不可能と言われる手術に挑み、人々の命を救ってきた 一人の日本人脳外科医がいる。
福島孝徳(ふくしまたかのり)。
現在、アメリカの名門大学、デューク大学医学部の指導教授を務める福島。
これまで幾度となく奇跡的な手術に成功してきた彼は、その実績から世界で“Hands of God”(神の手を持つ男)、“The Last Hope”(最後の希望)と称えられている。
さらに、日本の高校の英語の教科書にも載るなど、まさに世界有数の脳外科医である。
現在、1年の大半をアメリカで過ごす福島だが、年に数回、日本を訪れ脳外科の手術を行っている。
昨年 10月15日、世間は休日の土曜日にも関わらず、福島の姿は 都内の総合東京病院にあった。
患者は49歳男性。
病名は、左中脳海綿状血管腫。
生命活動を司る脳幹に腫瘍があり、既に右手と左目に麻痺が出て、歩行も困難な状態。
診察を受けた大学病院では、摘出は困難と手術を断られ、家族とともに福島に助けを求めてきたという。
手術する場合、脳の中心部にある腫瘍を見つけ出し、周囲にある細い神経や血管を全く傷つけずに、摘出する必要がある。
普通の脳外科医なら、あまりにリスクが高く、摘出手術は行わないという。
まさに患者にとっての「The Last Hope」、最後の希望。
この日、80歳を迎えた福島の手術が始まった。
手術はまず、右耳の後ろに直径2cm大の穴を開け、腫瘍を探すことから始まる。
電子顕微鏡で拡大した映像を見ながら、脳を守る膜を 慎重に切開していく。
穴の大きさはわずか1.5cm。
福島が“Hands of God”、神の手を持つ医師と呼ばれる理由…それは、長時間の手術でも全く震えることのない指先。
これこそが1mmにも満たない血管や神経を傷つけることなく、手術を成功させる秘密である。
しかし、そんな神の手をもってしても、今回は難しい手術だという。 白い脳幹に1mmにも満たない無数の血管が張り巡らされている。 その奥にある腫瘍に到達するまでに、血管や神経を少しでも傷つければ、意識不明になり、最悪、命を落とすこともあるのだ。
手術で助手を務めた吉金 努(よしかねつとむ)医師に聞くと…
「これはもう手のコントロールが正確でないと絶対に行ってはいけない手術だと思います。普通は怖くて出来ないですね。初めて見ました。」
福島の手術は医師であれば誰でも見学することができる。
自らの技術を他の医師に伝えることで、1人でも多くの患者を救いたい、そう考えているからだ。
手術開始から1時間、脳のほぼ中央にある 腫瘍を慎重に探していた、その時だった。
手術室を出て行く福島。
その後、手術を再開した福島だったが、この時、中止することも考えていたという。
福島は顕微鏡の角度を変え、慎重に脳幹をずらしながら 奥の腫瘍を探していく。 ついに腫瘍に辿り着いた。 ここまででも神技的な技術なのだが、この後、さらなる試練が待ち受けていた。 2mmしかない隙間から、5mmの腫瘍を摘出しなければならない。 しかもすぐ手前には0.1mmほどの血管があり、これを切ってしまえば、患者は意識を取り戻さない危険があるのだ。 手術開始から2時間が経過するも、指先は全く震えない。 そして…見事、5mmあった腫瘍の摘出に成功した。
3万人の手術をしている福島にとっても、今回は最も難しい手術のひとつだったという。
手術から2か月、リハビリ中ではあるものの、患者はふらつくことなく歩けるまでに回復した。
こうしてまた、不可能を可能にした福島だが、“最後の希望”と呼ばれるまでには、人生をかけた不断の努力があった。
今から81年前、東京・原宿で生まれた福島。
父は明治神宮の宮司で、明治記念館の館長を務めた人物。
子供の頃は、明治神宮の内苑が遊び場だったと言う。
今でも、来日するたびに参拝は欠かさない。
小学校2年の時に野口英世の伝記を読み、『オレは絶対に日本一、世界一の医者になる』と決意したという。
1968年、東大医学部付属病院の脳神経外科で研修医になると、すぐに才能を発揮し始めた。
最初に受け持った患者は、脳に腫瘍が出来たことが原因で髄液が溜まり、脳を圧迫する水頭症だった。
しかし当時の技術では、脳の内部の撮影は不可能だった。
そこで福島は…本来、気管支に入れて使うファイバースコープで脳に開けた穴から腫瘍を確認し摘出。
見事に手術を成功させた。
これを機に脳の手術には内視鏡が必要だと感じた福島は、26歳にして世界初の脳内視鏡を開発。
以来、年間600人以上の手術をこなすようになった。
そして、38歳と言う異例の若さで、三井記念病院の脳神経外科部長に抜擢された。
福島はこう話す。
「1年に2、3回 必ず欧米の脳外科の学術会議に参加しがてら、有名な先生をみんな 私見に行ってる。私が一番世界の脳外科医を見てますね。実際に手術を見るとアイデアも湧くし、ああ、この手術はこんなふうにやってるなって勉強になるんですよ」
