8月18日 オンエア
凶悪犯罪の容疑者を追い込め!100%に挑んだ執念の捜査
 
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今から19年前の秋、東京の下町にある小さな料理店で、店主が腹部を何度も刺されて殺害された上、店の金庫が奪われるという強盗殺人事件が発生した。
このような極めて重大な事件が発生すると、まずその地域にある警察署に捜査本部が立つ。 そして、そんな凶悪犯罪の捜査を担当するのが「Search 1 select」と呼ばれる名誉の赤バッジをつけた警視庁捜査一課の刑事たちだ。

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事件の被害者は、居酒屋店主荒木孝利。 昨夜11時ごろ常連客が店がまだ閉店していないことを不審に思って入ったところ、倒れている店主を発見。 最後の客のものと見られる食器とコップだけ残されていた。 そのコップから指紋も検出されている。

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飯田裕久、捜査一課・殺人犯捜査係。 これより約20年前、警視庁に入庁。 キャリアの大半にわたり捜査一課の刑事として様々な凶悪犯罪捜査に携わった、まさに筋金入りの「デカ」だった。
そんな百戦錬磨の飯田が「奇跡」と呼び、後に捜査一課内でも語り草になったという事件。 それが…2003年に発生した、この「居酒屋店主強盗殺人事件」だという。

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事件翌日、コップについていた指紋が傷害事件などで複数の逮捕、服役歴があり、この数ヶ月前に出所したばかりだった藤本竜司(仮名)という男の指紋と一致。 さらに翌日の夜、藤本が持っていたと思われる携帯電話が名古屋市付近で使用されたことが確認された。

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3日も経たないうちに現場にあった指紋の持ち主が特定され、さらにその人物の携帯電話の使用記録までキャッチ。 事件はこの日のうちに一気に解決に向かうかもしれないと思われた。
ところが、新幹線と在来線を乗り継ぎ、午後11時過ぎにようやく電波の発信源付近の駅に辿り着くと…その場所は、ホテルどころか商業施設すらない、閑散とした住宅地だった。 この時、飯田は違和感を感じた。

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その違和感は、翌日、意外な形で証明されることになる。
なんと飯田らが追っていた藤本が昨夜京都で逮捕されたというのだ。 昨夜、あの場所で電波が検出されたのは…藤本が移動中の電車内で携帯を使用したからだと思われた。

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なんと藤本は京都でも殺人未遂を犯し、今回の事件とは別件で現行犯逮捕されていたのだ。 逮捕された以上、京都府警が取り調べを行うため、飯田たちは一旦、本部に戻るしかなかった。
藤本の所持品から今回の事件につながるものが出れば良いが、もし 何も持ってなくて、取調べでもしらばっくれた場合、コップの指紋だけでは逮捕はできないと、飯田は危惧していた。 そして、そんな飯田の勘は的中してしまう。

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現場の血溜まりから見つかった靴跡は25cmのスニーカーと判明。 国内で多く出回っている安物のため、そこからの絞り込みは難しかった。
さらに、京都で捕まった時、藤本が履いていた靴とは一致しなかった。 犯行時、血溜まりを踏んだと見られる靴、それが海などに廃棄されてしまっていれば、捜査としてはほとんどお手上げだった。

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だが、その後あの日店にいた別の客によって新たな情報がもたらされた。 藤本は事件当日、紺色のズボンを履いていたという。 さらに黒いビニールバッグを持っていたという。
藤本は刑務所から出てきたばかりで住所不定の無職、数少ない貴重品はバッグに入れていた可能性が高い。 しかし京都で捕まった藤本は手ぶらで、黒いバッグなど持っていなかったという。 つまり…どこかに隠している可能性が高かった。

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こうして捜査の本命はバッグの捜索へと移行。
京都府警に協力してもらい、京都駅構内のコインロッカーや京都市内の宿という宿を捜索。 さらに飯田たち自身も、都内や神奈川、静岡など、東京から京都に向かう沿線上にある宿泊施設やロッカーを徹底的に捜索した。 しかし、どんなに探しても目当てのバッグは出てこなかった。

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明らかに犯人である可能性の高い人物が特定され、すでに確保までされているにも関わらず、証拠が見つからない。 そんな苦しみが捜査一課全体を覆い尽くしていた。 結局、ほかに新たな証拠も見つからず、捜査は完全に手詰まりの状態まで追い込まれてしまった。

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だが、事件から数ヶ月がたったある日のこと…飯田は上司から、もう一度、京都駅のコインロッカーだけ確認してくるように指示された。 実は犯人が奪った金庫には七千円しか入っていなかった。 もし藤本が犯人ならば、無銭飲食をきっかけに逮捕されたことから考えても、2日の間に日本各地を移動できた可能性は0に近い。 さらに逮捕当日の21時すぎに名古屋で携帯の電波が検出されていることから、京都駅についてから短時間で逮捕されたことになる。 バッグを破棄せず、何処かに隠すとしたら京都駅近辺以外考えられなかった。

