ミステリーに巻き込まれるのは、決して特別な人とは限らない。 イギリス、中北部の都市ドンカスターに住む、ニック・エドワーズは、妻や4人の子供達に囲まれ、平穏な日々を過ごしていた。
そんなニックは、今年1月、イギリスで絶大な人気を誇るオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』の観覧チケットを、妻のキャサリンが手に入れたというので、子供たちの世話は自分の母親にお願いし、自宅からおよそ250キロ離れたロンドンの会場へ。 普段は仕事や子育てに忙しい2人にとっては、久しぶりとなる夫婦水入らずのデートとなった。

会場に行ってみると、リアクション用にとピンマイクの装着を頼まれるほど前の方の良い席だった。 ショーが始まると席のおかげもあり、普段は体験できないエキサイティングな時間となった。
だが、この時彼はまだ知らなかった。 このあと、自分の人生が激変するほどの、とんでもない事態に遭遇することを！

ショー開始から数時間がたったときだった。 その時ステージにあがった人物をみて彼は驚愕した。 なんとそこにいたのは、ロンドンから約250キロも離れた自宅で、留守番をしているはずの母親とニックの娘たちだったからだ。
この時ニックは2つの意味で混乱していた。 まずは自宅にいるはずの家族が、なぜかステージに立っていること。 そしてもう一つは、彼女たちがこの超人気番組のステージで披露できるほどの特技を持っているとは、とても思えないことだった。

『ブリテンズ・ゴット・タレント』には、イギリスはもとより世界各国から才能あふれる、あらゆるジャンルの応募者が殺到する。 そのため事前の審査によって、ふるいに掛けられ、ほんの一握りの者しか、このオーディションのステージに立つことを許されない狭き門なのだ。
そんな超ハイレベルのステージに立てるほどのパフォーマンスを、母、娘たちが会得しているとはとても思えない。 家族のことをニックは知り尽くしているのだから。
すると、母と娘たちはニックにここで歌を歌ってほしいというのだ！
なぜ、ニックに『ブリテンズ・ゴット・タレント』で歌って貰いたかったのか？ なぜ、その事を秘密にする必要があったのか？
そこには家族全員のニックに対するある思いがあった。

実は彼、少年の頃から歌手を夢見ていた。 大人になり不動産会社に就職してからも、音楽活動を続け、プロを目指していた。 チャンスさえあれば、いつか自分も…。

しかし、その後妻と出会い結婚。 家庭を持つと、家族を養うためこれまで以上に仕事に邁進する一方、僅かな空き時間を大切な家族のために費やす様になった。 以来ニックは、仕事をしながら家族に尽くし気づけば7年の月日が流れていた。 大好きな歌を歌うのは、シャワーを浴びている時と、たまに子供たちへ歌ってきかせてあげる時だけだった。

だがそんなある日…妻が見たのは、一人こっそりとギターを弾くニックの姿だった。 娘たちにたまに歌って聞かせることはあっても、一人黙々と弾いているのを目にするのは、子供が生まれてから初めだった。 家族に尽くしてくれたニックのために、何かしてあげたいと思う様になった。

そんな時思いついたのが、ブリテンズゴットタレントだった。 ニックの家では、ニックも含め全員がこの番組のファンだったため、キャサリンはニックに番組へ応募しないかと持ちかけた。 ところがニックはもう本格的に音楽を何年もやっていないからと、妻の申し出を断った。 それでも、時折り聴かせてくれるニックの歌声が好きだった彼女は、以前 スマホで撮影していたニックの歌唱映像を彼に内緒で番組に送ることにしたのだ。

しかし、『ブリテンズ・ゴット・タレント』といえば、これまで数々のスターを輩出してきた超人気番組。 応募は世界中から殺到しており、家族としても、あくまで「ダメ元」の軽い気持ちでの応募だったという。 しかし、数ヶ月後、番組から出演のオファーの依頼がきたのだ。 さらに番組側から、当日まで内緒にしないかと提案があった。
確かに、もしここでニックに番組のことを告げても、出ないと断られてしまうかもしれない、そう考えたキャサリンは、娘たちも巻き込んでサプライズで彼をステージに誘うことにしたのだ。

妻が仕掛け人だったとはつゆしらず、いち観客から突如出演者となったニックは、母と娘の待つステージへ。
ギターは、家族がニックに内緒で自宅からこっそり持ち出し、スタッフにあらかじめ手渡していたという。 彼が選んだのは、子供たちへの深い愛情を綴ったバラード「ダディーズリトルガール」をニック流にアレンジしたものだった。

こうして、突然の出場ながら、全英を感動の渦に巻き込み、第一ステージを突破した。
そしてニックはつい先日、この番組のセミファイナルに出場。 残念ながらファイナルステージに進むことは叶わなかったが、これからも本格的に音楽を続けていくという。 もう、夢を諦める必要は無い…支えてくれる頼もしい家族がいるのだから。