらしい。あの時のことを思い出す」と語ったほど。
「実際の現場の人たちが『これ木ですか』とびっくりしていると、美術の勝ちだな、と思いますね。」と胸を張る。
「監督がこれをやるから、といえば皆納得する信頼関係があります。いいスタッフ繰りをしてよかったなあと美術プロデューサーの関口さんと言ってます。23日から富山チームは富山に、23日の山形ロケを担当するチームは山形にと分かれていましたけれど、山形チームも『最後の瞬間は一緒にいようよ』と皆、結局富山に来ましたね。分かり合える人が集まった集団。みんな、『気持ちのいい舞台でやってほしい』という思いは一緒。みんな分ってくれる。ぼくは(美術スタッフに)1から10まで言ったことはないです。4個いったところあたりで皆分ってくれる。」
「目的がひとつだったからね」と藤野さんも一言。

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