FUJITV Inside Story〜フジテレビで働く人〜

河端 由梨子

自分らしい働き方で活躍する
河端 由梨子さんに聞く-
二度の出産を経て、大切にしている
仕事のスタイルとは・・・
真摯に、できる範囲で
これまで育んだ
人とのつながりも仕事の糧に

Vol.14

河端 由梨子Yuriko Kawabata

フジテレビで働く人の仕事への取り組みや思いをシリーズで描く『FUJITV Inside Story』。
第14弾は、“文化・芸術界のノーベル賞”とも言われる「高松宮殿下記念 世界文化賞」を世界へ向けて発信するなど、国際局での業務を担当している河端由梨子さん。広報や編成、映画部など様々な部署で培ったノウハウが今の部署で存分に活かされているという彼女に、現在の仕事のやりがいや、出産やコロナ渦を経て見いだした自分らしく活躍できる働き方などについて聞いた――。
(2024年02月09日掲載)

国際局での業務とは?
ホワイトハウスでの
「世界文化賞」受賞者
祝賀イベントを発信
世界へ導いてもらえる
スケールの大きな業務がやりがいに

河端さんは現在「国際局」で、どのような業務をされているのでしょうか?
海外に向けてフジテレビのブランドイメージアップにつながるような情報を発信する海外広報という仕事を担当していて、英語でホームページを作ったり、FacebookやインスタグラムなどのSNSを活用して、フジテレビの番組コンテンツはもちろん、イベントやさまざまな取り組みなどを紹介しています。
河端 由梨子
最近では主にどのような発信をされていますか?
現在の大きな仕事は、“文化・芸術界のノーベル賞”とも言われている「世界文化賞」に関することです。イタリア人とアメリカ人のチームスタッフと一緒に、海外とも頻繁にやりとりをして、世界へ向けてどのように情報発信していくかを、日々、試行錯誤しながら企画運営しています。
昨年8月に立ち上げた「世界文化賞」公式インスタグラム

昨年8月に立ち上げた「世界文化賞」公式インスタグラム
© The Japan Art Association/The Sankei Shimbun

どんなところにやりがいを感じますか?
規模が大きな仕事が多いところですね。特に「世界文化賞」は、国際顧問として元米国務長官のヒラリー・クリントンさんが就任されて、去年は受賞者の祝賀イベントがホワイトハウスで行われたんです。私たちはその模様を迅速にインスタグラムで発信するという作業を国内から遠隔操作で行ったのですが、やはりすごく緊張しました。私が扱っていたのは「小さなスマホ」の画面でしたが、ホワイトハウスと“つながって”広報していると思うと、あまりにも規模が大きくて、やり甲斐を感じる一方で、身が引き締まる思いでした。また私は元々、アートに造詣が深くはなかったのですが、去年の受賞者にオラファー・エリアソンさんという、麻布台ヒルズにメインアートを飾られている方がいらっしゃったりと、そうしたこれまであまり馴染みのなかった世界へ導いていただいたという実感もありましたね。
河端 由梨子
テレビ局という枠にとらわれないお仕事をされているんですね。
私はこれまでドメスティックな会社だと思って仕事をしてきたのですが、実はそうではなくて、やはりとても大きな会社で「この会社でなければできないことがある」という思いを、今、入社20年目にしてすごく体感していますね。
河端 由梨子