そんなあくなき探究の末、福島はついに脳外科の手術に革命を起こす技法を開発する。
それが、福島式鍵穴手術である。
通常の脳外科手術は、腫瘍の大きさに応じて、頭蓋骨に開ける穴を大きくする。
この場合、腫瘍を摘出するまでに、脳を大きく寄せて動かすため、神経や血管が傷つき、脳梗塞などの合併症を引き起こす危険性が高まる。
結果、術後の患者が長期入院を強いられるなど負担が大きかった。
福島が考え出した鍵穴手術の場合、頭蓋骨にあける穴は腫瘍よりも小さい1円玉から500円玉ほどの大きさ。
しかし、このままでは腫瘍を全て取ることはできない。
そこで頭蓋骨を斜めに削る。
そして、顕微鏡を自在に動かしながら…器具を斜めに入れ、腫瘍を細切れにすることによって すべて摘出していくのだという。
当然、脳を動かす範囲は狭くなるため、合併症のリスクも抑えられ、数日で退院が可能になるなど、患者の負担は遥かに軽くなるという。
しかし、穴が狭い分、手術の難易度は格段に上がる。
神の手と呼ばれる福島だからこそ思いつくことができた、革新的な手法なのだ。
福島は、鍵穴手術をより容易に行えるように、手術用具の開発も次々に行っている。
「バイポーラと言います。これがなかったら脳外科の手術出来ないんです。この先っちょだけに電気が流れて、挟んだところだけが焼ける。他は焼けない」
この電気メスを使うことで、穴より大きい腫瘍を細かく切断して 摘出することが出来るのだ。
脳外科手術を飛躍的に進化させていく福島。
しかし日本では医師は手術の実績よりも、論文の数などで評価される傾向にあったという。
そのことに疑問を持った彼は、アメリカ・ロサンゼルスの名門大学、UCLA脳神経外科に誘われたのを機に日本を去る決意を固める。
渡米当初は、その実力に対し懐疑的な目が向けられたというが…福島式鍵穴手術で、見事、不可能に近いと言われた脳腫瘍を全て摘出してみせると、手術室は拍手に包まれたという。
以来、ヘッドハンティングされることを重ね、現在はアメリカの名門 デューク大学医学部の指導教授に就任している。
そんな福島に救いを求める患者は後を絶たない。
週に100件ほど『他の病院で手術不可能と言われた』『他で手術をしたが治らない』といった問い合わせが来るという。
そんな患者の1人が、現在、オーストラリアで助産師として働いている市川さんだ。
オーストラリアで 夫と2人の娘と幸せな生活を送っていたという市川さん。
レストランで友人との食事中、なんの前触れもなくいきなり倒れ、救急車で病院に運ばれたという。
そこで脳腫瘍があることがわかった。
しかも、市川さんの腫瘍は5cmほどもあり、脳幹を圧迫しているため、すぐに手術が必要と診断されたが、摘出は難しいと言われたという。
市川さんは、ダメ元で福島に助けを求めた。
すると、福島から電話がかかってきたという。
そして、昨年10月、市川さんは福島の来日に合わせて帰国、診察を受けた。
人間の脳には、12対の神経が通っていて、生命活動の根幹を担っている。
市川さんのMRIと重ねてみると、腫瘍がほとんどの神経と重なっている。
神経を傷つけないように摘出するのは困難で、全身マヒなど 重篤な合併症が起きるリスクが高い手術となる。
そして10月12日、いよいよ市川さんの手術が始まった。
だがそれは神の手を持つ福島をもってしても、極めて困難な手術だった。
今回、およそ5cmの腫瘍を摘出するために、頭蓋骨にあけた穴は 100円玉と同じ直径約2cm。
そこから福島が脳外科手術のために開発したバイポーラという電気メスで、腫瘍を焼き、止血しながら切除していく。
「すごい出血性の腫瘍ですね。」
腫瘍からの出血が激しい場合、神経や大事な血管が見えづらくなり、誤って傷つけてしまうことがある。
そのため、手術の難易度は格段にあがる。
12対ある脳神経には番号がふられており、医師は番号で呼ぶ。
ちなみに4番は目の動きを司る滑車神経。
福島は神経を傷つけないように慎重に腫瘍を取り除いていく。
脳幹に腫瘍が癒着していた場合、剥がすことが出来ず、最悪 そこの腫瘍は残さないといけなくなる。
しかし幸い、癒着していなかった。
手術は順調に見えた、その時…神経の奥にさらに腫瘍が広がっていた。
神経と神経の間は、わずか2mm。
この隙間から腫瘍を取り除かなければならない。
慎重に腫瘍を取っていく福島。
だが、さらに問題が…「ここで6番が出なきゃおかしい。6番どこにあるんだ」
6番は外転神経。
目を外に向ける神経のことだが、それが見当たらない。
実は手術で脳が押されると、脳や腫瘍が腫れたり、動いたりする。
結果、神経や血管が 本来あるべき位置にないということも。
さらに、最悪なのが…神経が腫瘍に巻き込まれていること。
もし6番が腫瘍に巻き込まれていたら、腫瘍の摘出と同時に 神経も傷つけてしまいかねない。
その場合、目が動かなくなってしまう。
6番を絶対に傷つけない!
