PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2018年8月

8月29日(水)

山口雄介さん

(日本財団パラリンピックサポートセンター)

2020年東京へ!選手を支えるパラアリーナ

山口雄介さん(日本財団パラリンピックサポートセンター)

選手たちの夢を支える「パラアリーナ」プロジェクトを進めた山口雄介さん

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「思いっきり練習できる場所が欲しい」
パラアスリートにとって練習場所の確保は大きな悩み。特に車いす競技は、体育館に傷がつくことを理由に断られることがある。数少ない練習場所を求めての移動も大きな負担だ。
そこで、日本財団パラリンピックサポートセンターがパラスポーツ専用の体育館「パラアリーナ・プロジェクト」を立ち上げた。スタッフの山口雄介さんは、さまざま々な競技団体、選手にヒアリングを行い、選手たちにとって本当に使いやすい理想の体育館を目指した。
そして今年6月、東京・お台場エリアに「日本財団パラアリーナ」をオープン。各パラスポーツに対応できるアリーナ、トレーニングルームを完備。バリアフリー設計はもちろん、トイレやシャワールームなどは、誰もが使いやすいユニバーサルデザインを追究。パラ競技団体等を対象に事前登録して無料で使うことができる。
今まで練習場所に苦労していたウィルチェアーラグビーチーム「BLITZ」の小川仁士選手は「こんな体育館が欲しかった。使いやすさは満点です!」と笑顔で語る。
2020年の東京パラリンピックへ、強化拠点となるパラアリーナが選手たちの夢を支える。

山口雄介さん(日本財団パラリンピックサポートセンター)

待望のパラスポーツ専用体育館

山口雄介さん(日本財団パラリンピックサポートセンター)

2020年東京パラリンピックへの強化拠点となる

1985年5月14日生まれ 33歳 東京都出身。
日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部所属。

<パラスポーツ専用「日本財団パラアリーナ」>
東京都品川区東八潮3-1(新交通ゆりかもめ「船の科学館駅」下車 徒歩すぐ)
建築面積:3,1872 使用料は無料。パラリンピック競技団体等が対象。
バスケットボール、ウィルチェアーラグビー、ボッチャ、シッティングバレーボール、ゴールボール、ブラインドサッカー、卓球など
ホームページ:https://www.parasapo.tokyo/paraarena/

8月22日(水)

臼井二美男さん

(義肢装具士)

夢へ走る力を共に

臼井二美男さん(義肢装具士)

臼井さんは義足づくりは「モノづくり+人づくり」と説明

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日本の義足製作の第一人者として、臼井二美男さんはパラリンピックで数々のメダル獲得に貢献してきた。
この世界に入ったきっかけは、中学生時代の担任教諭が義足だったこと。20代後半、自分の進路を決めあぐねていた時期に恩師のことを思い出し、義肢装具士の世界に飛びんだ。
1989年からスポーツの義足作りに取り組み、2001年シドニーパラリンピックから日本代表のメカニックとして同行。
臼井さんは一人一人に合った義足を、何度も何度も話し合いながらタッグを組んで作り上げていく。ユーザーによって感覚も好みも違い、その人の一番を作り上げていくことは容易なことではない。それでも、ミリ単位の調整を何度も繰り返し、最高のパフォーマンスができるようにサポートしてきた。
そして、アスリートではない義足ユーザーにも”再び走れる喜び“を知ってもらうため、1991年にパラ陸上クラブチーム「ヘルスエンジェルス」を創設。現在は「スタートラインTokyo」に改名し、義足で走るための練習会を続けている。参加者の中には、たったの5歩でも走れたことに涙する人も。
臼井さんは、努力を積み重ねることによって「できない、あきらめる、見ているだけにしよう」という気持ちを、「何でも挑戦してみよう」という“生きる”エネルギーに変えてほしいと願う。62歳になった今も「挑戦する気持ち」を忘れず、義足を作り続けている。

臼井二美男さん(義肢装具士)

不具合があればその場ですぐ微調整

臼井二美男さん(義肢装具士)

製作した義足は5000個以上

1955年8月28日生まれ 62歳 群馬県出身。
(公財)鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター所属。
2000年シドニー、04年アテネパラリンピック日本代表専任メカニック。数多くのパラアスリートの義足を製作する、スポーツ義足づくりの第一人者。
通常義足でもマタニティ、バイク、ファッションショー用など、これまで誰も作らなかった義足を開発。必要としている人のために、日々研究、開発、製作に尽力している。

8月15日(水)

正木健人選手

(視覚障がい者柔道)

身長190cm体重155kg
日本一大きな男が東京で輝く!