“3・11”では渡り廊下に倒れてきた
本棚も踏み越えて報道フロアへ…
テレビの使命を実感
これまでの所属部署との「つながり」も
国際局の仕事に活かして・・・

それではこれまで担当された業務を教えてください。
入社して最初は広報部で番組広報を担当したのですが、多くの番組プロデューサーと知り合いになれましたし、現場にもたくさん赴くことができて、「ドラマってこういうふうに作られているんだ…」とか、すごく勉強になりましたね。
河端 由梨子
どんなことを心掛けてお仕事されていましたか?
やっぱり広報は制作現場にずっといるわけではないので、現場の人たちを目の前にして「サッと来てサッと帰る」みたいなことは、若いながらにすごく気まずかったんです。だから、「綺麗なヒールをカツカツ鳴らしながら颯爽と現場に現れる」なんていうのは「絶対NG」で、現場の状況をしっかりと理解したうえで、「本当に一生懸命やっています!」というアピールというか(笑)、プロデューサーの方々とも本当に真剣に「この番組をこういうふうにプロモーションするのがいいと思います!」などとこちらの思いをしっかりと伝え、理解してもらえることを心がけていました。とてもありがたいことに、その時のつながりは今も活きていますし、「頑張っている?」などと時々声をかけてもらって、大きな励みにもなっています。
河端 由梨子
そのあとは、編成部や映画部での仕事に携われたのですね?
異動するまでは、編成部がどのような仕事をしているのかよく理解していなかったのですが、自分が携わるようになって初めてテレビ局にとって本当に大事なセクションだと思いました。特に私が編成部に配属されたばかりの頃は、フジテレビが視聴率三冠を奪還したタイミングだったので、会社中が湧いて一つになった瞬間を肌で感じました。
また、もちろん「視聴率が全てではない」とも思うのですが、当時の上司が「一位の局、リーダーである局は、なにかにつけ発言力がある」と力説されていて、「ただ数字を求めるということではなくて、グループのリーダーであることは、説得力を持って人や組織を動かすうえでとても大事」とも学びましたね。
そのあとは、国内だけではなく、海外を含めたプロモーションもやってみたいという希望が叶い、映画部へ異動。実際に『そして父になる』(2013年)や『テルマエ・ロマエ』(2012年)などの作品の海外公開に向けてアレンジメントをしたりしました。
河端 由梨子
これまで所属した部署で、特に思い出深い出来事はどんなことですか?
一番衝撃的だったのは2011年の3・11東日本大震災ですね。当時私は編成部で報道を担当していたので、「報道が特番を希望していますが、どうしましょう?」などとやり取りをする係・報道との橋渡し役だったんです。発災当日は金曜日だったのですが、珍しくみんなゆったりとした時間を過ごしていて「今日は誰とご飯食べに行こう?」などと考えていたタイミングで、まさかのあの揺れ・・・。いままで経験したことがないような大きな揺れで、渡り廊下に倒れてきた本棚を踏み越えながら報道フロアに向かったことを覚えています。それからは、CMなしの24時間の報道特別番組が続いたのですが、「何を放送しなければならないのか」みんなで神妙な面持ちで話し合っている場に加わって、「テレビの使命」というか、「命を守る」というすごく大事な仕事に携わっていることを、改めて痛切に感じました。
河端 由梨子
しばらくしてCMを再開し始めたのですが、坂本 九さんの「上を向いて歩こう」を耳にした時は、そのメッセージ性にグッときました。その後、歌番組を元に戻して放送した際も、画面を見つめながら思わずこみ上げてくるものがありました。もちろん被災地の状況をしっかりと伝え続けることが最も重要なのですが、視聴者のみなさんに「エンターテインメント」をお届けすることも、放送局のもう一つの「大切な使命」であると思いました。
これまで培ってきたものは、国際局の仕事にどう活かされていると感じますか?
例えば「世界文化賞」は、去年のホワイトハウスでのアナウンスメントをきっかけに、以前、一緒にチームを組んでいた編成の方々、そして報道局のメンバーとも話をすることができ、「夕方に特番を組もう」というディスカッションに加わりました。また国際局として、「国際賞」絡みで海外の人脈づくりを進めていく中でも、映画部でお世話になった配給会社さんが、関係者に引き合わせてくださったりしました。こうした感じで、これまで一つ一つの「点」であったものが、この20年を経て「線」になってきている気がします。これまでお世話になったみなさんとの関係がギュッと結ばれて、「今の国際局での仕事がある」という感じがしますね。
河端 由梨子