注意深くミリ単位で腫瘍を剥がしていく。
そして、手術開始から5時間が経過。
神経を1本も傷つけることなく、腫瘍は全て摘出された。
手術の3週間後、診察を受けるため病院を訪れた市川さん。
福島の予想通り、複視が出ていると言うが、これも一過性のものだという。
そして、手術から1か月、市川さんは無事、オーストラリアの家族の元へ。
これまで8万件以上の手術をしてきた福島。 38歳から、手術のあとには、反省も踏まえ必ず記録をつけている。 この記録が福島の手術の拠り所となっている。
中でも、彼の心に深く刻まれている手術があるという。
「35歳の男の人で頭蓋咽頭腫で、薄い膜を残さなきゃいけなかったのにそれを取っちゃったんですね。それで寝たきりになった患者さんがいますけど、それは私の頭の中にびったり残ってますよね。ですから、脳外科医としてあるもの(腫瘍)を全部取って、全摘で全治させたいんだけど…その私の希望とそれからこれを取ったら、ちょっとまずいですねというその判断が(難しい)」
福島はこれまで、鍵穴手術の他にも、多くの革新的な手術方法を確立してきた。
そのひとつが三叉神経痛を治療する手術。
顔の感覚を脳に伝える三叉神経。
この神経が刺激され、顔に激しい痛みを感じる病気である。
中学2年生の鴛海咲花(おしうみさいか)さんも、3年前から三叉神経痛に苦しんでいる一人。
本来、三叉神経と血管は離れている。
しかし何らかの原因で、稀に血管が動き、神経を圧迫するようになると、顔面に激しい痛みが生じる。
福島が手術法を確立するまでは、完治できない病気と言われていた。
福島の手術では、神経を圧迫していた血管を離し、ある方法で固定する。
すると…痛みは手術後すぐになくなり、なんと再発もしないというのだ!
アメリカでは、福島マジックと呼ばれるこの手術。
痛みに苦しむ咲花さんの緊急手術が始まった。
実はこの手術、驚くべきことに先ほど5時間以上かけ行った、脳腫瘍の手術の後に行なっている。
福島の手術を待つ患者は、日本だけでも30人を超える。
そのため症例にあわせ、1日に2~3人の手術をこなしている。
白い三叉神経に上小脳動脈が触れている。
これが痛みを引き起こしている原因。
この日、2人目の手術でも福島の指先が震えることはない。
手術は1.5mmほどの血管に、人工血管に使われているテフロンを巻き付け、神経と離すように引っ張る。
そしてやがて溶けるクッション代わりの素材を入れ、体に害のない、のりで固定するだけだという。
これで白い神経と血管が接触しなくなり、痛みの原因が無くなるのだ。
なんと手術は20分で終了。
今回、40日の滞在で福島が行った手術は、80件。
そのほとんどが 他の病院で断られた難しい症例ばかり。
だが福島はその全てを成功させ、この後はアメリカに戻り、またすぐに手術を行うという。
手術をこなしながら福島は、日々、常に患者のためになる革新的な方法を考えている。
福島は絶対にあきらめない。
その姿勢こそが、患者にとって最後の希望なのだから。
そんな福島は昨年12月1日、日本で診察の起点となる「福島孝徳記念クリニック」を神奈川県相模原市に開院した。
開院のセレモニーには、患者や近隣の住民だけでなく、多くの医師が訪れた。
しかし、今なぜクリニックを作ったのか。
「今 私の一番のプランニングは、福島先生と同じレベルの手術ができる次世代の達人を作るということで、無茶苦茶に教えてます。」
一人でも多くの患者を救うために、自分の持つ技術全てを伝えようとしているのだ。
福島の弟子であり、このクリックの院長である佐々木医師は、こう話してくれた。
「私が福島先生から手術に対しての教育を受けた上で、私が一番強烈に印象に残ったのは、『家族と思って手術をしなさい』ということだったんですね。」
福島は今日も手術に向かう、そこに苦しむ患者がいる限り。