NONFIX過去放送した番組

僕が就職活動中のころ(1997年)、企業の募集要項にやたらと、「個性的な人材求めます」なる謳い文句がはやりだした。面接試験の時には、こんなことが…。

(軍パンはいたドレッドな学生が、自己アピールの場で)
 面接官: 「君、変わったカッコしているね」
 軍パン: 「ワタクシは人と同じことをするのが嫌いであり… 個性ではないでしょうか…」
???

(佐野ディレクター)

現代、日本では、「一億総個性化計画」進行中、個性的な人材を企業は求め、小学校では個性化教育が花盛り、中学校からは偏差値が消え、大学入試も一芸や面接重視で学生の個性を見る。
「個性的だね」って最高の賛辞です、「どこにでもいそう」って言われたくありません。
「個性」見えないし具体的でないけれど、人心くすぐるこの良さげな言葉……
「個性がない」と言われてきた日本人が、今個性的であることに着目しています。

■ 1984年 臨時教育審議会 発足

【一億総個性化計画 始動!!】

時の内閣総理大臣、中曽根のもと臨時教育審議会が開かれる。
1982年の校内暴力のピークを受けて、加熱する受験戦争、学歴偏重の社会にどのような処方箋を示すのか、審議が繰り返された。
ここに初めて掲げられた教育目標が「個性の尊重」である。
これより後、日本の一億の個性化が始まる。

■ 1989年 学習指導要領の改訂

【初等教育の個性化】

教科書の元となる、学習指導要領、ここにはじめて「個性の尊重」が明記された。
以降、小学校では、チャイムを鳴らさなかったり、教壇がなかったり、教室の壁がなかったり……と、個性化教育のさまざまな取り組みを行っている。
授業の形態も、子どもたちが、好きなものを好きなだけ追求していくというスタイルが重視される。こうした個性のはぐくみの中で、児童たちの生き生きとした様子を見ていく。

■ 1993年 業者テストの廃止

【中等教育の個性化】

中学生の進路を大きく左右していた、偏差値がなくなった。
今や中学校には、子どもの学力を測る機会がない。そのかわり個性を活かす進路指導が行われているという。今回取材する世田谷区立富士中学校は、「生き方指導部」を設置し、個性のはぐくみを実践している。

■ 1990年 大学入試センター試験の導入

【高等教育の個性化】

センター試験の導入もまた、学生の個性を活かした進学を目指して導入されたもである。センター試験で基礎学力を問い、2次試験で各大学個別の試験(面接、自己推薦、一芸)を実施するというのが、その大きな狙い。
亜細亜大学では、1990年から日本初の一芸入試を導入している。そして昨年からは、一芸改め、「個性値推薦入試」として新しくスタートした。亜細亜大学の個性値高き新入生たちを見ていく。

そして一億総個性化計画の第一世代の子どもたちが世の中に出始めた。

■ 1997年 フリーター150万人突破

【一億総個性化計画の子どもたち?】

「就職は自分の個性を無くす」
「自分のやりたいことをやって生きていきたい」
そう言って、中里、紀伊、箕輪、大田はフリーターという道を選択し3年目を迎える。
しかし、現状の彼らは、「自分のやりたいことをやって生きていきたい、けど、そのやりたいことが分からない」というのが本音のところ。
個性的であるために、フリーターを選択したものの…、彼らの苦悩の様子を見ていく。


1984年に端を発した一億総個性化計画が、目指したものは何だったのか?
「個性的である」とはどういうことなのか?
「個性」とは何なのか?



◆ FFS理論

別名「個性値診断理論」。80問の設問により、人間の個性を五つの因子で分析、27タイプのパターンに振り分ける。そして適正を見極め、補い合う関係を築き、最適のチーム作り上げる、米国海兵隊が最初に支持した世界で唯一の最適組織編成法。
理論創設者の小林恵智さんは、米軍との10年間の機密保持期間を終え、日本に持ち帰り経営支援会社インタービジョンを設立、民間にも理論の提供を始めた。
新しい企業経営のために、個性を科学的に解明し適材適所への配置が目指される。

株式会社インタービジョン:http://www.inter-vision.co.jp/


■プロデューサー
仁木啓介
■ディレクター
佐野達也
■カメラ
神山健一郎
■制作
テレビマンユニオン
フジテレビ