FUJITV Inside Story〜フジテレビで働く人〜

大塚 隆広

南極取材を完遂した
大塚記者に聞く…
過酷な自然との闘い、
撮りたかった“絶景”、
そして取材にかける思いとは

Vol.01

大塚 隆広Takahiro Otsuka

フジテレビで働く人の仕事への取り組みや思いをシリーズで描く『FUJITV Inside Story』。
第1弾の今回、登場するのは2022年11月に日本を出発した「第64次 南極地域観測隊」に同行し、極寒の地で取材を無事に成し遂げた、報道局取材センター国際取材部の大塚隆広記者。現地での過酷な取材状況や映像に対する熱い思いなどを聞いた――。

きっかけは『南極物語』!…
全社挙げてのプロジェクトで
同行取材を勝ち取る

まずは、大塚記者が今回、観測隊に同行することになったきっかけを教えてください。
僕が携わってきた番組『環境クライシス』等のスタッフたちと、「環境問題の究極は南極だよね」という話をしていました。そうした中、一昨年、報道局長から「南極へ行ってみないか」との声をかけていただき、「行かせてください!」と即答したのがきっかけです。
元々、南極大陸に興味はあったのでしょうか。
南極との接点は小学6年生の時。実は『南極物語』を映画館で見て大泣きしていました。 当時はその映画をきっかけに、テレビで南極の特集が取り上げられたり、タロとジロがNHKの『紅白歌合戦』などの番組に出演したりしていたので、南極を今より身近な存在に感じていました。だから、いつか行ってみたいという思いは、その頃からありました。
とはいえ、誰でも南極取材へ行けるわけではないですよね。
文部科学省や環境省の許可などが必要です。また、他のテレビ局も同行を希望していたので、選考会に参加し「フジテレビだったらこんなことが出来ます」とプレゼンをした結果、同行が決まりました。ただ単に報道局の特別番組を作るというだけでなく、情報制作局と連携したり、今回、同行したガチャピンを担当する事業局と協力したりと、部署を横断した全社挙げてのプロジェクトとして提案できたのが良かったのかなと思っています。
大塚 隆広

目指せ、ナショジオ!
テレビ局初の水中撮影にも
成功した
“ドローン活用術”とは

先日放送された『地球最後の秘境 南極大陸~観測隊が見た神秘の世界』は、映像もとても美しくて印象的でした。出発前にどんな準備をされたのでしょうか。
僕らが出発する前に立てた目標が「目指せ、ナショナルジオグラフィック」でした(笑)。もちろんその番組は予算も機材力も桁外れなので、3人という限られた人数の僕らは、事前に調査隊のこういうところは撮りたいねとか、いくつか決め打ちのカットを考えて取材することにしていました。
特にドローンの映像が素晴らしかったです。
地平線まで広がる雄大な世界を撮るにはドローンの活用が不可欠だと、その映像の強さを今回、改めて実感しました。ただ、南極に向かう航行の途中でドローンの操縦テストをした時に、ものの見事に失敗しまして(笑)。危うく海に落ちそうでしたが、運良く何とかネットに引っかかって…。もし、海に落ちていたらと思うと、ホントに冷や汗ものです。
番組では“水中ドローン”の撮影も印象的でした。
昭和基地沖の海底に関しては、テレビ局で初めての映像を撮ることに成功しました。学術的にもすごく貴重だと言われていて、京都大学などがその映像を使って講義するという話もあります。ただ、撮影は苦労の連続で、水温が低いために、水中ドローンのスクリューが動かなくなったり、録画するとき映像にノイズが出てしまったりと、様々なトラブルに見舞われました。しかしいろんな対策を講じて懸命に撮影した結果、あの映像に繋がりました。
大塚 隆広

