PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2017年2月

2月22日(水)

佐々木ロベルト泉選手

(ブラインドサッカー)

佐々木ロベルト泉選手はブラジル・サンパウロ出身の日系3世。サンパウロ郊外の農家の長男として生まれ、子どもの頃は新聞紙を丸めたボールを裸足で追いかけた。16歳で父親を亡くし兄弟の生活を支えるため18歳の時に来日。日本の生活にも慣れた2006年11月、自動車事故で心臓を損傷、顔を骨折し、両眼球を摘出。一度は「人生が終わった」と思ったが、苦労の多い人生を送ってきた経験から命だけでも助かったことに感謝し、前向きに生きることへとすぐに気持ちを切り替えた。転機は、2009年にマッサージ技術を学ぶために筑波技術大へ入学したときのこと、知人から「ブラジル出身なら、ブラインドサッカーをやろうよ」とクラブチームに誘われ、「スパイクを履いたのは日本に来て初めてだった。日本は本当に豊かな国でうらやましい」その気持ちを胸に、クラブチームの日本一を決める日本選手権に出場するまで上達。ブラインドサッカーに打ち込みクラブチームで戦う中、日本代表監督から「日本代表にならないか?」と声がかかり、2013年末に帰化。いまや日本代表にはなくてはならない存在となった。プライベートの時間は心許せる友人と冗談を言い合うなど、気さくな表情を見せる佐々木選手だが、プレーに入ると一転。世界一になるためには、「まずは『絶対に負けない』という気持ちが大切」と、周りの選手達にも日頃から全力でプレーすることを求め、誰よりも自分がそのことを実践している。東京パラリンピックでメダル獲得はもちろんだが、まずはアジア一の座を獲るべく日々練習に打ち込んでいる。

佐々木ロベルト泉(ササキ ロベルト イズミ)
1978年5月2日生まれ 38歳 ブラジル・サンパウロ出身
Avanzare(アバンツァーレ)つくば所属
ポジションはフィールドプレイヤー。1996年に来日した。2006年に自動車事故で両目を摘出し、視覚障がいを負った。2013年に日本代表選手となり、リオパラリンピック予選にも日本代表として出場。モットーは「前向きに生きる」

2月15日(水)

道下美里選手

(マラソン)

「仲間がいるから私は走ることができる」そう語る視覚障害マラソンランナーの道下美里選手。光をわずかにしか感じられない道下選手の走りを支えるのは伴走者と呼ばれるサポートランナー。道下選手と伴走者は赤いロープを持ちながら一緒に走る。伴走者はコースの方向、路面の状況、走行タイムを選手に伝え、給水の補助などをサポートする。選手と伴走者はまさに“一心同体”どちらかが調子を崩せばタイムは落ち、リズムをピタリと合わせて走らなければならない。道下選手は二人をつなぐロープを“赤い絆”と呼び、「それはまるで血管のように繋がっていて同じ鼓動を刻む感覚」だという。伴走者との揺るがない信頼関係がなければ走ることはできない。道下選手は大濠公園で日々ランニング練習を行っていて練習には「チーム道下」と呼ばれる仲間たちが交代でサポートしてくれている。そんな伴走者の一人、堀内規生(ホリウチ ノリタカ)さんは「自分は彼女の目の代わり。走り終わった時に、まるで見えているように走れたと言ってもらえることが一番嬉しい」と語る。そして自分も競技者だという意識を常に持って伴走している。そんな伴走者にとって唯一の悩みは、レース中に“頑張れ!”と選手に言ってはいけないこと。伴走者から選手への叱咤激励はルールで禁止されているからだ。選手が苦しんでいる時は、心の中で「頑張れ!」と叫びながらも冷静に情報を伝えることに徹しなければならない。しかし、言葉にしなくても、その気持ちは伴走者から選手に赤い絆を通して伝わっている。2016年のリオパラリンピックで銀メダルを獲得した道下選手は今、40歳。「過去の自分に絶対に勝ちたい!」と語る道下選手は現役を続行。チームの応援を力に、2020年の東京では金メダルを目指す。

