5月13日 オンエア
シングルマザーと荒くれ者の奇跡の絆
 
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2009年12月、山口県・萩市。 坪内知佳(つぼうち ちか)さん、当時23歳。 2歳になる男の子を育てるシングルマザーだ。
福井県から名古屋の大学を経て、結婚を機に山口県に移り住んだが、その後、離婚。 全く馴染みのない土地で定職もなく、留学で身に付けた語学力を活かした翻訳の仕事や旅館の仲居などをして、なんとか生計を立てていた。

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そんな彼女がたまたま接客したのが、長岡だった。
長岡は、山口県萩市の北8キロに浮かぶ大島の漁師だった。 知佳から、翻訳の仕事やデータ処理や企画の仕事もしていると聞いた長岡は、名刺作成など小さな仕事を発注してくれた。

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そして、長岡から「俺らの未来を考える仕事、手伝ってくれんか?」と持ちかけられた。
長岡たちは、アジやサバなどを大きな網で一網打尽にする巻き網漁を行なっていた。 だが、萩大島の漁獲高は年々減り続け、最盛期のおよそ3分の2まで減少していた。 大きな原因は、乱獲や環境変化などによる魚自体の減少。 最盛期の漁獲高を確保するのは、今となっては不可能。 日本人の魚の消費量自体も減少しているため、セリ値の爆発的な高騰は望めない。 このままでは、萩大島の漁業が絶えてしまう。 そこで彼らは、この状況でも売り上げを伸ばすことができるような画期的な方法を求めていた。

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知佳は、まず彼らのことを知ろうと萩大島を訪れた。 萩大島は、人口七百人ほどのコンビニさえもない小さな島。 初めてふれあう島の人々は皆明るかった。 この人たちといれば、何があっても笑っていられるのかもしれないと思った。 知佳は体のそこから勇気が湧いてくるのを感じた。 また、小さい頃から体が弱く、アレルギーに悩んできた知佳にとって、自然の恵みである天然ものの魚はかけがいのない宝物に思えた。

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知佳は、彼らのために一歩踏み出すことを決めた。
とはいえ、水産業に関しては全くの素人。 まずは、萩大島が所属する漁業協同組合がある山口県本土の萩市で1年間、漁業の現状をリサーチ。

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その頃、無報酬で頑張る彼女の目に飛び込んで来たのが、農林水産省が推進する新しい政策だった。
それは…6次産業化。 生産を担う1次産業従事者が、2次産業である加工や、3次産業である流通や販売も手がけるというもの。 問屋や小売りを通さないため、これまでの中間手数料が生産者の利益となる。

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知佳は、早速 事業計画書を作成した。 漁師たちが魚を高い値段で売ることができれば、漁業は継続可能だ。 この試みが成功すれば、彼らの将来への不安も消えるに違いない、そう考えたのだ。 長岡たちはこの事業計画書をとても喜んでくれた。

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だが、反対したのは萩の漁業協同組合の担当者たちだった。
実は…船の購入資金の融資、また漁に関係するもの、例えば、巻き網、燃料、氷なども漁協が管理したものを使う。 漁師にとって、漁協と手を切るなど考えられないことで、それこそ死活問題でもあった。 また、水揚げされた魚も漁協が一元的に出荷するシステムで、魚の保存や出荷などに漁師は関わらない。 全てそれぞれのプロが他にいるのだ。 知佳の前に立ちはだかった壁…それは既存の流通という常識の壁だった。

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だが、諦められなかった知佳は、再度、漁協に交渉を行なった。 実は、長岡たちも一度、漁協に改革を訴えたことがあった。 しかし…その厚い壁を打ち破ることはできなかった。 だが今、目の前に諦めないよそ者が…くじけない小娘がいた。

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そして…知佳は、ある計画で既存の流通という壁を打ち破ったのだ!
知佳が許可をとりつけた計画はこうだ。 漁獲量の大半を占めるアジとサバは、これまで通り漁協に水揚げし、既存の流通ルートにのせる。 しかし、その時、一緒に網にかかるスズキやマダイなどの他の魚は漁師が消費者に直接販売しても良い。 さらに、そこで獲得した売り上げの一部を手数料として漁協に支払う。 漁師も利益をあげ、軌道に乗れば漁協も利益が上がる、まさに共存共栄の仕組みだった。

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一つの壁をクリアした知佳は、長岡ら漁師たちと任意団体『萩大島船団丸』を設立。 代表者は長岡のはずだったが…「難しいことはよう分からん」という彼の一言で、知佳が代表に就任した。
どんな魚が欲しいのか? 飲食店など、顧客と直接やりとりし、要望に沿って魚を提供。 釣ってすぐに血抜きをして鮮度を保つ、独自に保管庫を借り、温度管理を徹底し梱包する。 これまでは市場に水揚げするまでで、漁師の仕事は終わりだった。 だが、これからは一部の魚は漁獲から受注、そして発送までを漁師が行う仕組みとなった。 要望にあった魚をより鮮度の高い状態で、より早く届ける。 これらの利点が「付加価値」となり、値を上げるのだ。

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しかし、あるトラブルが発生。 顧客から注文と違う魚が送られてきたとクレームが入ったのだ。
調べてみると、魚の呼び方は地方によってまちまちだということがわかった。 漁師たちも地元の呼び名しか知らないことが多い。