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京都に着いた飯田らはコインロッカーの管理会社、一件、一件に足を運んだ。 京都駅構内のロッカーだけでも数十社もの会社が管理しており、駅周辺を含めれば百社以上も存在していた。
多くのコインロッカーは通常、預けた時刻を起点として3日はそのまま保管されるが、72時間を超えて追加入金されないと、業者が鍵を開けて中の物を回収する仕組みになっている。 そのため11月7日の夜に京都に到着し、直後に逮捕された藤本がロッカーにバッグを入れたとするならば、その3日後に当たる10日に保管期限を迎えた荷物を調べればよかった。
だが、もちろん京都府警もその日の荷物は徹底的に調べている。 簡単に見つかるはずがなかった。

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しかし、京都に来て3日目のこと。 黒いバックが保管されている記録が見つかった。 しかし、日付が1日遅い11日。 藤本が7日のうちに逮捕されている以上、その4日後に当たる11日に保管期限を迎える可能性はあるはずがなかった。
しかし、悩みながらも彼らは確認するため、3キロほど離れた倉庫に歩いて向かった。

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そのバッグの中には…藤本が事件当日履いていたという紺色のズボンと、血がついた25cmのスニーカーが入っていた。

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だが、なぜ日付がずれているのか? 実は、この会社では期限の切れた荷物の回収は1日に3回、午前9時と、正午、そして午後9時に行われていた。 藤本がバッグをコインロッカーに預けたのが、捕まる直前の7日午後10時だったなら、72時間後に当たる10日の午後10時に保管期限は切れる。 だがその日はすでに全ての回収作業が終わっているので、実際にバッグが回収されるのは翌朝午前9時になる。
その上、この会社は保管期限が切れたタイミングではなく、実際に回収したタイミングを記録していたため、ありえないはずの「11日」という表記になっていたのだ。

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その後、靴や衣服に付着した汗成分のDNAが藤本のものと一致。 さらに靴底に付着していた血痕は被害者のDNAと一致した。
そして事件からおよそ半年後の2004年5月、ついに藤本竜司は殺人罪で逮捕された。

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数日後、藤本もその罪を認め、ようやく全面解決に向かうはずだったが…捜査一課にとって、事件はまだ終わっていなかったのである。
実は事件の捜査は犯人を逮捕しても終わらない。 検察が起訴し、裁判でその罪を確実に証明するためには、自供した内容が正確かどうか、裏付けの捜査が必要なのだ。

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そんな中、藤本は事件後、無賃乗車で新宿までタクシー移動をしたと供述していた。 だが、その日、無賃乗車の被害届はなく、犯行現場付近のタクシー会社に当たっても該当する車両は見つからなかった。 そのため、流しなどを含めて、都内で走行する可能性があるタクシー約6万台全てを当たらなくてはならなかった。

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だが、検察が藤本を起訴するかどうかを判断する拘留期間は3週間しかなかった。 裏付けの取れない事実が一つでもあれば、100%の捜査とはいえない。 もちろん全ての事件がそうではあるが、特に凶悪犯罪のみを担当する捜査一課にとって、それは絶対であった。
しかし、その後も該当車両はどうしても見つからず、ついに拘留期限までおよそ1週間に迫ったある日、先日奇跡を起こしたばかりの飯田に再び白羽の矢がたった。 さすがの飯田もこの時ばかりは、奇跡は2度も起きないと、チームに入ることに全く気乗りがしなかったという。 ところが、このあと飯田は再び奇跡を起こすことになる!

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捜査に加わった飯田は藤本が乗ったと供述した地点を流していたタクシーが、そもそもどこに向かおうとしていたか分析。 その目的地を3つの駅まで絞り込むと、ドライバーが自己判断で走行し、その駅を拠点としている未調査の会社をピックアップ 拘留期間内に調査可能なおよそ30社まで絞り込んで聞き込みを開始した。

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すると、なんと1社目それも1冊目の運転日報に藤本の供述とピッタリのものがあったのだ。 すぐさまこのタクシーを運転していた乗務員から話を聞くと、稼ぎどきの数時間を無駄にするため、警察に届けを出していなかったものの、無賃乗車をされた事実があったことを認めた。 さらに…その運転手は、はっきりと藤本の顔を覚えていたのだ! こうして拘留期限ギリギリで2度目の奇跡は、起こった。

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数日後、検察は全ての裏付けがとれた藤本を起訴。 京都で起こした殺人未遂などの罪も含めて、最終的に無期懲役の刑が確定した。
2度の奇跡を起こした飯田が見つけたあのバッグは、その後捜査一課内で「ドリームバッグ」と呼ばれ、捜査員たちの語り草になったという。
しかし、本当の意味で事件が解決したのは、偶然でも幸運でもない。 あくまで99.9%ではなく100%のみを追求し続けた、飯田をはじめとする捜査官たちの執念だったことに他ならない。