FUJITV Inside Story〜フジテレビで働く人〜

中川 眞理子

中川眞理子警視庁キャップに聞く

Vol.04

中川 眞理子Mariko Nakagawa

フジテレビで働く人の仕事への取り組みや思いをシリーズで描く『FUJITV Inside Story』。
第4弾は、警視庁記者クラブでフジテレビ初の女性キャップを務める報道局社会部の中川眞理子記者。熾烈な取材競争が繰り広げられる現場のまとめ役として大切にしたいもの、またニューヨーク特派員時に感じた日米のジャーナリズムの違い、さらにこれからの“テレビ報道”について聞いた――。
(2023年7月31日掲載)

「警視庁キャップ」として
若い記者たちと一緒に
楽しいチームを作りたい。

まず「警視庁キャップ」として、どのような仕事に取り組んでいますか?
今年4月(2023年4月)にキャップを任されました。フジテレビの警視庁クラブは、現在、私を含め総勢9人、他の8人は全員私より若い記者で、日夜、事件や事故の取材で現場等を飛び回っています。キャップの仕事としては、主に取材の大きな方針や体制を決めた上で、取材した情報を整理したり、記者が書いた原稿をチェックしたりしています。
記者の方は朝から晩まで常に事件を追いかけているようなイメージですが・・・。
20代の記者たちの生活を紹介すると、まず朝5時とか6時に起きて、取材先のお家まで行って出勤途中に話を聞く、いわゆる“夜討ち朝駆け”の“朝回り”があります。そこで情報のヒントをもらうんですね。日中は、会見へ行く記者、原稿を書く記者、張り込みをしたり、何か事件事故が起きれば現場へ急行する記者もいます。夜は朝と同じで、こちらは“夜回り”と呼ばれていますが、取材先の家の近くで待って、情報やヒントがないか探ります。結構な仕事量になるので、記者たちの勤務状況には常に注意を払って、取材の取捨選択についても、本人たちの意向を尊重しながら、アドバイスしています。
中川 眞理子
まとめ役であるキャップも、やはり、休まる時がなさそう…という感じですね。
自分が担当しているニュースの場合は、もちろんどんな時でも反応してしまいますし、直接関係のない事件や事故にもできるだけ目を光らせるようにしています。だからなかなか気が休まる時は少ないのが現状ですが、息抜きというか、クラブ員のみんなとお昼ご飯を食べたり、夜ちょっと飲みに行ったりもしていますよ。
2009年に入社3年目で警視庁担当になった頃と比べて、取材手法などに違いや変化はありますか?
今はかなりSNSが発達しているので、「国民総カメラマン状態」と言いますか、視聴者が事件の発生現場の様子を撮影してSNSに掲載することも多く見られます。例えば、今年5月に銀座で起きた強盗事件では、仮面をつけた少年たちが時計店からロレックスなどを強奪する犯行の一部始終を、現場に居合わせた視聴者が撮影していて、まるで映画を見ているように「恐怖心」が伝わる映像が全国に流れました。一方で、SNS上の情報には、不正確なもの、時にはデマや嘘が混在していることも少なくありません。なので、ニュースとして報じるに当たっては、その情報や映像が、本当・事実かどうかをしっかりと見極めなければならないし、その判断材料となる情報を、綿密な取材を通じて収集することも不可欠だと思っています。また、フジテレビ系FNN28局が配信しているニュースサイト「FNNプライムオンライン」を活用することで、時間帯に縛られずにいつもでニュースが出せる、出し口が広がったのは大きな利点だと感じています。さらに自分の取材の進み具合に応じて解説記事なども積極的に出稿すれば、記者としてのスキルアップに繋がると思うので、特に若い記者には是非、チャレンジして欲しいと考えていますし、微力ながらその「ノウハウ」みたいなものも伝えていけたらと思っています。
コンプライアンス的な面でも、取材環境の変化は感じていますか?
私たちマスコミに向けられる目も、やはり厳しくなっていると思います。「報道目的だから」といって何でも許される時代でもないですし、私たちはその辺りの良識を持って取材しなくてはならないと思っています。一方で、真実にたどり着くためには、「カメラを向けなければならない」というところもあるので、そこは永遠に「葛藤」ですね。どんなキャリアを積んでも、「葛藤」し、真摯に向き合っていかなければはならないことだと思っています。
中川 眞理子

