10月13日 オンエア
ロスで警察官を目指す日本人ギャル
 

1日の犯罪発生件数が全米トップクラスである、ロサンゼルス。 ロス市警の警察官になるには、難関の筆記試験を突破し、警察学校での半年間に及ぶ訓練に耐えなければならない。 その過酷さゆえ、脱落者が続出。 卒業できるのは僅か10%という狭き門。

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そんな世界一過酷とも言われる学校に今から8年前、屈強な若者に混ざり、ひときわ小柄な女性が入学した。 彼女の名前は永田有理、当時34歳、身長152センチ。 しかも、10歳と7歳の子を持つ、シングルマザー!
一体なぜ、日本で生まれ育ち、英語も喋れなかった彼女が34歳になって、2人の子どもを抱え、ロサンゼルスで警察官を目指すことになったのか? 家族のために自らの信念を貫いた女性!! 彼女の壮絶でぶっ飛んだ人生とは!!!

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日本で生まれ育ち、2人の子を持つシングルマザーであった永田有理。 そんな彼女が、ある日突然、ロスの警察官になることを決意した。
この年は(有理を含め)60名の生徒が入学。 寮はなく自宅から通う警察学校の1日は…朝5時に集合!整列!からスタートする! クラスの担当は、警察学校一と言われる鬼教官だった。

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1人でも失敗すれば、連帯責任。 腕立てやスクワットなどを延々と課される。 極限まで精神的・肉体的に追い詰められ、忍耐力を試される日々。 日が経つごとに1人減り、2人減り…瞬く間に、1週間で10人ほどが去っていった。

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永田有理は、1980年、東京都世田谷区に生まれた。
会社員の父とパート勤務の母、3つ上の姉、ごく普通の家庭で育った彼女だが…ものすご〜く諦めが悪い性格であった。

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そんな有理に高校入学後、ある変化が…そう、彼女は高校でギャルデビュー! バイト代で夜な夜な友人たちと遊び倒し、あっという間に高校の3年間が過ぎ去った。
そして、「お姉ちゃんみたいに、アメリカに行って勉強してみたらどうだ?」という父の何気ない一言で、高校卒業後、その勢いのままアメリカへと出発!

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やって来たのは、カリフォルニア州オレンジカウンティー。 まず、最初の1年は語学学校に通い、大学入試に向けて英語を勉強。 その後、大学でダンスを学んでいたのだが…23歳の時、運命を大きく変える出来事が起こる。
有理は、同じ大学の日本語が話せる男性と恋に落ち、妊娠。 大学を中退し、結婚した。 そして翌年には男の子、その3年後には、女の子を出産。

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だが、結婚から7年後、今度は…夫と離婚。 2人の幼い子どもは、彼女が引き取った。
日本には戻らず、5歳と2歳の子供を抱え、アメリカで生きていくことを決意。 だがそれは、とてつもない試練の始まりだった。

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アメリカで2人の子供を持つシングルマザーとなった有理。 何よりまずやらなければならなかったのは、仕事を探すことだった。
しかし…日本の高卒資格しかなく、アメリカの大学を中退した後は専業主婦。 その後、働くのに必要なビザは取得したが、英語も堪能ではない有理を社員として雇ってくれるところは、なかなか見つからなかった。 しかも、面接が入るたびに、幼い子供たちをベビーシッターに預けなければならず、貯金はどんどん減っていく。

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さらに、そんな頃、元夫からの養育費の送金が途絶えた。
それでも…彼女に諦めるという選択肢はなかった。 シングルマザーとしてアメリカで生きていくと決めた時、子供たちのために、心に誓ったことがあったからだ。 それは笑顔の絶えない家庭を築くこと。

こうして、仕事を探し続けた結果、ついに雇ってくれるところが現れた。 日本の『CoCo壱番屋』のアメリカ第一号店。 最初はホールスタッフであったが、その働きぶりが評価され、オフィス勤務に異動になるほどに。
すると、その1年後…今度は美容サロンに販売員としてヘッドハンティングされると、売上の最高記録を樹立!

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ようやく、生活のメドが立ち始めた頃、彼女を悩ませる大きな問題が…小学校にあがった娘が、学校でいじめを受けるようになっていた。 すべては、アメリカで暮らすことを選んだ自分のせい、そう思うといたたまれなかった。
さらに、もう一つ、大きな悩みが…子供に「ママ、お仕事たいへん? だってママ、ずっと笑ってないから。」と言われた。 当時就いていたのは、生活費を稼ぐ事を優先して選んだ仕事、心底 楽しめてはいなかった。

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すると、彼女はある行動に出る。 自分の長所と短所を紙に書き出し、更に思いつく職業を次々と書き込んでいった。 そして長所と短所を職業と照らし合わせ、向いていないと思うものをどんどん消去していった。 その結果…一つだけ残った職業が、警察官!

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ロス市警の採用条件に年齢制限はなかった。 だが、警察に問い合わせると…まずはアメリカの市民権を取る必要がある事が判明。 有理は幸い、取得の条件は満たしていた。
だが、その申請手続きは煩雑で、通常、弁護士を通じて行うことが多いという。 しかもその費用は…1時間で100ドル。 むろんシングルマザーである彼女に、そんな余裕などない。

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だからといってここで諦めるワケにはいかない! そこで彼女はある行動に出る。
弁護士費用がないなら代わりにやってくれる親切な人を探せばいい…親切な人がいそうな場所といえば教会だ。 という単純な理由で教会を訪ね回り、助けてくれる人を探した。 すると、結婚するまで弁護士をしていたという女性がボランティアで有理の手助けをしてくれると申し出てくれた。 こうして、親切な女性のお陰で市民権の取得はクリア!

