トーゴ共和国

マダガスカル、トーゴの現地取材を終えて
■フジテレビアナウンサー:山中章子

FNSチャリティキャンペーンの取材は、私にとって一つの夢でした。おととしにはマダガスカル、去年はトーゴと2回取材に行けたことは、本当にありがたく、貴重な経験となりました。

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マダガスカルでは初めての海外取材ということもあり、慣れない環境の中、必死に現地の方に話を聞きました。通訳さんを介しての取材もあまり経験がなく、毎日試行錯誤の連続で、うまく話を聞きだせず悔しい思いもしました。

ただ幸運なことに、首都でも南部でも、私に心を開いてくれた取材対象者が早い段階で見つかり、2週間という短い滞在期間の中で、なんとか彼女たちの胸の内を、わずかでも聞けたように思います。

自分の力量という意味では「もっとこうすればよかった、ああすればよかった」と反省点もありますが、取材自体にはある程度満足して、やりきったと思えるものになりました。

 

マダガスカルの首都アンタナナリボ

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首都のスラム街でエリナと初めて会ったとき、彼女は私の手にキスをして「服ちょうだい、お金ちょうだい」とずっと手を差し出してきました。しかし次第に打ち解け、そこでの生活について教えてくれるようになりました。

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第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国朝からゴミ山や、道端で使えそうなもの、売れそうなものを探してゴミを拾い、それが終わると、小さい子どもをおんぶして物乞いへ。観光客や身なりのよい大人たちに邪険に手で追い払われながらも、今日食べていくために、そしてまだ幼いきょうだいたちのために、必死でお金をもらおうと、交通量の多い道路をあっちへこっちへ走り回ります。

そこで得たわずかなお金で小さいパンを買い、文字通りむさぼるようにみんなで分けて食べるのです。

その帰り道、たまたま道に転がっていたミルクの空き缶を見つけた子どもたちの、指で、舌で、なめとろうとする必死の姿。今も目に焼き付いています。

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国お金がなくて、1年ほどで学校を辞めざるをえなかったエリナは、本当は学校に行って勉強して将来医者になりたいと言います。医者になって、自分のように貧しく困っている人を助けたいから、無料で診てあげたいというのです。心の中にしまっていた思いを私に話してくれたエリナは、お別れのとき、私に抱き付いてずっと泣いていました。9人兄弟の長女としていつも笑顔で気丈にふるまっていた彼女もまだ12歳。いつも羨ましそうに眺めていた制服を着た子どもたちと同じように、エリナが再び学校に行き、医者になる日がくることを心から祈っています。

南部の村での取材初日、私に茶色く濁った水を飲むところを見せてくれた21歳のクララ。

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国数日後、偶然再会でき二人で飛び上がって喜んだのを覚えています。そんなご縁で、彼女から水不足の過酷な現状を教えてもらいました。乾季に雨が降らなかったその年は、普段雨水を溜めている穴も干からびたり、ドロドロだったりと悲惨な状況で、大きな川まで歩いて3日もかかる村に住むクララは、本当に苦しんでいました。

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国車の轍にたまった雨水までも、小さいコップですくって飲まなければいけないときがあると聞いた時には、もう言葉が出ませんでした。クララの幼い一人息子マデスケが、元気に育つように、そのために少しでも私たちが支援できればと思っています。

 

日本での報告会では、多くの方が映像を見て涙ながらに私の話を聞いてくださり、私が現地で感じたことを共有でき、感慨深かったです。

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そしてトーゴでは・・・

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去年の反省を踏まえて取材しようと心に決めて臨みました。しかし、ストリートチルドレンと心を通わせることがいかに難しいか・・・

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第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国正直に言えば悔いの残る2週間となりました。首都ロメで出会ったマグワやアニセ、エリックなどのストリートチルドレンは、陽気な一面も見せますが、彼らの懐に飛び込もうとしても妙にガードがかたかったり、のらりくらりとかわされたり、なかなか思うように話を聞きだせなかったように思います。

誤解を恐れずに言えば、幼い時から家族と離れ、その日暮らしをしている彼らは、誰にも頼れないかわりに、誰からも指図を受けない野放しの状態で、気分にむらがあるように感じました。でもそれが彼らの日常であり、現実なのだと受け止め、取材対象者に寄り添うことだけが取材ではないのかもしれないと、考えさせられました。

 

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国北部の村では、想像を絶する水不足の現状を目の当たりにし、より一層どうにかしてあげられないのかともどかしく感じました。気温は40度近く。水汲み場までは30分ほどと、去年のマダガスカルの歩いて3日に比べたらたいしたことはありませんが、大変なのは、その水汲み場に着いてから。乾季に干上がってしまった川底を村人総出で掘って出来た大きな穴がぽかんと口を開けているのです。

 

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国どこに水が!?と驚いていると地面から湧いてくるわずかな水をすくって水汲みをしているといいます。その光景は、衝撃的でした。一人がたらいを水でいっぱいにするだけでも時間がかかるのに、ここで村人400人ほどの飲料水を賄わなければいけないとなると、気が遠くなります。まだ9歳のサリヤは、水が湧き出てくるのをひたすら待ちながら、ひょうたんをくりぬいた器で、そっとすくっていきます。

 

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国水汲みに行って戻るまで、この日は4、5時間。サリヤはその間、一度も水を飲みませんでした。同じく水を飲めなかった私は、もうへとへと。いくらこの生活に慣れているとはいえ、この環境は過酷すぎます。取材中、乾季なのに雨が降ったのですが、雨が降ると地面の汚いものが全部穴の中に流れ込み、それを飲むと、余計に体調を崩してしまうという話も聞けました。村人たちは井戸がほしいと思っています。確かに井戸ができれば、水汲みで学校に行く時間のないサリヤが学校に行けるようになるでしょうし、衛生状態も向上し、汚い水が原因の病気なども減ると思います。
水不足=雨が降れば万事解決とはいかないことを、とくダネ!のオンエアでも、講演会でも話せたことは、とてもよかったと思います。また、現状の悲惨さを訴えるだけでなく、現地の方が求める井戸の費用や維持方法など、支援にむけてより具体的な話ができ、そこは去年の反省を生かせた部分だと思っています。

 

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国マダガスカルとトーゴでの経験は、私の視野を広げ、私の糧になりました。FNSチャリティキャンペーンの取材はいったんこれで区切りとなりますが、取材した子どもたちのその後も知りたいですし、彼らが笑顔で明日を迎えられるようになる日まで、支援し続けたいと思っています。

第43回支援プロジェクトはトーゴ共和国いつか、取材した子どもたちにもう一度会いたいです。