ヨーロッパ有数の鉄道網を誇る、フランス・パリ。
その安全性は世界上位のはずだった。
未曾有の大事故は、なぜ起きたのか?
フランス鉄道史上最大のミステリー! その真相に迫る!
今から33年前、フランス・パリでは、毎日数十万人が鉄道や地下鉄を利用。
多数の列車が常に行き交っていた。
6月27日、午後5時38分。
フランス国鉄の8両編成の列車が、始発のムラン駅から、約50キロ先にある終点のリヨン駅に向け、出発した。
運転をしていたのは、ベテランのダニエル。
車掌は、同じく経験豊富なジャンが務めていた。
ダニエルがブレーキを掛けていないにも関わらず、通過予定だったヴェール・ド・メゾン駅で突如停車。
この列車には各車両に、緊急事態が起きた際に乗客が列車を止められる、非常ブレーキがあった。
それを2両目に乗る女性が引いて、そのまま列車から降りていったという。
非常ブレーキを解除し、26分遅れで運行を再開。
その事をダニエルは、終着駅リヨン駅にある管制室に連絡。
フランスでは、大幅な遅延が発生した場合、停車駅を変更する事がある。
管制室は、本来は停車予定であったリヨン駅の一つ手前の駅を通過し、そのままリヨン駅に向かうよう、ダニエルに指示。
リヨン駅の一番端のホームに到着する手はずとなった。
だが同じ頃、そのホームでは、別のトラブルが起きていた。
その時間には出発しているはずの列車が、時間を過ぎても停車していたのだ。
日本とは違い、ヨーロッパの列車は様々な理由で、10分程度遅れて出発する事は日常茶飯事。
この日の遅延理由は、車掌の遅刻であった。
その間にも乗客がどんどん乗り込み、普段より混雑していた。
運転士のタンギーも、どうする事も出来ず、車掌の到着を待つだけだった。
一方、ダニエルは、遅れを取り戻そうと、時速およそ90キロで走行。
リヨン駅のホームは、カーブを曲がった先にある。
かつ、地下に位置しており、傾斜を下って進入する構造だ。
傾斜に差し掛かる前には、信号機でブレーキ指示が出るシステムになっていた。
午後7時7分、リヨン駅到着まであとおよそ2分。
信号機を見て、ダニエルもブレーキを掛けた。
だが、先頭車両以外のブレーキがかからなかった!
列車のブレーキは全ての車両についており、その全体の制動力で停止できる計算になっている。
先頭車両だけの制動力では、徐々にスピードを緩めることはできても、停止するまでにかなりの時間を要する。
多少スピードが落ちるとしても、この時点でリヨン駅まであと1分45秒!
ダニエルは、管制室にブレーキが効かないことを報告!
運転席から飛び出し、乗客を最後方の車両に移動させた。
移動しながら、各車両の非常ブレーキも試したが、作動しなかったという。
後方車両に到着したダニエルらは、体をかがめて衝撃に備えた。
ブレーキが効かないと判明してから、2分足らず。
終着駅に突っ込んだ列車は、停車していた列車と正面衝突。
カーブの先にあるホームから、暴走列車の姿は直前まで見えなかった。
気づいた時には、列車は目前に迫っており、そのまま 時速 約50キロ〜60キロで衝突。
車体の上に乗り上げ、先頭車両を押し潰した。
暴走した列車の乗客に重傷者はいなかった。
停車していた列車では100名以上が逃げ遅れ、56名が犠牲となった。
その中には、最後まで避難誘導のアナウンスをし続けたタンギーも。
このフランス史上、最悪の鉄道事故は大きなニュースとなり、その原因究明が急がれた。
なぜ、先頭車両以外のブレーキが利かなくなったのか?
なぜ、停車中の列車の避難アナウンスは、衝突寸前になったのか?
フランス国鉄は、様々な安全システムを導入していたにも関わらず、なぜそれが機能せず、正面衝突を引き起こす事態となったのか?
