ネパール連邦民主共和国
 
人身売買がなくなる日がくるまで

「今年度の支援国はネパールです」と言われ、正直「えっ?」と思ってしまった私。ネパールというと、ヒマラヤ山脈や世界最高峰エベレストへの玄関口として有名なため、全てが裕福と言わないまでも、ある程度観光地として栄えているだろうという印象があったからです。今、一体何が問題なのだろう。
4月下旬、そんな思いを抱きつつ向かったネパールで、私は目の当たりにした現実に言葉を失いました。2週間滞在し各都市で取材を進めると、貧困から生じる児童労働の実態。そして、想像を絶する人身売買という子供たちを取り巻く深い闇が存在していました。

首都カトマンズからは車で4時間程、世界遺産にも登録されている地方都市チトワン。賑わいを見せる街の中心地から住宅地を抜け、車で10分ほど進むと、もくもくと黒い煙を空に送り出す煙突が見えてきました。これまでの風景と全く違う赤茶色の世界。そこは大きなレンガ工場でした。
そこで出逢った10歳の少年スラワン。両親、妹の4人家族で地元では農業を営んでいますが、乾期の半年間だけは家族総出で出稼ぎにやってきます。工場の敷地内にレンガで簡易的な小屋を建て、そこで寝泊まりしながら、ひたすらレンガを作る毎日。地元では学校に通っているスラワンは、レンガ工場でも学校に通いたいと父にお願いしましたが、父はできるだけ収入を得るためにスラワンに仕事を手伝うように指示していました。レンガ作りに精を出すうち、気づけばスラワンは以前は書けたという自分の名前も書けなくなっていました。
スラワンの母に話を聞くと、「学校に通えていない状況はもちろん良くないとわかっている。ただ学校の費用の問題、それとスラワンの労働力を頼りにしないと生活が苦しい」と目にいっぱい涙を浮かべて呟きました。本当に正直な気持ちだったのでしょう。ただ、読み書きができないまま大人になることが何を意味するのか、母はわかっているのです。心苦しい葛藤を垣間見た気がしました。

場所は変わり、カトマンズから西に約200キロ、アンナプルナ連峰も見渡せることからリゾート地としても知られる街ポカラ。その中でも観光客は全く知らないであろう場所、それは乾期の間だけ干上がり採石場と化す、とてつもなく広い河川敷でした。
そこで出会った3人兄妹マデュ・ブジェル12歳、キラン9歳、アサ7歳。母は突然亡くなり、その後、父は地方都市に仕事に行ってくると言い残したまま、約半年も帰ってきません。3人は別々の家に預けられ、大人とともに石や砂の選別作業を手伝いながら、食事などの面倒を見てもらっています。
末っ子のアサは食堂のオーナーに引き取られ、石の選別だけでなく、大量の食器洗いや洗濯、水汲み、そして家畜の豚の世話など、1日10時間ほど働いています。それでも笑顔を絶やさず、一生懸命健気に働くアサに、将来どうなりたいかと聞いてみると「わからない」と、ただその一言でした。彼女は今、自分が置かれている状況をまだ小さい子供ながらに理解し、半年後、1年後のことも全く想像できないまま、今この瞬間だけを必死に生きています。オーナーの家も貧困です。いつ、「出ていって」と言われてもおかしくはありません。行くあてのない人生にならないように、そして、アサにこれ以上の不幸が訪れないように。私は祈るしかありませんでした。
貧困が原因で学校に通えないどころか、貴重な労働力として扱われ、大人と同じような危険な重労働を強いられる子供たち。みな「学校に行きたい、勉強したい」と口にします。それもそのはずです。10歳を過ぎても自分の名前すら書けない子供が大勢存在するのです。母国語であるネパール語で自分の名前が書けない。日本では考えられないことです。
レンガ工場や採石場などを見ていると、親をはじめ周囲の大人たちの教育への意識を改革できれば、児童労働の問題が少しずつ改善されるのではという印象を受けます。子供の将来がどうなっていくのか。長い目で子供のことを見ることができれば、必然と答えは出るのではないでしょうか。 首都カトマンズで引き続き取材を進めると、この国が抱える悲しい現実がさらに見えてきました。日本語で「女性の実家」という名前のNGOが設立した施設マイティネパール。ここで共同生活を送る約500人の中には10代の子も多く、日本から来た私たちに、恥ずかしそうに幼さの残る可愛らしい笑顔を見せてくれました。そんな彼女たちがいったいなぜこの施設にいるのか。それは同じ女性として聞くにも堪えない、まさに地獄としか表現できない、人身売買という過去のためだったのです。

プルサニ・タマン17歳。カトマンズの北にある切り立った山間部に彼女が住んでいた村があります。貧困のため、学校に通えず家事や草刈りなど農業の手伝いをしながら家族と暮らしていました。プルサニが15歳だったある日、「美味しい食べ物や可愛い洋服を買ってあげる」「カトマンズに連れて行ってあげる」と優しそうな男性が声をかけました。村から一度も出たことがなかった彼女がその誘いに乗ってしまった瞬間。それは人生において悔やんでも悔やみきれない一瞬となったはずです。その後、長時間、車や電車に揺られ、やっと辿りついたのはカトマンズではなく、国境を越えたインドの売春宿でした。
体が透けて見えるような洋服を着せられ、濃い化粧をし、何人もの男性の相手をする日々。逃げようと思っても監視がいて決して逃げられない、地獄の日々が続きました。そんなある日、売春宿に捜査に踏み込んだ警察によって彼女は保護されたのです。プルサニが売春宿に来て、約1年が経っていました。
今、彼女は美容師の学校に通っています。そして将来、美容師としてカトマンズで働きたいと考えています。なぜか。今も実家に住む7歳の妹をカトマンズに呼び寄せたいと言うのです。外からの情報もない、そして貧困に苦しむ村に住んでいる限り、妹が自分と同じように人身売買の被害に遭うかもしれないという懸念があるからです。
過酷な過去を乗り越えようと、今しっかりと前を見据え、少しでも明るい未来へと一歩ずつ歩みを進める少女たち。その一方で、ネパールでは今も1年に約12000人の少女たちがインドなどに売られている現実があります。
人身売買を招く大きな要因には2つあります。貧困に苦しみ、そこからひと時逃れるために、家族、親族など身近な人物が人身売買に関わっているケースが大半ということ。また貧困により学校で教育を受けられない少女たちは、人身売買の危険に対して情報や知識がなく、無知であるということ。この貧困と無知によって、今この瞬間も人身売買の被害に遭っている少女たちがたくさんいます。また、助けを待っている少女たちがたくさんいます。
お子さんがいる方は想像してみてください。自分の娘がこんな目に遭ったら、と。
人が人を売る。絶対にあってはならないことです。
NGOマイティネパールの代表の言葉が今も心に残っています。
「いつの日か、この施設が閉鎖されること。それが私の夢です」
少女たちがこの施設を必要としなくなる日、それは人身売買がなくなる日。1日も早く、その日が訪れることを願ってやみません。

フジテレビ アナウンサー 森本さやか

フジテレビ アナウンサー 森本さやか