「仕事も会社も好き」
自分ができる範囲で
しっかりと仕事がしたい思いで
国際局へ…
「いろんな選択を尊重してくれる」
フジテレビの風土

話は変わって、河端さんの現在の働き方についてお伺いします。出産やコロナ渦をきっかけにリモートワークで働くなど、河端さんのワークスタイルが大きく変化したそうですね。
以前はテレビ局でリモートワークができるなんて発想もなかったのですが、コロナ渦はいろんな人や会社のマインドも変えましたね。今はシステムや環境も備わっています。コロナ渦の時は育休中だったのですが、子どもの保育園が休みになったり、自分ではどうにもならないことがあったので、「今までの働き方ではとてもじゃないけど、2人の子どもを抱えて職場復帰はできないな…」と思っていました。幸いフジテレビは、育休を長く取らせてもらえる環境があるので、「そうしようかな」…とも思っていました。でも、リモートワークが推奨されるようになって、しかもそれは決して消極的な選択じゃないということも耳にするようになって、仕事も会社も好きなので、自分ができる範囲でしっかりと仕事できる部署はどこか考えて、国際局へ異動させていただきました。
河端 由梨子
コロナ渦前までは、やはりリモートワークは考えられませんでしたか?
そうですね。1人目を出産した時は編成部に復帰しました。だから当たり前に、夜もミーティングはあるし、私もタイプ的に「仕事をするのならそれにも参加したい」という気持ちがありました。だけどそうすると、子供の迎えも遅いし、仕事も中途半端になるし、こんな感じで仕事をするのは「誰もハッピーじゃない」って思いました。だから2人目の時は、じっくり考えようと思っていたのですが、コロナ渦の「働き方」への影響も大きかったですね。
特に国際局は、時差のある海外支局と頻繁にやりとりをしているので、リモートワークはごく普通・当然のことで、“抵抗”を感じている雰囲気もありません。だから今の私の生活においては、国際局での働き方がすごく自分にフィットしていると思っています。
では、これまで育休や産休がとりづらい空気などはなかったですか?
当たり前と言えば当たり前なのですが、「育休が取りづらい」とか「育休することを上司に言いづらい」とか、そうした状況は全くなかったです。編成にいた時からそういう感じで、みなさん温かいというか、いろんな人のいろんな生き方・選択を尊重する空気にして下さっていましたね。
河端 由梨子
河端さんのお話を聞いていると、子育てがあるからやむを得なく異動した…という感じではないんですね。
そうですね。よく「マミートラック」と言われるような、2人も子供を産んだら違う部署に行かされるということはなくて、人事局も「どんな仕事がしたいか」「どんなライフスタイルにしたいか」、面談で聞いてくださったので、「私はこういう思いで、国際局で仕事をしたい!」としっかりと思いを伝えました。もちろん編成部の仕事もすごく好きだったのですが、今の私のフェーズではちょっと難しいので・・・。フジテレビは、そういう価値観もリスペクトしてくれる空気感がある会社だと思っています。だから後輩にもすごく長く休んでいる人もいる一方で、1年以内に戻ってくる人もいるし、色々なんです。そして、チーム内のイタリア人は、パパ休を何回かに分けてとっています。それぞれのご家庭の事情に合わせて対応を考えてくれる風土ができているのかなと思います。
河端 由梨子
では最後に、河端さんが今後やりたいことや目標を教えてください。
自分の仕事が後半に差し掛かってきたから…ということではないのですが、私はこれまでいろんな先輩に本当によくしてもらって、すごく楽しい会社人生を送ることができました。これからは是非、そうした思いを後輩のみなさんに味わってもらいたいと思っています。
でもそれは、もちろん当時はとてもありがたかったのですが、以前私が「このあと、ご飯でも行こう!」って、毎日のように誘ってもらっていたようなスタイル・やり方ではないのかなぁとも思っています。後輩にもフジテレビの良さをしっかりと感じて欲しいので、「どういう接し方がいいのか」「どういう仕事を一緒にすると、よりそのように思ってもらえるのか」ということを、今、自分の大きなテーマとして考えながら、仕事と向き合っています。
河端 由梨子
「どんな仕事であろうと一緒に何かやることが楽しい」というのが「フジテレビイズム」だと思っています。「一緒のチーム、会社のチームで一緒にやって良かったね」「この会社のこと好きだね」という思いが、ひいては会社全体の「熱量」として出てくるのでは、と思っていますが、どうでしょうか?

また、私の入社以来の仕事のテーマは、最初に配属された広報部の当時の遠藤龍之介部長に教わった「自分のスタイルを持って仕事をする」です。私は大声でみんなを引っ張っていくタイプでも、エッジが効いたクリエイティブなタイプでもありません。ただこれまで、河端に仕事を振れば「真面目に取り組むだろうな」「何とか形にしてくれるだろう」などと信頼を得ることができるように真摯に仕事に取り組むことを心掛けてきました。
それがこれからも大切にしたい「私の仕事のスタイル」だと思っています。
河端 由梨子

ひとつひとつの質問に丁寧かつ表情豊かに答えてくれた河端さん。気が付くと自然に明るい空気でこちらまでも包んでくれていた。一方で、言葉の端々には「自らの仕事のスタイル」に対する強い“拘り”、確固たる意志も感じられた。
「どんな仕事であっても一緒にやると楽しい」・・・人とのつながりを大切にしながら、真摯に仕事に向き合い続ける姿勢は、これからも後輩たちにとって一つの「道標」になってくれるに違いない。

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