なでしこ隊
- なでしこ隊と特攻隊 -

■「なでしこ隊」とは?
1945年3月27日から4月18日までの23日間、知覧基地で特攻隊の奉仕を命じられた知覧高等女学校3年生の少女たち。校章がなでしこの花であったことから「なでしこ隊」と呼ばれました。

彼女たちの任務は、特攻隊員のために掃除・洗濯・給仕・裁縫などの世話をし、彼らの「死への出撃」を笑顔で見送ること。
死にゆく若者を次々と見送り続けるのは、当時15歳の少女たちにとって、辛く悲しい日々でした。

「軍神」に仕えるという緊張から、始めは特攻隊員と話すことすらできなかったなでしこ隊でしたが、交流を重ねるにつれ、彼らとの間に深い絆が芽生え始めました。元特攻隊員・中山力造さんは言います。「明日死ぬかもしれないという殺伐とした基地生活の中で、彼女たちと過ごした時間だけは華やいだ気分になった。ひと時でも、特攻のことを忘れることができた。嬉しかった。」いつしかなでしこ隊は、特攻隊員にとって、かけがえのない存在となっていました。しかしそれにより、少女たちは特攻隊員の壮絶なる苦悩を知ってしまうのです。

■「特攻」とは?
1944年10月―。
圧倒的な戦力を誇るアメリカ軍を前に、サイパン陥落に続き、テニアン・グアムも奪われ、窮地に陥った日本軍が決行した作戦…
それが「特別攻撃」すなわち「特攻」でした。

爆弾を抱えた戦闘機に乗り込み、敵艦めがけてわが身もろとも激突する。
それは、決して生還することを許されない「死への出撃」。
この人類史上例のない、異常ともいえる作戦を命じられた者の多くは、二十歳前後の未来ある若者たちでした。
当時、一機をもって一艦を沈める特攻は、戦局を挽回する起死回生の作戦とされ、御国の為に自らの命を絶つ特攻隊員は、死をも恐れぬ「軍神」として奉られました。

しかし、当初はある程度の戦果を挙げていた特攻も、次第にアメリカ軍の激しい迎撃に撃墜され、その成功率は、わずか16.4%に過ぎなかったといいます。

そして、この特攻作戦により、陸海軍合わせて5800名以上もの尊い命が失われたのです。

[特攻日記]
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