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このままでは、また同じようなミスが起こるかもしれない。 そこで知佳は、漁師にスマホを携帯させ、魚を撮影してもらうことにした。 文字だけでなく、映像で確認する方法でこれを解決した。

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またこんなことも…届けた魚がコチコチに凍っていたのだ。
実は知佳は、魚を配送する際、一緒に袋に入れた氷を入れ、その中に塩をひとつまみ入れることにしていた。 塩を混ぜると、氷が溶けるスピードが速くなる。 氷が水になる際に周りの熱を奪うことを利用し、箱の中の温度をより下げる工夫だった。

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しかし、知佳がいない時、漁師たちは、より冷えればいいと考え、手のひらいっぱいの塩を入れていた。 結果、冷やし過ぎとなり、魚が凍ってしまったのだ。

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一通りの業務を漁師たちに教えたのち、新たな顧客を獲得するため、知佳は営業に繰り出した。
朝9時、知佳は息子を24時間保育に預け、そのまま新山口駅へ急ぐ。 そして、新幹線で大阪に移動する。 飲食店が暇そうな時間を選んで、客として入り、刺身の盛り合わせを一品だけ注文し、ツマまで綺麗に平らげた。 そして、「萩に帰ったら魚を詰め合わせて送るので、一度食べてみていただけませんか?」と持ちかけた。

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まずは、食べてもらうことから始め、話が商談まで進むと会食となり…時には1日4回ということも。 そして、その席で振る舞われる食事は、相手の機嫌を損ねないように全て平らげるようにしていた。 深夜まで営業し、翌朝始発で萩に戻り、保育園のお迎えにギリギリ間に合う、そんな日々だった。

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ところが、現場に知佳が姿を見せなくなったことで、漁師たちは疑心暗鬼になっていた。
この頃には、漁師たちは教えられた仕事はできるようになっていた。 だが、その様子すら見に来ない知佳に、みな大きな不満を抱くようになったのだ。

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そして、久しぶりに顔を出した知佳と長岡は大喧嘩! 長岡は知佳に「出ていけ!」と言ってしまった。 知佳は、一枚のメモを置いて出て行った。
そのメモには、獲得した顧客の店名、名前、連絡先の他、料理人の癖や好み、取引の詳細が書かれていた。 タクシーに乗る経費などない…知佳は、多い日は3万歩も歩き、靴底をすり減らして営業にまわり、3ヶ月で20件の新規顧客を獲得していた。

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長岡たちは、そのメモを見て、知佳に電話をかけたのだが…何度電話しても知佳は出なかった。
翌日、やっと電話がつながったのだが、知佳はフェリーで四国に向かっているという。 この時、長岡たちは知佳が彼らにとってなくてはならない存在になっていたことを思い知った。

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知佳は、長岡たち漁師たちのところに戻ってきた。 四国に行ったのも、高知で6次産業が軌道に乗っているところがあるため、勉強にでかけていたのだ。

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そして、萩大島船団丸が始動して一年が経つ頃には、漁師たちが営業まで行うようになっていた。
知佳は思い切って、漁師たちに業務の担当を振り分けることにした。 漁師たちの当事者意識が6次産業定着の鍵だと考えたからだ。
2年が経つ頃には、事業も安定し、若い漁師を迎えるまでになった。 漁師たちの意識は着実に変わっていった。

今から7年前、知佳さんは株式会社「GHIBLI」を設立。 萩大島での生活体験ができる旅企画など、禁漁期間でも収入を得られるよう、さまざまな取り組みを行なっている。
さらに、全国各地で知佳たちの考えに賛同する漁師が増え、九州、四国、千葉、北海道でも船団丸を発足させた。 一時、コロナ禍により業績が9割減まで落ち込んだものの、なんとか5割減ほどに戻ってきているという。
現在、息子さんは中学生! 多忙な中、子育てにも全力投球だ!

萩大島船団丸、長岡さんに今後の夢について伺った。
「一社だけがよくなっても、何も意味がないんです。みんながよくなければ私はダメだと思うので、私たちの失敗事例もたくさん正直に話をする。私のこれからの夢は、そういうことをいろんな漁師さんや関係者に伝えていって、みんながこの海で生きていけるようにやっていければなというのが、私の今の思いです。」

今年2月、福島と宮城を震度6の地震が襲った。 このニュースを知った萩大島船団丸はすぐに福島と宮城の飲食店などに100kgの鮮魚を無償で送った。
大震災から10年、立ち直りかけたところにコロナ禍、そこにまた大きな地震。 どうか心を荒ませないでほしい…漁業を支えてくれている人たちに元気になってもらいたい…そんな思いが込められていた。

知佳さんはこう話してくれた。
「(漁業関係者)みんなで限られた資源だからこそ、大事に扱う。減っている資源だからこそ、どう守るのか。自分さえ良ければ、自分さえ捕れれば、自分さえ儲かれば、自分が楽であればではなくて、お客様のために、仲間のために大事にできて、みんなで守っていけて、よくなったものが消費者のみなさんの口に入っていく。そういう大きな流れができていったらいいなと思っています。」