ネパール連邦民主共和国
 
支援の継続性の難しさを感じる

今回のネパールへの支援のための取材は、私自身5年ぶりの現地取材でした。その中で、ある出来事と遭遇し、改めて『支援の継続』は難しいということに気づかされました。
今回のネパールの取材に旅立ったのは2013年4月24日(水曜日)。FNSチャリティキャンペーンとしては、2011年の東日本大震災を別としてアジア圏の支援は2007年のパプアニューギニア以来6年ぶりになります。 久しぶりのアジア圏の支援はアフリカに比較してどうだろうと思いながら現地に入りました。
取材対象はチトワンのレンガ工場とポカラの砂採掘場の子どもたち、カトマンズのMaiti Nepalの施設で暮らす少女たちでしたが、詳しくは森本アナウンサーの報告で読んでいただいた通りですので、私は違った角度での報告になります。
確かにネパールは、過去の取材したアフリカ諸国に比べれば情報も物資も豊富で、ネパール国内で取材した3地区は比較にならないくらいの発展をしています。特にカトマンズは大都会で欲しいものはほとんどのものが手に入るくらいの発展をしていました。ただ、この3地区で共通していたのは、きちんとした(日本人の感覚として)交通ルールがないということ。乗用車の右左を無数のオートバイと自転車が、耳障りなクラクションを常時鳴らしながら抜き去っていくこと。停電が多いため信号機は若干あるものの作動しておらず交差点では、先に入った方が優先みたいに我先に突っ込んでいく・・・日本の整然とした交差点を経験していると恐怖感でしかありませんでした。また、歩行者はその無数の車やオートバイをよけながら危険の中を横断していく・・・滞在中の18日間、大きな交通事故は見かけなかったものの故障車や小さな衝突事故はしょっちゅうのことでした。また、もう一つ気になったのは、物資が豊富という中で、ごみの収集が追い付いていないということ。特にカトマンズでは、町中の路肩にごみが散乱していて、数ある歴史的な建造物の美観を大きく損なってしまっていると感じました。今、ネパールを訪れる日本人の大半はバックパッカーやトレッキングが中心ですが、カトマンズ市内を一般の日本人観光客が安心して訪れるためには、交通網がきちんと整理され、ごみも片づけられ停電が緩和されるのが一つの要因になるのではないかという気にもなりました。

そんなことを感じているとき、取材最終日にチャリティキャンペーンが15年前に取材した人物に会えるとのことで、会いに行ったときに思いがけない言葉を投げかけられました。
15年前1998年にFNSチャリティキャンペーンは、ネパールのストリートチルドレンの取材をユニセフネパール事務所の協力を仰ぎながら行いました。 その時ストリートチルドレンの宿泊所(シェルター)の管理人をしていたのが、ビルマンさん(当時23歳)でした。そのビルマンさんと再会した時に驚くべき話が口から飛び出しました。「1998年に取材を受け、日本で募金が集まってネパールの子どもたちの支援プロジェクトに役立てられたのであれば感謝します。しかし、その募金から私のチャイルドホームにはユニセフのサポートはありませんでした。さらに、15年前ですからいろいろな事情があったのでしょう。取材の翌年の1999年にユニセフのサポートが打ち切られ、チャイルドホームのプロジェクトは終了しシェルターがなくなってしまいました。当時取材していたラスクマール君、ラジュー君、ナブラージ君ともそこでバラバラになり3人とは会っていません。消息もわかりません。あの時、ちょっとでもサポートがあればよかったが悲しいです・・・・その後の苦労は言うまでもありません・・・・」とビルマンさんは語りました。
この言葉を聞いたとき、「えっ!」と言葉にならない声を出して、心臓が止まりそうになりました。
私たちが取材した翌年に支援が打ち切られたことによりチャイルドホームがなくなっていたなんてことは夢にも思わなかったからです。
今、チャリティキャンペーンは次ページのように毎年支援国を定め支援を行ってきていますが、ビルマンさんの言葉を改めてかみしめ毎年国を変えることが本当にいいのだろうか、しかし、他にも支援を待っている国がある、とジレンマに陥りました。 支援を継続すること、それは、私たちが忘れてはならないことである一方で、世界の貧困に苦しむ子どもたちにも目を向けなければならないということ。 しかしながら、この難しく果てしない難問を解くことができるのか、我々FNSチャリティキャンペーンに改めて提示されたこの問題を背負っていく宿命を感じさせられました。

ビルマンさん家族


最後になりますが、ビルマンさんは、現在、ドイツとアメリカの支援でノンフォーマルエドゥケーションを開講しており65人の貧しい子供たちのために依然として尽力しています。15年前6か月であった赤ちゃんも15歳となり家族3人でつつましく生活されています。「この仕事は忍耐力が必要」とビルマンさんは語りましたが、私は厳しい言葉と感じながらも「支援はいつ打ち切られるかわかりませんから、今のビルマンさんなら、自力で学校を作ったらいいと思います。ぜひ実現してください」と伝えました。ビルマンさんも「努力はしてみる」と引き締まった顔で答えてくれました。
今回のネパール支援は、経済格差から生まれる貧困からの児童労働と今も行われている少女たちの人身売買であり、その問題の解消のための支援が大きな目的です。ただ、またビルマンさん達へのサポートはありません。

FNSチャリティキャンペーンは「支援の正解」という答えのない多くの課題を持ったままこれからも支援活動を続けていかなければならないと感じた今回の取材でした。
最後になりますが、ユニセフネパール事務所と(公財)日本ユニセフ協会の甚大な協力とのもと無事取材も行われましたことを心より感謝いたします。

FNSチャリティキャンペーン事務局 田中亮介

FNSチャリティキャンペーン事務局 田中亮介