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ネパールの貧困と親友との別れを綴った作品が 「全国小・中学校作文コンクール」で文部科学大臣賞を受賞!!

 12月4日(水)「第63回全国小・中学校作文コンクール」(読売新聞社主催、文部科学省後援)で関慶志君(東京都・啓明学園初等学校6年)が、見事、最優秀賞にあたる文部科学大臣賞を受賞しました。
 テーマは「ネパールの貧困」。
 関君は2012年4月から1年間、お父さんの仕事の関係でネパールに滞在していましたが、不慣れな現地の学校で関君に一番親切に接してくれたのが、今回の作文の“主人公”ともいうべき「アヌ」という名の同級生でした。
 関君はアヌ君とすぐに仲良くなり、彼のおかげでネパールでの学校生活をとても楽しく過ごすことができていたのですが…。

 FNSチャリティキャンペーン事務局では、コンクールを主催した読売新聞社と、関君の通う啓明学園、並びに父・昭典さんのご協力のもと、関君に直接インタビューをする機会をいただきました。
 大きくぱっちりとした目で、まっすぐに相手を見つめながら快活に語る関君。12歳の感性溢れる心の目には、親友との予期せぬ別れや貧困がもたらす理不尽な現実はどのように映っていたのでしょうか。


Q.まずは、文部科学大臣賞の受賞、おめでとうございます。

 

ネパールの貧困と親友との別れを綴った作品が 「全国小・中学校作文コンクール」で文部科学大臣賞を受賞 ありがとうございます。
 このコンクールには2年前にも応募して「読売新聞社賞」をいただきました。その時は、タイでお父さんの仕事のアシスタントをしていた20歳くらいの人のことを書きました。とても貧しい家の生まれで苦労した人でした。

 今回は、ネパールの親友のことを取り上げました。とても身近な存在だったし、(最優秀賞にあたる)「文部科学大臣賞」も初めてなのでとても嬉しいです。ただ、正式な発表や表彰式などはこれからなので、実はまだ実感がわきません。(注:取材日は11月25日)

 

 

Q.今回の作文コンクールに応募した動機は?


ネパールの貧困と親友との別れを綴った作品が 「全国小・中学校作文コンクール」で文部科学大臣賞を受賞  僕は、お父さんの仕事の関係で、2011年にタイのバンコクの学校、2012年にネパールのポカラの学校に通いました。タイでは日本人学校でしたが、ネパールでは現地の学校だったので、ネパール人の友達のことをいろいろ知ることができました。

 日本と違って、ネパールには勉強したくても家が貧しくて学校に通えない子供がいっぱいいます。僕は一人でも多くの「貧しい人」をなくしたいと思いました。そのためには、まず僕がネパールで体験したことを作文にして、たくさんの日本人に現状を伝えることが大事だと考えたからです。

 

 

Q.ネパールでの生活で苦労したことを教えてください。

 

 衛生面です。
 実は、5年前に家族でネパールを訪ねた時に、僕は食中毒にかかってしまって死ぬほど苦しい思いをしました。だから、もう絶対にネパールには行きたくないと思っていました。
 レストランも、安いお店はキッチンが汚くて、トイレは(汚物がこびり付いて)まっ茶色。病院なども酷い状態です。子供たちの飲み水を貯めておく学校の貯水槽にネズミ(の死骸)が見つかってびっくりしたこともありました。お父さんも赤痢にかかりました。
 でも、とにかくそこで生活することになったのだから仕方ない、と思うことにしました。
 ネパール語はわからなかったけど、授業は英語で行われていて、何とかついていけました。ただ、数学は日本の中学生レベルの内容でちょっと難しかったです。

 

 

Q.反対に、楽しかったこと、嬉しかったことは?

