神戸新聞の7日間
[記者たちが見た1・17]

◆震災当日
兵庫区にある自宅2階で睡眠中だった山根は地震発生直後、すぐに電話に飛びつき、会社に連絡をしようとしたが電話が使えない。
ふと、1階にも電話がある事を思い出し、急いで駆け下りた。
妻が身内の誰かと安否を確かめ合っていたが、受話器を奪い、すぐに会社へ電話をかけた。
1回…2回…コールが鳴る。繋がった。
山根「記者全員呼び出せ!」
自宅を飛び出した山根は、街の奇妙な静寂に戸惑った。火の手が上がっているのに何の物音もしない。
凄まじい状況を目の当りにした山根の頭に浮かんだのは、「号外を出さんといかん」ということだった。
そこから、JRの線路沿いに、元町駅、三宮駅…と、ひたすら新聞会館を目指した。
しかし、三宮に近づけば近づくほど、状況がどんどんひどくなっていった。非常ベルが鳴り響き、阪急のレールは垂れ、ビルは倒れて煙が出ていた。山根は足を早めずにはいられなかった。
三宮の凄まじい状況を目の当りにしながらも、ようやく新聞会館に到着し、通用門から入った。通用門付近から見える新聞会館はビルの壁が崩れ、階段を瓦礫が埋尽くしているような状態だった。
編集局へ辿り着いた山根の目に飛び込んできたのは、いつもは整然と並んでいる整理部のデスクがぐちゃぐちゃに躍りだしている状態だ。
「オイ、これを早く片付けろ、元に戻せ!」
と言いながら、山根は社会部のほうへ向かい、すぐに周囲に号外を出す話を始めた。
しかし…。
社員:「新聞は出せません」
山根:「いつになったら出せるんや」
社員:「当分出せません」
山根:「当分というのは?」
林:「かなり長いスパンの当分です。ひと月、ふた月の当分じゃありません」

このときの様子を山根は次のように振り返る。
「新聞社が新聞を出せないということは、新聞が死ぬということであり、企業が息絶えることを意味する」
何か手段は無いだろうか…。その時山根の頭に浮かんできたのが前の年に、京都新聞と結んだある協定だった。

相互協定…
神戸新聞と京都新聞との間には震災の1年前に結んだ「緊急事態発生時の新聞発行援助協定」という協定があった。
その第一項目には「いずれかの社において、地震の発生により、新聞の製作あるいは印刷が不能になるか、その恐れがある緊急事態が発生した場合、当該社の新聞発行が継続できるよう、相互援助の精神に基づき全面的に協力し合う」

これが駄目なら、新聞は作れない…意を決した山根は、決死の行動に打って出る。

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