シエラレオネ共和国を訪問して
 
photo その病院はフリータウンから東へ車で5時間ほどの地方都市ケネマにある。ケネマで一番大きな病院だと聞いていたが、小児科病棟に入って愕然とした。病院なのに電気がなく、ひどい湿気と臭い。汗とほこりと赤ん坊の排泄物などいろいろなものが混じり合ったような異様な空気に、初めは一時間いるだけで息苦しく感じた。
この病棟には特に乳幼児が多く入院しているのだが、「若い」というより「幼い」母親が多いことに気付いた。多くが16歳〜18歳で、学校に通っている時に妊娠してしまい子供を産んだという。相手は?と尋ねると、ほとんどの母親から結婚していないとか、相手の男性が、周囲の家族ともども責任を認めず援助もしてくれない、などという答えが返ってきた。失業率の高いこの国では、学校に行かないことは職に就けないことを意味する。つまり赤ちゃんの父親は、パートナーを妊娠させてしまっても、その後結婚したり、責任を負うことで学業を続けられなくなることを恐れているのだ。こういう例は近年増えているという。
 
photo 発展途上国ではよくあることだが、女性の人権が軽視されていることも事実で、一度パートナーを失った女性は再婚などもってのほかで、一生独りで子供を育てていかなければならいのである。そんなの男の身勝手だ! 父親にも制裁を! 声を上げて言いたかったが、残念ながら日本的感覚はこの国では通用しないらしい。
 
photo 取材していく中で、若くしてシングルマザーになった女性に会った。ファティー25歳。彼女には間もなく2歳になるイブラヒムという息子が一人いて、さらに亡くなった姉の娘で10歳になるマミーも一緒に育てている。
結婚したのだが、ほどなく離婚。イブラヒムを産んですぐに腸チフスにかかり入院していたら、祖父母に預けていたイブラヒムまで肺炎と栄養失調、貧血から感染症にもかかってしまい入院させなくてはならなくなった。イブラヒムの体はやせ細り、肌にかけたタオルの上からも肋骨が浮き出ているほど。泣き声も赤ちゃんの泣き声というより子猫のような声だ。
そう、こちらの病院に来て気付いたのだが、日本の乳幼児病棟と決定的に違うことは赤ちゃんの声である。日本のように耳をつんざくような泣き声は聞こえない。栄養不足とマラリアや貧血で、泣き声も出ないほど衰弱している子が多いのだ。
 
photo そんな小児科病棟で当初はファティーを追いかけていたわれわれだったが、弟を献身的に看病するマミーの姿に心奪われていった。この病院には一週間ほど通いつめたが、ファティーがイブラヒムを懸命に看病するという光景を見ることはほとんどなかった。それをしているのはマミーだ。イブラヒムをおんぶしてあげたり、子守歌のようなものを歌ってあげたりと、10歳の少女が出来る精一杯のことを弟にしてあげている。それ以外にもマミーは、洗濯をしたり、食器を洗ったり、買い物に行ったりと、母親の仕事も代わってやっている。
しかし二人に出来ることといえばそれくらい。夫もいない、家族も貧しいファティーには、イブラヒムを救う薬を買うことができないのだ。ファティーにイブラヒムの容態を尋ねてみると、答えは「分からない」。明らかに衰弱している息子の容態が分らない? なんで? 理解できないことばかりだ。ファティーはこう続けた。
「看護師に息子を診せると、薬や点滴を勧められる。でも私にはそれを買うお金がない。だから聞いても仕方ない」
唖然とした。でもそこで、「そうだよね」とも「そんなの母親として無責任だよ」とも言えなかった。ここには明らかに、私たちの感覚からは考えられないルールが存在する。そう思ったら次の質問が出てこなかった。

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