船酔いに日焼け・・・
困難続きの過酷な取材の一方で、
素敵な出会いや楽しみも

それでは、南極取材で一番大変だったことを教えてください。
132日間の取材期間のうち南極にいたのはわずか48日間で、他は往路と復路の南極観測船「しらせ」の船上でした。その中で一番辛かったのは船酔いですね。特に僕は船酔いがひどい方で、激しい揺れが続いた時は、薬を飲んでも全く効かなくて、眠れずにずっと酔っているという状況でした。また、上陸してからは日焼け対策が大変でした。雪原が広がっているので、太陽光の反射がすごくて、油断すると火傷みたいになってしまうのでサングラスは必須でしたが、撮影する時にはピントの調整などのため外す必要があります。だから僕よりもカメラマンが大変そうで、とても苦労していました。
過酷な環境とは対照的に、食事がとてもおいしそうでした。楽しみなメニューなどはありましたか。
食事は結構美味しくて、金曜日は“海軍カレー”が振る舞われました。だからみんなこの日を楽しみにしていて、金曜日の食事の時間は長蛇の列ができるぐらいの人気でした。帰路の最後の方は、カレンダーを見て金曜日があと何回来るかなって、日本に戻るまで数えたりしていました。
番組では、美しい映像もそうですが、南極観測隊の方たちの童心に帰ったような、生き生きと楽しそうな表情も印象的でした。
そうですね。南極へ調査に行く時点で、ちょっとみんな、普通の人ではなかった感じです(笑)。海中の生態調査の方は、釣った魚や網ですくったプランクトンを見て、一つ一つに驚きと喜びを噛み締めていて、その表情が印象的でしたね。みなさんテンションも高いし、面白い人がいっぱいいました。
ガチャピンが同行していたことも驚きました!
多分、テレビ局のキャラクターで南極に上陸できたのは今回が初めてで、文科省も理解してくれたので、同行できることになりました。ガチャピンは恐竜の子供で、環境問題にも関心が高いので、取材を喜んでいましたし、南極の雄大な景色も楽しんでいましたよ。現地の方もすごく歓迎してくれて、ハグの嵐でした。また自衛隊が協力してくれて、大型のヘリに「ガチャピンを乗せて南極上空を飛行!」という歴史的快挙も成し遂げました。
大塚 隆広

南極観測隊のみなさんとガチャピン ©ガチャムク

記者としての原点 
取材にかける熱い思い 
「また、是非、南極へ」

話は変わりまして、大塚記者がフジテレビに入社したきっかけを教えてください。
僕は大学で政治学科に在籍していましたが、割とのんびりした感じの学生でした。ただ、日航機の墜落事故(1985年)や阪神・淡路大震災(1995年)という大きな事故、震災に大きな衝撃を受け、報道に携わってみたいという思いが強くなりなりました。
入社してからずっと報道の仕事に携わっていると伺いました。
アメリカの高校を卒業していたので同期の中では英語の成績は一番でした。そういう強みがあって希望していた報道局に配属されたと思いますが、英語は得意でもとにかく原稿が下手で…(笑)上司から「手取り足取り」ご指導いただきました。今は、みなさんが関心を持っている事象や出来事の最前線に自分が立つことが出来ることに、喜びというか、やりがいを感じています。
“フジテレビの報道”とは、どういった印象ですか。
僕の中では『スーパータイム』(1984年~1997年に放送されていた夕方のニュース番組)が印象深く、学生の頃に大好きな番組でした。もちろん、しっかりとニュースをやっていましたが、どこか温かみも感じるというか、アットホームな雰囲気がありました。中でも印象的な出来事があって、入社当時に起きたある殺害事件で、その事件の取材や編集に関わったディレクターやADの人たちがみんな泣きながら放送の送り出しをしていました。その様子を見て、すごい職場だな…と思いましたし、やっぱりみんな熱い人たちだなと感じました。
では“フジテレビのいいところ”を挙げるとしたら何ですか。
まさに南極取材の選考会のとき、選考委員の1人に聞かれたことですが、本当に何でもやらせてくれるところですね。チャンスをくれるというか、自分が所属する部署とは違うことだったとしてもやりたいことがあれば、手を挙げるとやらせてくれます。自分がいる報道もそうですが、他の部署でも同じようにチャンスを与えてくれる風土なので、そういうところがいいなと思っています。
次に、大塚記者の好きな番組はなんでしょうか。
『ザ・ノンフィクション』は毎回見ていますね。僕はカメラマンをやっていた時期もあったので、勉強のために過去の作品をたくさん見たりもしました。他にもいっぱいあって…。今放送している『風間公親-教場0-』も見ていますし、『IPPONグランプリ』も好きですね。ドラマもバラエティも好きで、何でも見ていますよ。
では最後に、話は戻りますが、もう一度南極取材ができるとしたら行きたいですか。
是非、行きたいですね。やっぱりどの景色もすごく素晴らしくて、帰る時は名残惜しかったです。船での帰路、一面氷の海だったところから段々と氷がなくなっていって、最終的には普通の海に戻っていくのですが、甲板にいた70人くらいの船員の方たちと「これで最後だね…」みたいな会話が印象に残っていて、それくらい本当に貴重な体験をさせてもらったと思っています。あと、南極は日本の36倍の広さもあるのでまだ行けていない場所、行ってみたい場所もたくさんありますし、今回の撮影方法を活かしてもっと面白いものが撮れるのでは、と思っています。
大塚 隆広

今回の経験を自らが手掛ける環境クライシス』などの番組にも活かしていきたいと語る大塚記者。チャレンジ精神に溢れ現場第一主義を貫くこの記者の「一挙手一投足」に、これからも目が離せない。

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