フジテレビ警視庁記者クラブにて部員と

では、警視庁キャップとして、最も大切したいことや目指したいこととは?
とにかく、今の若い記者たちと一緒に楽しいチームを作りたいなと思っています。クラブ員の半分以上が記者経験1年目から3年目ほどなので、彼らが辛い取材の中でも「報道の仕事をやっていてよかったな」とか、「次にこういう取材をしたい」と思えるような、そういう基となれるチームを作りたいですね。私が経験させてもらった思い出に残る取材を、みんなにも経験して欲しいな、と思っています。

ニューヨーク支局での経験/
首脳会談で衝撃だった
日米の記者の違い

今年3月まで在籍していたニューヨーク支局ではどのような取材をされていたのでしょうか?
基本的には日本と同じですが、ニューヨーク支局は記者の数が3人と少ない中で、主に日本人に関わる出来事や、日本の視聴者にとっても大きなニュースだと認識されるような事件や事故等を取材していました。また私がいた時はコロナ下だったので、日本とは全く違うコロナワクチンの普及の仕方や、マスクや飲食店に対する規制など、実際に住んでいないとなかなか感じることができないような現地のコロナを巡るさまざまな動きについて取材しました。
ニュースにおける日本とアメリカの違いは何か感じましたか?
アメリカは日本と比べて、警察、政治家、自治体など多くの取材対象において、ネットでの対応が日本よりも進んでいると感じました。だから当局等が発信するツイートとかインスタグラムといったものはよくチェックしていました。また、アメリカは国土が広いので記者会見も全部ライブ配信だったりするんですよね。そういう面で日本よりもネットによる情報発信が進んでいる印象はありましたね。
取材方法などについては?
2019年の国連総会の際、当時のトランプ大統領と安倍首相がニューヨークで日米首脳会談を行いました。その冒頭撮影の際、日本だったら開始前に「首脳会談とは関係ない質問はしないでください」といったアナウンスがあったりするのですが、アメリカの記者たちはそのようなアナウンスなどお構いなしに、トランプ大統領にスキャンダラスな質問を遠慮なくぶつけてみたり、会談後の記者会見でも、「質問してください」と言われる前から、多くの記者が「我先に!」と言わんばかりにバーっと手を挙げていたりしていて、非常に衝撃でした。
中川 眞理子

2020年6月 NYでのデモ現場を取材

また、2020年5月、黒人に対する警察官の行き過ぎた行為が発覚したことを機に「ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)」という動きが再び広がって、黒人に対する暴力や人種差別の撤廃を訴えるデモが全米各地で起きました。その時、何故、人種差別に対する運動がここまで広がるのか、日本人である私には、最初、十分に理解が及びませんでした。こうした人種差別はこれまでのアメリカの歴史の中で、「そのような差別はない」とされながらも、やはり何度も何度も繰り返されています。その「裏切り」に対する怒りや失望。デモも何年、何十年前と変わらず行われています。そうした「黒人の怒り」は、実際にその場に行って話を聞かないと実感として伝わらないと思います。だからこの時、記者としての経験を積ませてもらったことには、とても感謝しています。報道の仕事に携われて良かったのは、歴史的な瞬間にいる人たちの表情、言葉の強さなど、「気持ちの動き」に立ち会っていることだと思います。
話変わって、中川さんは事件・事故を追うというお仕事なので、辛い出来事に向き合うことも少なくない気がします。また、特に印象に残っている取材はありますか?
特に現在私が担当している警察担当は、辛く悲しい出来事を取材して記事にすることも少なくないのですが、いつまでも慣れることはありませんし、また安易に慣れてもいけないと思っています。
特に印象に残っているのは、私が記者になって2~3年目時の東日本大震災(2011年)の取材ですね。岩手県のあるご家族を取材させてもらったのですが、お庭に作ったドラム缶のお風呂を近所の人にも提供していました。でも実は、そのご家族のおばあちゃんの行方が分からなくなっていて、遺留品の一部も見つかるなど安否がとても気遣われる状況だったんです。それにも関わらず、涙をこらえて、明るく笑みを絶やすことなく、ご近所のみなさんのためにドラム缶風呂を沸かし続けるという場面に立ち会えたのは、今でも忘れられません。
中川 眞理子
一方で、2016年の熊本地震では、災害取材の難しさも実感しました。その時は前震と本震と言われる2つの地震があったのですが、私は前震の後に現場へ入って、その後に本震が起きてとても大きな被害が生じました。そしてその時初めて、自分や取材クルーの身の危険を感じました。私がその時に思ったのは、今まで被災者を取材するといっても災害が起きた後のことで、発生時の地震の恐ろしさ、そしてそれを体験した地元の方の恐怖についても感じるなど、改めてさまざまな感情に寄り添って取材することが必要だなと思いました。