この事故の調査チームの一人が、当時、交通研究所の所長を務めていた、パスカル。
彼らはまず、暴走した列車のブレーキ装置に関して調査を始めた。
すると…空気管のコックがしまっていることが判明。
当時の列車のブレーキは、事故を起こした車両をはじめ、多くが空気の力を利用している。
空気を送ることで、ブレーキに力を加えるというイメージを持つ人も多いだろうが、そうではない。
逆に、空気を抜くことでブレーキを利かせているのだ。
簡略化して説明すると、ブレーキをかけていない通常の走行時の際は、1両目にある「空気圧縮機」から各車両に管を通じて圧縮空気が送られ続けている。
空気管やそこに繋がるタンクなどは、圧縮空気で満たされた状態になっているのだ。
タンク内には弁があり、これが横に動くと タンクより下にあるブレーキシリンダー部分に圧縮空気が流れる仕組みだ。
この弁を動かすために「空気を抜く」ことが必要となる。
ブレーキレバーを操作し 空気を抜くことで気圧が下がる。
この時、左右に気圧の差を生じることで高い方から低い方へ弁が動くのだ。
そして、ストッパーで弁が止まると、その先の部分は密閉された空間となる。
その空間の中で、やや膨らんだ圧縮空気が流れ込み、シリンダーを押すことでブレーキがかかるというわけだ。
そして、各車両のの連結部分の空気管には、コックが付いており、これが開いていれば、空気の調整が全車両に行き渡る。 しかし、暴走した列車は1両目と2両目の間の、コックが閉まっていたため、後方7両は空気の力による操作がきかず、ブレーキが働かない状態になっていたと考えられた。
空気管のコックが勝手に閉まる事はない…誰かが意図的に閉めたことになる。 実は当時、フランス国内の列車は、アラブ系武装グループによるテロの標的となっていた。 つまり、何者かが意図的に空気管のコックを閉めたテロ行為の可能性が高いと考えられた。
調査チームはまず、暴走した列車を運転していたダニエルに話を聞く事に。
ヴェール・ド・メゾン駅で、2両目に乗っていた女性が客席の非常ブレーキを引いて緊急停止した。
そして、そこを出発してからブレーキが効かなくなったと証言した。
この事実を聞いた調査チームは、その女性が事故に大きく関わっているのではないかと推測した。
さらに、マスコミもその女性が鍵を握っていると踏み、情報提供を求める記事を掲載。
すると…その女性が自ら名乗り出たのだ。
女性は、列車を緊急停止させた理由をこう話した。
「いつも停車するはずの駅を通り過ぎて行くのを見て、ヴェール・ド・メゾン駅も停車しないかもと思ったんです。」
実は、フランスの鉄道は毎年6月頃に、春季から夏季ダイヤになり、時刻や行き先などが大幅に変更される。
そのため、事故が起きた6月下旬は、乗り間違えが後を絶たない状況であった。
そしてこの女性も、目的地の駅に停車しない列車に間違って乗ってしまったのだ。
実は、ダイヤ変更により、乗り間違える客が多かったため、彼女のように列車を止める行為が稀に発生していた。
しかし、その後の調べでも、この女性が空気管のコックに触れた形跡は見られなかった。
緊急停止してから運行再開まで26分…その間に何者かがコックを閉めたことには間違いない。
事故調査チームは再び、ダニエルを呼び出し、緊急停止してからの行動を詳しく聞いた。
列車が緊急停止した後…非常ブレーキを解除するためのレバーは、各車両の連結部分にあり、ダニエルは1両目と2両目の連結部分に向かった。
解除レバーがなかなか下がらず…力を入れるため、レバーを持たないもう片方の手で何かを掴んだと言う。
それが、ブレーキにつながる空気感のコックだったのだ!
実は、非常ブレーキを解除するレバーのすぐ下に空気管のコックがあった。 非常ブレーキは、運転席のブレーキと同じ空気管に繋がっており、乗客がハンドルを引くと、非常用の弁から空気が抜け、ブレーキがかかる仕組みだった。 解除するためには弁を閉めなくてはならず、そのレバーは各車両の間に設置されていた。 そして、ダニエルは解除のレバーを下げようとした際に、無意識のうちに空気管のコックを掴み、力んだ事によって閉めてしまったと考えられたのだ。
ダニエルはブレーキが解除されたと思い、運転席に戻ったのだが、まだブレーキがかかったままだったと言う。 非常ブレーキの解除はしたが、空気管のコックが閉まっていたため、圧縮空気が各車両に送り込まれることはなく、ブレーキはかかったままの状態になっていたのだ。 異常が起きた際はエンジニアに連絡をするのが規則だったのだが…乗客を待たせていることに焦っていたダニエルは、エンジニアに連絡せず、自分で対処することにした。 タンクに必要以上に空気が詰まっていると考え、全車両の空気を抜くことにしたのだ。
こうして、ブレーキは解除されたが、1両目と2両目の間のコックが閉まっているため、新たに空気を送り込むことはできない。
ブレーキはかからなくなったのは、これが原因だった。
非常ブレーキも同じ空気管を介しているため、避難中に引いても利くことはなかったのだ。
重なってしまった2つの不幸。
だがこの事故の不幸はそれだけではない!
