ネパール連邦民主共和国
 
ネパールを漂う子どもたち

カトマンズの空港に到着したのは深夜だった。私たちの到着とほぼ同時に、ドバイからの乗客が、別の航空機を降りてくる。空港のロビーから出ると、そこには無数の人々が集っていた。何事か。彼らは、ドバイに出稼ぎに行った家族の帰りを迎える人だという。今か今かと待ちわびる家族と、大きな荷物を抱える出稼ぎ帰りの男たちの熱気が辺りに充満していた。しかし、目を細めても彼らの顔や姿がはっきりと見えない。停電で、真っ暗闇だからだ。

空港で出会ったこのシーンにこそ、ネパールが置かれている現状が凝縮されている。 世界中の富に吸い寄せられる。中東諸国、隣国のインド、日本…。そして、ネパール国内に目を向ければ、山間部の地方から都市へ。富を求めての大移動が行われている。

今回、取材した子供たちは、みな、その富に吸い寄せられる流れに漂っていた。インドとの国境に近いチトワンのレンガ工場で働くスラワン君。せっせと型を取り、レンガを象っていくのは、単調な作業の繰り返しだ。その傍らで働く父親も行う作業は同じ。
スラワン君は、「本当は勉強がしたいんだ」という。単純な仕事よりも、今の自分にとって何が大切なのか、はたまた、何を話したら、異国からカメラを持って進入してきた私たちが喜ぶのか、をわかっているようだった。彼が暮らしていたのは、工場の敷地内にある2畳ほどの小屋だが、雨期に入る今頃(6月)には、すでに、その小屋は取り壊され、再び、地元に帰っている。父も母も識字がままならず、子供を学校に行かせないのは、その行かせ方がわからないからだという。スラワン君の20年後の姿と、今隣にいる父親の姿が重なった。この父親も20年前にはスラワン君と同じように、勉強をしたがっていた子供だったのではないか。20年、この国は、前に進みだせずにいる。

次の取材ポイントに行くと、スラワン君ですら、恵まれていることがわかった。採石現場で働くアサちゃんに両親はいない。母は病死、父は失踪した。それでも、洗濯、食器洗い、豚のえさやりといった家事、そして、採石。1日中、仕事をして過ごす。それでも彼女には笑顔があった。それだけが唯一の救いに感じてしまった。彼女は、将来の夢も目標も理想もまったく持てない。ただ、毎日、体を酷使した労働に費やす日々が続いていく。彼女も、この採石現場という富を生み出せる場所に辛うじて吸い付き、当分、離れられそうにない。

最後に訪れたのが、カトマンズの人身売買被害少女の保護施設。ここには、隣国インドや中東などに売られていった少女が、暮らしている。ここ出会ったプルサニさん。彼女のたどった運命は想像するだけで、吐き気をもよおすような、残酷な現実だった。
彼女もまた、富のある方に、貨幣で交換可能な「モノ」として、行かされた。どこに根を張ることもできず漂っていた。彼女は、これから、根を張ろうと、今、準備を始めたばかりだったのだが・・・。

一連の取材については、ネパールのユニセフ事務所、政府高官候補?のアニル氏、パーフェクトな日本語を駆使するラクスマン、ラジェンドラ両氏。現地の温かいスタッフたちのおかげで無事に取材を進めることができ、この場を借りて御礼申し上げます。
1人でも多くの方が、このキャンペーンを通じて、普段はなじみのないネパールのことに目を向けてくだされば幸いです。

情報制作局 とくダネ!ディレクター 今野秀隆

情報制作局 とくダネ!ディレクター 今野秀隆