2001年11月17日(土)28:05~29:05(関東)
「本物の戦場とは一体どんな場所なのか?」
そんな疑問が2001年の日本を覆っていたのではないだろうか。「パールハーバー」をはじめとする映画や小説の戦争ブームとは裏腹に、街の声は意外なほど冷静に、太平洋戦争の本質を捉え直そうとしていたのではないか。
小泉総理大臣が8月15日の終戦記念日に予定していた靖国神社公式参拝を、中国や韓国の猛烈な抗議で8月13日に変更したことも、実は戦場の実態と無縁ではない。抗議の背景には旧日本軍の戦場での行為が明らかに見え隠れする。
また、扶桑社版「新しい歴史教科書」はこれまでの教科書とはちがった歴史解釈を示し、内外の大きな注目を集めた。
「当時の戦場とはいったいどんな場所だったのか」確かめる方法は一つ、旧日本軍の兵士たちに話を聞くことである。しかし、これまで一般に旧日本兵の証言を聞く機会はほとんどなかった。
2001年2月、ドイツ・ベルリン映画祭。ドキュメンタリー映画「日本鬼子(リーベンクイズ)」がセンセーショナルを巻き起こした。
旧日本兵たちは語る、「戦場で中国人女性を犯し、殺し、食った…」と。
証言しているのは、中国帰還者連絡会(中帰連)のメンバーである旧日本兵たち。
太平洋戦争終結時中国大陸にいた彼らは、シベリアに送られ、5年間の労役を経た後、中国の戦犯管理所に収容された。ここには当時、満州国最後の皇帝「溥儀」も収容されていた。管理所での5年にわたる生活で、旧日本兵たちは次第に自らの罪を認めるようになっていったのだと言う。中国から復員した彼らは中帰連を組織して、二度と戦争を繰り返さない様にとの願いのもとに、戦場の実態を語り続けてきたという。
監督の松井稔は55歳。テレビ番組の演出を多く手掛けてきた彼は、自主製作でこの映画を完成させた。
元兵士に取材する熊谷さん
そしてもう一人、中帰連を取材し続けている男、熊谷信一郎、27歳。若い世代の彼が中帰連を知ったのは、自らが設立したホームページに寄せられた情報が元だったという。
熊谷が老人たちの取材に夢中になったのは、彼等と共に行った中国旅行がきっかけだった。
50年前に収容されていた戦犯管理所を訪ね、自らの罪を悔いた老人たちの真摯な姿に、熊谷は胸を打たれた。
戦争体験のない熊谷は、老人たちの証言を通して本物の戦場を再現しようとしている。しかし、老人たちには以前から、戦犯管理所で中国共産党に洗脳されたという噂があった。果して彼等は洗脳されたのだろうか。
番組では、本物の戦場を知る為に奔走する二人の男と元兵士たちの人間像を追う。
1959年 | 宮城県生まれ。 | |
1992年 | 新藤兼人監督の助監督を経て、映画「あふれる熱い涙」で監督デビュー。 第1回日本映画ビエンナーレ銀賞(フランス)、 おおさか映画祭新人監督賞、 全国映連新人監督賞受賞 |
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1996年 | 「Mr.Pのダンシングスシバー」の脚本が「シネマ100/サンダンス国際賞(脚本賞)」の日本代表となり、映画化へ。 | |
1998年 | 映画「Mr.Pのダンシングスシバー」公開 | |
2000年 | 朝日ベストテン映画祭・日本映画部門1位 | |
テレビの演出として「奇跡の生還者」「恋ノウタ」(フジテレビ)「課外授業-ようこそ先輩」(NHK)など多数、また、コンピューターゲーム「シェンムー」(セガエンタープライゼズ)海外版の演出も手掛ける。 現在、新作執筆中。(2001年11月) ※「Mr.Pのダンシングスシバー」は12/20(木)13:00より、「第4回NHKアジア・フィルム・フェスティバル」(東京国際フォーラム・ホールD)でハイビジョン上映、有料。 |