途中駅を通過するよう指示した、リヨン駅管制室の責任者。
彼らがもし通過の指示をしなければ、リヨン駅のかなり手前で、ブレーキの異常に気づき、対応を考える時間があったはずだった。
これが、3つ目の不幸。
事故発生時、フランス国鉄の列車は数多く走行中であった。
ダニエルがパニック状態に陥り、名乗り忘れたため、どの列車なのかすぐに特定出来なかった。
これが、4つ目の不幸。
それでも管制室は、なんとか列車を特定しようと尽力していた。
その時、リヨン駅に向かっている列車は、4本。
最悪でもそのうち3本に連絡が付けば、特定できると思ったのだが…ダニエルが緊急ボタンを押したため、上下線すべてを走行中の全列車にアラーム音が鳴り響いていた。
アラームが鳴った事で、他の列車の運転士から、問い合わせが殺到。
リヨン駅に向かう列車に連絡をとるという特定作業が全くできなくなってしまったのだ。
これが5つ目の不幸。
また、車掌が遅刻したため、リヨン駅の列車が出発出来なかった事が、6つ目の不幸だった。
しかし、この段階でもまだ、正面衝突を回避する事は可能であった。
あろうことか そこにもさらなる不幸が!
通常、入る予定のホームに他の列車が停車していた場合、自動的にレールのポイントが切り替わり、空いているホームに誘導する自動制御システムが働く。
これにより、暴走列車は空いているホームの壁に衝突するだけで、犠牲者は出ないはずだった。
しかし、ダニエルが緊急ボタンを押した直後、レールのポイント切替えを担当する転轍手のもとでもアラームが鳴った。
管制室からの連絡はなかったが、彼は規則に従って、運行管理システムを非常用に切り替えた。
だが実は、非常用に切り替えると、自動制御システムが解除され、尚且つ、転轍手が遠隔でレールのポイントを変える事が出来なくなってしまうのだ。
これが、7つ目の不幸であった。
すなわち、ポイントは予定通り、一番端のホームに向かうままになっており、管制室と転轍手が暴走しているのがダニエルの列車だと認識したのは、カーブを通過し、傾斜を下った時点。 カーブの先にあるホームからは、直前まで暴走列車が見えなかった。 もし線路が直線であれば、もう少し早く認識し、避難誘導を行うことができたかもしれない。
また、のちの調査では、1両目のブレーキによって一度は時速45キロまで下がったスピードが、最後の傾斜によって再び時速約50キロ〜60キロまで上昇してしまったことが判明している。
カーブと傾斜という構造こそが、最後の不幸だった。
気づいたときには、すでに遅く…大惨事は起きてしまった。
事故後、運転士のダニエル、管制室の責任者、そして、緊急停止させた女性が裁判で刑事責任を問われる事に。
女性は、私情により非常ブレーキを引く事は、法律違反行為に当たるとして、罰金を課せられたが…その行為自体が直接的な事故原因でない事、さらに、大幅なダイヤ変更が原因で、同様の行為がほかにも発生していた事もあり、無罪となった。
管制室の責任者は、規則通りの行動をとったのみであったため、無罪。
運転士のダニエルは、ブレーキ装置を誤って動かした事が衝突の大きな原因と判断され、過失致死罪で有罪となった。
だが、判決が下ったのは事故から約5年後。
それからまもなく、彼はガンにより、この世を去った。
最後まで停車中の列車に残り、避難を叫び続けたタンギーは、犠牲者を減らした英雄として、その最期が賞賛された。
事故後、フランス国鉄は空気管のコックの位置の変更。
自動制御システムの見直しなどを行い、安全策を強化。
日本の鉄道では考え難い、車掌の遅刻や自己中心的な理由による非常ブレーキの使用。
さらに、報告を怠って自分で対処しようとした行為など、慣れや気の緩みといった、ちょっとした『油断』が思いもよらぬ大惨事に繋がってしまった。
現在、事故が起きたホームには、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑が建っている。
二度と同じ悲劇を繰り返さないように。