2002年3月30日(日) 26:45~27:45
1979年。失意の中BLACK SABBATHを脱退したヴォーカリスト「オジー・オズボーン」は、心身ともにひどい状態で、自身のバンド結成の為にギタリストを探していた。そんな中、若き天才ギタリスト「ランディ・ローズ」と出会う。
ランディがプレイしていた「QUIET RIOT」は日本のみで2枚のアルバムをリリースしていたが、アメリカでもL.A.以外では全く無名だった。
1981年、新生「OZZY OSBOURNE」は、2月に「BLIZZARD OF OZZ」、同年12月に「DIARY OF A MADMAN」という歴史的名盤をリリース。
当時から黒魔術のイメージでカリスマ性を発揮していたオジーと、美しくクラシカルなメロディを奏でるランディの絶妙なコラボレーションがファンの絶大な支持を獲得した。
しかし翌1982年3月19日、ランディ・ローズは小型飛行機の墜落事故により突然他界。享年25歳、あまりにも悲劇的な出来事だった。のこされたオジーはランディの影を引きずったまま、ヘヴィ・メタルの帝王に君臨する事になる。
この若き天才ギタリストの映像はほとんどなく、長い間ファンの目に触れる機会がなかった。彼の死後5年経った1987年にLIVE版「TRIBUTE」リリースされた時に流されたビデオクリップ「Crazy train」と、オジー・オズボーンが引退を表明した1991年に発表したヒストリー・ビデオ「DON'T BLAME ME: THE TALES OF OZZY OSBOURNE」の中で、断片的に見ることができるのみである。
「Crazy train」と「DON'T BLAME ME」に使用された映像は、唯一オフィシャルとしてオジーの手元に残る、「AFTER HOURS」というテレビ番組用に1981年4月28日に、NY, Rochesterで収録されたものだった。
AFTER HOURSでプレイされているのは、
「I don't know」
「Suicide solution」
「Mr.Crowley」
「Crazy train」
の4曲。
2nd.の「DIARY OF A MADMAN」のリリース前なので、すべて1st.アルバム「BLIZZARD OF OZZ」に収録されている曲である。
ランディのギター・プレイが見たい! ファンの当然の欲求は粗悪な海賊版の氾濫を招いた。
2001年春、「ランディ・ローズのドキュメンタリーを創りたい。」NONFIXの要望に対し、オジーと、オジーの妻でもあるマネージャーのシャロン・オズボーンは、「AFTER HOURS」のマスター素材提供と、インタビュー取材を快諾してくれたのだ。
そして、ランディの母ドロレス・ローズをはじめ、ランディに関わり、今回インタビューに協力してくれた人々は一様に、取材クルーを心から暖かく迎えてくれ、ランディとの思い出を熱心に語ってくれたのだった。
2002年2月…帝王「OZZY OSBOURNE」が6年振りの新譜「Down To Earth」を引っさげて来日した。初版のCDエクストラには、ランディ・ローズの映像が収録されている。「AFTER HOURS」だ。
2002年3月19日はランディ・ローズの20周忌にあたる命日である。
NONFIXは400回突破の特別企画として、この番組をランディ・ローズに捧げたい。
オジー・オズボーン、シャロン・オズボーン、ザック・ワイルド、
ルディ・サーゾ、ケリー・ガルニ、ジョー・ホームズ、ジョン・スティクス、
ケル・ローズ、キャシー・ローズ・ダルジェンツィオ、ドロレス・ローズ
八木亜希子
小島裕史(フェルナンデス)
Hyper Image Entertainment Inc.(L.A.)
ソニー レコード インターナショナル
ウドー音楽事務所
三村直幹(エンジン)
佐藤栄治(エンジン)
小梁一正(テレコムスタッフ)
【地上波】
3月30日(土)26:45~27:45 (F1予選延長により、最大40分繰り下げの場合あり)
【フジテレビ721】
4月21日(日)16:40~18:00
4月27日(土)18:30~19:50