好きだった「踊る大捜査線」で見た
場面と“リアル” /
“テレビ報道”に求められるものは

次に、中川さんがフジテレビもしくはテレビ局を目指したきっかけを教えてください。
もともとメディアには興味があって、映画の勉強をしたいとか、いろいろザックリと考えてはいました。そんな時に大学受験で課題がありまして、ベトナム戦争などへ行った戦場ジャーナリストのことを調べて、その奥様からお話を聞いたりしました。そういうことがきっかけにもなって報道という仕事に興味が湧いて、大学へ入ってメディアの勉強をしたという感じです。
では、フジテレビで好きな番組などはありましたか?
中学生の時『踊る大捜査線』(1997年)が好きで見ていました。その後、入社3年目で警視庁記者クラブに入ったのですが、そこでこの「会社(警視庁)」はドラマで見ていたような階級社会なんだなと実感しました。だから「管理官ってどれくらい上なんだっけ?」みたいなこととか(笑)参考にするために、もう一回、ドラマを見直したりしました。もちろん脚色している部分もあるのですが、キャリアとノンキャリアの関係とか、結構リアルに作っていると感じました。
中川 眞理子
中川さんが抱くフジテレビ報道局の印象は?
以前、夕方のニュース番組を担当していた時に、「自分が面白いと思ったこと・自分の感覚を一番大事にしなさい」と言って下さった上司がいました。視聴率とか番組の分析などをしなくてはならないとか、そういう「べき」論を語るのも確かに大事だけど、自分が「これはひどい事件だ」、「この人はすごい」、「これは面白い」などという直感=最初の感覚が、多分一番大事なので、それを大切にして捨てないように、データだけに頼ることがないように、と肝に銘じています。フジの報道局にはそうしたことを大事にしている人も結構多いのではないかと感じています。
フジテレビの報道局はスクープが多いとの評価も聞きます。
私自身、スクープを取りたい気持ちはもちろんありますし、仮にそうした気持ちがなくなってしまうと、例えば政府や当局が隠していることを見過ごしてしまう事態にもなりかねません。それにやはり報道に携わる者の性分として、他のメディアよりもより早く、より多く、より詳しく報じたいという本能的なものもあると思います。ただもちろん、スクープを狙えば「なんでもアリ」と言うわけではなくて、わかりやすく伝える努力を怠らないとか、視聴者へ寄り添う気持ちも大切ですし、なかなか光が当たらない声を拾うことも大切。その「バランス」だと思っています。
中川 眞理子
最後に、今後テレビの事件報道に求められるものとは何?
先ほどもお話しした5月の銀座の強盗事件がいい例ですが、今は現場にいた人が撮影した映像によって、一体何が起こったのか、その緊迫感や詳細をありのままに伝えることができます。そうした映像を素早く入手して上手く活用することの重要性はますます増しています。その一方で、テレビの報道はその現場で取材した記者やキャスターが、現場の息遣いみたいなものを自分の言葉と映像で伝えられるものだとも思っています。それがテレビ報道の良さでもあるし、今後も求められることではないでしょうか。

多忙で過酷な取材が多い警視庁記者クラブのキャップとして、「若い記者たちと一緒に“楽しい”チームを作りたい」「辛い中でも、思い出に残る取材をみんなに経験して欲しい」と優しく語る姿が印象的だった中川キャップ。このご時世、まとめ役に求められるのは一義的には「バランス能力」なのかもしれない。ただ「既成概念の枠を取り払う」胆力も必要。数々の現場取材の実績と経験を誇る「頼れるリーダーの突破力」に、これからも期待大だ!

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