2月18日 オンエア
日本中が知る国民的ヒット曲の誕生に秘められたミステリー
 

今なお、日本だけでなく世界中で愛される、坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」。 ラジオの人気パーソナリティーでもあった作詞家の永六輔さんが歌詞を、日本のトップジャズピアニストだった中村八大さんが作曲を手がけたこの曲は、発売開始から驚異的なヒットを記録。 その人気は世界にも広がり、米国ビルボードチャート1位を獲得。 作詞の永六輔、作曲の中村八大、歌う坂本九の3人は「689トリオ」と呼ばれ、ヒットメーカーの象徴にもなりました。

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しかし、この曲のヒットの3年後に発売されたあるレコードに、驚くべきミステリーがあることをご存知ですか?
その曲とは…「幸せなら手をたたこう」。
こちらも誰もが知る坂本九さんの大ヒット曲。 でも実はこの曲が発売された時、なんと「作詞作曲者は不詳」になっているのです!一体なぜ?

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それは「上を向いて歩こう」がアメリカで大ヒットし、坂本九さんが国際的スターになった翌年のこと。 街を歩いていた九さんは、偶然、若い女性たちが楽しそうに口ずさんでいる歌声を耳にしたのです。 九さんは女性たちに誰の曲か質問したのだが…彼女たちも誰の曲か知らなかった。 だが、数年前から歌声喫茶で流行っているという。 歌声喫茶とは、当時若者の間で大流行していた、客全員が合唱する喫茶店のこと。

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九さんは、その場で女性たちに何度か歌ってもらい曲を覚えると、レコード会社に持ち込みディレクターに聞いてもらうことに。 ディレクターも気に入ったようだった。 ところが、その後も歌声喫茶に聞き込みするなどして、調べてみたものの…作者は分からずじまい。
それでも、九さんのどうしてもこの歌を歌いたいという強い思いを受け、レコード会社は彼の歌を元に作曲家のいずみたくさんに編曲を依頼。 作詞作曲者不詳のままレコードをリリースしたのです。

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歌は空前の大ヒットとなったものの…依然として、作者は分からないまま。 しかし、その数ヶ月後のこと。 この日、とある人物が九さんを訪ねてきました。
木村利人さん、当時30歳。 早稲田大学大学院で法学を学ぶ研究者だった彼こそが、「幸せなら手をたたこう」の作詞者だったのです。

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木村さんは、歌を世に広めてくれた九さんに感謝していると言う。 実は、「幸せなら手をたたこう」には、彼のある切実な思いが込められていました。 1959年、当時、早稲田大学の大学院生だった木村さんは、簡易トイレを作るボランティアのため、フィリピンに2ヶ月滞在。 その時、忘れ得ぬ体験をしました。

戦時中、日本の統治下に置かれていたフィリピン。 そのこともあり、フィリピン人の中には、日本人に対して敵意を持っている人も少なくなかったといいます。 それでも、木村さんが懸命にボランティアを続けていると…いつしか、現地の若者たちが心をひらいてくれるように。 木村さんが、日本に帰る前には、小学校の子どもたちが送別会を開いてくれたそうです。 そのとき、彼らが行っていたアメリカ民謡を手を叩きながら歌う遊びが、心に残ったといいます。

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帰国後…友人にその歌を披露すると、覚えやすいフレーズだったため、すぐに学内で流行。 当時、若者たちに人気だった「歌声喫茶」でも歌われるようになり、作者不詳のまま急速に広まっていき…ついに坂本九さんの耳に届くまでに。 そして…木村さんは、「自分が作った歌」を九さんが歌ってるのをラジオで偶然聞き、驚愕したのだそう。

歌詞で繰り返される「幸せ」とは、「高度経済成長による物質的な豊かさ」ではなく、戦争が終わり、平和の中で生きられることの喜びという意味だったのだ。
そして、正式な作詞者が記載された「幸せなら手をたたこう」が改めて発売に。 今や教科書に載るほどの名曲として日本中に定着、愛され続けているのです。