正木健人選手(視覚障がい者柔道)

気温40度近い中、汗だらけで練習する正木健人選手

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視覚障がい者柔道100キロ超級・正木選手が練習している天理大学の柔道場に足を運ぶと、そこには名だたる柔道家がズラリ。リオ五輪で金メダルを獲得した大野将平選手、さらに日本代表・井上康生監督の姿も!健常のトップアスリートと切磋琢磨しながら練習に取り組み、己を鍛えている。

体重155キロの体格は何をするにも豪快。自宅では丼の卵かけご飯をかきこみ、ウーロン茶は500mlのビールジョッキで一気に飲み干す。
「飲みに行った時は、飲む量も食べる量もヤバいですよ(笑)」
大柄な体はマスコットキャラクターのように感じられるらしく、子供にも大人にも「可愛い!」と言われる、本人は少し複雑だそうだが、誰からも愛されるキャラクターは、きっと2020年東京で輝きを放つに違いない。

正木健人選手(視覚障がい者柔道)

卵かけご飯を豪快に食べる

正木健人選手(視覚障がい者柔道)

必死に稽古

1987年8月9日生まれ 31歳 兵庫県出身 エイベックス所属。
小学校卒業時には身長は180cmを超え、友人の勧めで中学から柔道を始める。もともと弱視だったが、視力は0.08程度で生活にそれほど支障がないと感じたため、健常者と共に練習。大学では柔道の名門・天理大学に入学したが、大学4年の時には視力が0.03まで下がり、視覚障がい者柔道に転向した。
パラリンピックでは2012年ロンドンで金メダル、2016年リオで銅メダルを獲得した。

8月8日(水)

伊藤建史郎選手

(サーフィン)

目指すは世界の頂点

伊藤建史郎選手(サーフィン)

毎日が生きがい。サーフィンを1日でも長く続けたい

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障がい者サーフィンの世界一を目指す義足サーファー・伊藤建史郎選手は5年前、仕事中の事故で右足のひざから下を失った。
16歳の頃から続けてきたサーフィン。最初はもう出来ないと思っていた。突然のことで自暴自棄になりそうだったが、ある日病院のベッドで、自分と同じように右足を失った海外のプロサーファーが義足でサーフィンをしている動画を見つけて一念発起。
当時の日本では海で使用できる義足はなじみがなく、全てが手探り状態だった。医者には「サーフィンなんて何を言っているんだ!」と言われた。それでも義足を作る会社を複数訪ね、ついに競技が可能な義足を手に入れた。
そして、2017年の障がい者サーフィンの世界大会で見事3位を獲得。2020年東京パラリンピックで障がい者サーフィンは競技にこそならなかったが、いつかパラリンピックで正式競技になった時、表彰台の一番高い場所に上がることを夢見ている。心配をかけてしまった家族のために、そして自分と同じような境遇になった人たちの希望となるために、伊藤選手は日々邁進する。

伊藤建史郎選手(サーフィン)

試行錯誤して作ったサーフィン用の義足

伊藤建史郎選手(サーフィン)

義足サーファーの第一人者

1977年5月22日生まれ 41歳 東京都出身 TEAM POSITIVE所属。
2013年仕事中に事故に遭い右足ひざ下を切断。
2016年ワールドアダプティブサーフィンチャンピオンシップ(障がい者サーフィン世界選手権)4位。
2017年ワールドアダプティブサーフィンチャンピオンシップ(障がい者サーフィン世界選手権)3位。
目標はパラリンピックで金メダル。世界で一番になること。

8月1日(水)

大橋海人選手

(プロサーファー)

皆が楽しめる海に

大橋海人選手(プロサーファー)

誰もが休日に安心して集まれる“ユニバーサル・ビーチ”を理想とする大橋選手

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「小さい子供からおじいちゃん、おばあちゃん、ハンディキャップのある方々みんなが休日に集まれるビーチが、僕の理想なんです」
そう語るのは、地元の湘南・茅ヶ崎を拠点として活動しているプロサーファー、大橋海人選手。
理想の“ユニバーサルビーチ”を実現するため、「海」をキーワードにさまざまな垣根を超えるサーフィン体験イベントを開催した。
大橋選手は友人でもあるシドニーパラリンピック金メダリストの葭原滋男選手との雑談から、このイベントを思いついた。
ハンディキャップを抱えていると、「海に行きたい、サーフィンをしたい」となかなか言い出しづらい。そんな人たちに、海での思い出を作る場を提供したいという想いが企画を作った。
今年で2回目の開催となるこのイベントは、プロのサーフィン大会の隣で行っているため、参加者は日本のトップサーファーたちから指導を受けることができ、トップサーファーたちにとってはサーフィンが楽しくて仕方なかった頃の気持ちを思い出させてくれる。「お互いにとって良いことしかない」イベントとなっているという。
「このイベントを良い意味で踏み台にしてもらって、日本中、世界中にこの輪が広がっていけば、僕は本当に幸せです」
プロサーファー・大橋選手が見つめる“その先の自分”とは。

大橋海人選手(プロサーファー)

大橋選手(左)は2人での雑談がイベント開催のきっかけとなった葭原選手(右)と談笑

大橋海人選手(プロサーファー)

波に乗る葭原選手(中)。信頼する大橋選手(後ろ)のサポートもあり、見事成功

1992年2月16日生まれ 26歳 神奈川県出身 レプロエンタテインメント所属。
地元の湘南・茅ヶ崎を拠点として日々進化を遂げる若手のホープ。
数々のコンテストで優勝を飾り、2009年にはJPSA公認プロを取得。
その年の「ルーキーオブザイヤー」受賞。
2013年には24年ぶりに開催された、伝説の大会“稲村サーフィンクラシック”で優勝を果たした。
2015年「WSL Japan Regional Champion」に輝く。
世界に近いサーファーとして今後の活躍が期待されている。