 

 すごく不思議なのですがネパール人は貧しいのに、いつもとても楽しそうにしています。 僕が初めて現地の学校に行った時も、みんな大歓迎してくれました。すごく親切で、みんなとすぐ友達になれました。全寮制の学校だから寝泊りも一緒。僕もネパールに居た時は、家族といるより学校で友達といる時間のほうが多かったと思います。
 ネパールでは、しょっちゅう停電があって、時には何時間も明かりがつかなくて大変でしたが、真っ暗になってもみんなが楽しそうに笑っているんです。気がつくと、停電にも慣れて平気になってしまって、とにかくみんなと一緒にいるのがすごく楽しくなっていました。その中で僕が一番仲良しになったのがアヌ君でした。すごく親切にしてくれたし、とても気が合いました。アヌ君とはいろんな思い出があります。

 

 

Q.アヌ君との間にはどのようなことがあったのですか?

 

ネパールの貧困と親友との別れを綴った作品が 「全国小・中学校作文コンクール」で文部科学大臣賞を受賞 アヌ君は明るくて、勉強もできて、僕はアヌ君の家にホームステイもしました。でも突然、学校をやめて親戚の知り合いの所で召使いとして働かされることになってしまいました。大きくなったらパイロットになりたいと言っていたのに…。お父さんからは、たぶんアヌ君はもう学校には通えずに召使いとしてそのまま大人になる可能性が高いと聞きました。
 アヌ君だけじゃなく、同じように学校をやめてしまう子も少なくありません。働ければまだ良いほうで、道端でストリートチルドレンになってしまう子もいます。

注:首都カトマンズから車で8時間。関君やアヌ君の通っていたポカラの学校は、海外の篤志家からの資金援助により授業料無料で運営されていました。全寮制で、山奥の貧しい村からも多くの子供たちを受け入れていました。それが、篤志家側の事情で資金援助が継続できなくなり、1ヶ月3000ルピー(日本円:約3000円)を支払わない生徒は退学せざるをえなくなってしまったのです。これは農村部の家庭のほぼ1ヶ月の収入分に相当し、貧しい家庭ではとても払うことのできない金額です。

 

 

Q.今、アヌ君はどうしているのでしょう?

 

 分かりません。もう連絡がとれなくなってしまいました…。

 

 

Q.関君はそんな状況をどう感じていますか?


ネパールの貧困と親友との別れを綴った作品が 「全国小・中学校作文コンクール」で文部科学大臣賞を受賞 日本に生まれた僕は、今、家族と一緒に日本の学校で幸せに暮らせて普通に勉強できているのに、アヌ君やたくさんの同い年の子供たちがネパールに生まれたというだけで、学校に通いたくても通えない。勉強したくても勉強することができない。家族とも離れ離れにならなければならない。どうしてなんだろうと思います。
 だから、もし日本から援助ができれば、ポカラに学校を作りたいです。それと、ネパールには優秀だけど能力が発揮できない若い人がいっぱいいるので、そういう人を日本に呼んで勉強してもらい、ネパールで先生として子供たちに勉強を教えてあげてほしいです。
 僕もしっかり勉強して、アヌ君のような辛い思いをしている子供たちに何かできることがないか一生懸命に考えていきたいです。


 関君は、普通の日本の小学生が体験したことのないようなショッキングな出来事から、様々なことを感じたようでした。そして、このような不条理が現在も同じ地球上の同じ世代の友達の身にふりかかっていることを解決・改善するために、今の自分に何かできることはないのかと真剣に悩んでいました。

  そんな思いに駆られながら応募した作文コンクール。インタビューの中で、関君自身は、何とか少しでも多くの日本の人々にネパールの貧困を知ってもらいたい、という強い思いを何度も口にしていました。

 今回は、当コンクールの主催者である読売新聞社のご理解とご協力により、受賞作品の全文をFNSチャリティキャンペーンのホームページ上で公開できることになりました。

 ぜひとも皆さんにお読みいただき、今のネパールで起こっていること、そして貧困がもたらす厳しい現実がどういうものなのかを、ぜひ知ってほしいと思います。そして我々に何かできることがないのかを、今一度考える機会にしていただきたいと願っております。

 

<撮影および取材:事務局長 川口哲生>

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