道下美里(ミチシタ ミサト)
1977年1月19日生まれ 40歳 山口県出身 三井住友海上所属
中学生のときに右目の視力を失い、その後、膠様敵情滴状角膜ジストロフィを左目に発症し、視力が0.01以下になった。2016リオデジャネイロパラリンピック 視覚障害者マラソン女子で銀メダルを獲得。100人を超える「チーム道下」の応援を力に2020東京パラリンピックでの金メダルを目指す。

2月8日(水)

藤井 新悟・郁美夫妻

(車椅子バスケットボール)

車椅子バスケットボールチーム「宮城MAX」に夫婦で所属する藤井新悟・郁美夫妻。「どこの夫婦よりも一緒にいる時間が長いんじゃないかな?」と夫の新悟さんは嬉しそうに語ってくれた。夫の新悟さんは19歳の時にスキーの事故で脊髄を損傷し、車椅子生活に。妻の郁美さんは中学3年生の時に悪性の骨肉腫により人工関節となった。そんな2人が出会ったのは、郁美さんが女子の日本代表合宿で宮城に来たときのこと。合宿後、郁美さんは横浜のチームから宮城MAXに移籍し、一緒に練習する中で惹かれ合っていき、2012年に結婚。みぞおちから下が動かない新悟さんを、人工関節で歩く事が出来る郁美さんが支えながら生活している。そして、2014年12月に長男の蒼空(そら)くんが誕生。寒い中でも練習場に来て待っていてくれる息子のためにも頑張りたいと、2人は語る。新悟さんは、アテネからリオデジャネイロパラリンピックまで、4大会連続でパラリンピックに出場。北京・ロンドン大会ではキャプテンを務めた。一方、ロンドン、リオと2大会連続で出場を逃している郁美さんは「家族としては応援したが、選手としては悔しい思いで見ていた。」と振り返る。「2020年の東京パラリンピックには2人揃って出場する」と、2人は新たな目標へ向けて戦う決意をする。

藤井新悟(フジイ シンゴ)
1978年1月2日生まれ 39歳 秋田県出身 富士通コミュニケーションサービス所属
宮城MAXでポジションはガードを務める。1999年から車椅子バスケを始め、アテネ・北京・ロンドン・リオデジャネイロと4大会連続パラリンピック出場。現在は宮城MAXで女子チームのコーチも兼任している。 藤井郁美(フジイ イクミ)
1982年11月2日生まれ 34歳 神奈川県出身 クックパッド所属
同じく宮城MAXに所属し、ポジションはパワーフォワードを務めている。高校2年で車椅子バスケを始め、北京パラリンピックに出場している。母親になっても車椅子バスケを続けポイントゲッターとしてチームに貢献する。

2月1日(水)

高嶋活士選手

(馬術)

元日本中央競馬会の騎手。幼い頃から動物が好きで体が小さかったため騎手を志し2011年にデビュー。しかし一度も勝てないまま2013年2月障害レースでの落馬事故で意識不明の重体となる。その後、奇跡的に意識を取り戻すが、高嶋選手は落馬した当日の記憶が無く「馬に乗るのは全く怖く無いんです」と笑顔で話した。「自分には馬に乗ることしかできない」と高嶋選手は現役復帰。初勝利を目指して2年間もの懸命なリハビリを続けた結果、日常生活は問題なく送れるようになるまでに回復。しかし、右半身麻痺の後遺症が残り引退を決意。人生の目標がなくなり辛い時期を過ごしていたある日、ニュースでパラ馬術の存在を知り、東京パラリンピックを目指すことを決意して2015年にパラ馬術の門を叩く。「馬を速く走らせる競馬と、馬に決まった演技をさせる乗馬は全くの別物。競馬の癖が抜けていないとよく注意されます。でもまた馬と触れ合える生活ができるだけで嬉しいし、東京パラリンピックでは乗り馴れた馬を長距離輸送しなくてもすむので地元が有利。だからいい結果を出せる様に頑張りたい。」と高嶋選手は新たな挑戦に燃えている。

高嶋活士(タカシマ カツジ)
1992年12月2日生まれ 24歳 千葉県出身
トレッサージュ・ステーブル・テルイ所属
2013年の障害レースで落馬し右半身に麻痺が残り競馬を引退。その後、2015年にパラ馬術を始める。2016年10月の第24回全国障がい者馬術大会で優勝し、2017年1月の日本障がい者乗馬協会パラ馬術オーストラリア強化合宿に強化選手として参加。