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晴れてロス市警に願書を提出し、第一関門、筆記試験にチャレンジする事に! その結果は…不合格。
それでも諦めることなく、勉強と仕事と子供の世話をこなしながら試験を受けること10回。 ついに、何とか筆記試験に合格!

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だが、次なるピンチが! ロス市警の警察官になるには、アメリカの高校の卒業資格が必要なことが分かった。
すると彼女は、高校の卒業資格を得るため、今度はその認定試験を受けることを決意。 科目は4つ、日本とはまるで違う社会科に苦戦を強いられたが、4回目で何とか合格! その勢いで第二関門、面接・体力試験・精神分析などからなる警察官採用試験に臨んだ彼女は、全てを無事クリア! ついに、最後の関門、警察学校に辿り着いた。 だが…ここからが本当の地獄の始まりだった。

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学校を卒業すると警察官として採用されるため、準備期間にあたるこの半年、生徒たちは肉体的にも精神的にも徹底的に鍛えられる。 法律などに関する筆記試験も毎日のように行われた。 この試験で2回連続赤点を取ると即退学。 日々、脱落者が出るほど過酷だった。

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さらに、自宅に戻ると家事や子育ても待っている。 特に長女は小学1年生。 お風呂に入れたり、寝かしつけたり、まだまだ手のかかる年頃だった。
夜11時頃から自分の時間が出来るが、翌日の試験に向け勉強することは山積み…睡眠時間は多くて2、3時間という日々。 寝ずに学校に行く事も頻繁にあった。

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その結果…確実に疲労は蓄積。 有理は筆記試験で赤点を取ってしまい、崖っぷちに追いやられた。
すると、子供たちが家事を手伝ってくれたり、自分のことは自分でやってくれる様になった。

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そんな時だった…他の生徒が試験対策ノートを貸してくれたり、一緒に勉強をしてくれるようになった。 地獄を共にしてきた警察学校の生徒たちは、いつしか同志のような存在になっていた。 こうして、有理はなんとか退学の危機を回避した。
だが…この後、最大の地獄が待ち構えていた。

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この日は、テーザー銃を受けるという訓練だった。 テーザー銃とは、引き金を引くとワイヤーがついた棘が発射され、その棘が身体に刺さると電流が流れるというもの。 実際、アメリカの警察官はこれを常に携帯している。 その痛みを知るために撃たれる体験が義務づけられている。
有理さんはその時の訓練のことをこう話してくれた。
「その5秒間はもう、全身震えて、脳とかも全部おかしい状態でしたね。記憶がないというか何も身動きが取れない感じでした。」

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続いての訓練は、催涙ガスが充満している部屋にガスマスクをして入り、室内にいる犯人が凶器を持っていないか確認した上で手錠をかけるというもの。 もちろんこちらも、全米の警察学校で行われている実際の訓練である。
有理さん「本当に呼吸が出来なくて、目からもどんどん涙が出てきて、本当にもう死ぬんじゃないかっていう感覚でしたね。」

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最後の訓練は、目に入ると激しい痛みを伴う液体を顔に噴射されるというもの。 無論、こちらも全米の警察学校で行われている訓練。
スプレーを噴射された後、犯人役に手錠をかけたら合格となる。 だが痛みに耐えかね、失格になるものが続出!
有理さん「最後が一番キツかったです。辛すぎて、みんな泣いてました、声を上げて。」

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その後も、警察犬に噛まれて耐える訓練など、過酷な試練は続いた。 それでも級友たちとの友情、そして…応援してくれる子供たちの支えのお陰で乗り越えていった有理。 その結果…ついに地獄の6ヶ月を耐え抜き、警察学校を卒業することが出来た! なお、60人いた級友は、卒業時に18人まで減っていた。

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卒業時、教官からこう言われた。
「私の教官人生で、君は最高の生徒の1人だ!」
有理さんはこう話してくれた。
「あれほどの幸せな瞬間は、人生で一度もなかったし、これからもないと思います。何にも比べられない喜びでした。奇跡というか。」

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こうして、晴れてロサンゼルス市の警察官となった有理さん。 子供たちとの約束を果たした彼女にとって、何よりも嬉しかった出来事がある。
ロス市警がイベントで有理さんの子供たちが通う小学校を訪れた時の事。 彼女は、子供たちの親として、全校生徒の前で紹介されたのだ。

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現在、長女は高校生になっている。 彼女は、母親の事をどのように見ているのだろうか?
「母はエネルギッシュで、普段は優しいです。時々、怖い時もありますけどね。母が大変な思いをたくさんしている様子を見ていると、自分も学校でもっと頑張って、有意義な人生を送らないとなと感じます。」

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有理さんは今現在も、市民のために犯罪と対峙する毎日を送っている。 それだけではない、人身売買の撲滅を目指す NPO団体を立ち上げ、世界中の子どもたちを救う活動を進めている。

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幾度となく、大きな壁が立ちはだかったにも関わらず、目標に突き進んでいった有理さん。 なぜ、彼女はそこまで出来たのであろうか?
「本当に人生って、自分の決断次第で将来が作られて行く。私の中では一つ一つ少しずつクリアして行く事で絶対に行きたい場所に行けると信じていたので、そこで諦めるのもやめちゃうのも自分次第で、そこで私は諦めなかったので、今警察官になれたので、そういう感覚を一人でも多くの方に、味わっていただけたらなと思います。」