紛争地帯、アフガニスタンの、中心あたりに位置するジャゴリ地区。
この村に住む5歳のムルタザはサッカーが大好きだった。
だが、家は貧しく、持っているのは空気の抜けたボール1つだけ。
恵まれない環境の中で、サッカーの試合を見るのがムルタザの唯一の楽しみだった。
中でも大好きな選手がいた。
それは…アルゼンチン代表で、スペインの名門FCバルセロナに所属する大スター、リオネル・メッシだった。
ムルタザはアルゼンチン代表の、ストライプのユニフォームに憧れていた。
だが、貧しい家計の中、ユニフォームを買ってやることなど不可能だった。
そんなある日…兄が、メッシに憧れる弟のためにと、ストライプのポリ袋をベストの形にしてアルゼンチン代表のユニフォームをつくってくれたのだ。
そして、喜ぶ弟の姿を、離れて暮らす親戚に見てもらおうと、SNSに親族だけが見られるかたちで、限定公開した。
ところが…後ろ姿のこの写真だけが、どこからか流出。
ネット上で一人歩きを始めてしまったのである。
ポリ袋のユニフォームをまとった少年の写真は『世界一のメッシファン』と名付けられ、世界中に拡散された。
あの少年はどこの誰なのか?
一時、その居場所について間違った憶測が流れるなど、情報は錯綜。
一方、アフガニスタンに住む二人の兄弟は…自分たちの写真が拡散され、世界で話題になっていることなど知るよしもない。
ゆえに彼らが名乗り出る事もなく、その正体が明らかになる事もなかった。
ところが、運命は思いがけないところから動き出す。
その日、オーストラリアに移住したムルタザの叔父が、ニュースに気付いた。
彼は『世界一のメッシファン』の少年は、イラクではなくアフガニスタンの子供であるとSNSに投稿。
すると、すぐさまイギリスの公共放送局、BBCから問いわせが来た。
そしてBBCが少年について報じると…世界中のマスコミがこぞって取り上げるように。
中には現地アフガニスタンでの取材を敢行するメディアもあった。
そんなある日の事、ムルタザ宛に荷物が届いた。
それは、アルゼンチン代表のユニフォームだった!
なんと、メッシ本人からの贈り物だった!
実は、苦しい環境の中、サッカーを愛し、自分に憧れてくれている少年がいるということは、いつしか本人も知るところとなっていた。
せめてその小さな願いを叶えてあげたいと、メッシはアフガニスタンサッカー連盟とユニセフに協力を要請、ユニフォームを贈ったのだ。
ユニフォームには直筆のサインが書かれていた。
そして手紙には…『僕も君に会いたい。これを着て練習に励んでほしい。いつか必ず君に会いに行くよ』という、メッセージが書かれていた。
ところが…突然世界から注目された、辺境の村に住む家族。
このささやかな幸せは、一家を困難に直面させることになる。
治安が悪化する中、人々の心はすさんでおり、メッシのユニフォームや現金を要求する脅迫が殺到。
このままではムルタザの誘拐すら起こりかねない。
命の危険を感じた一家は、慣れ親しんだアフガニスタンの小さな村から、逃げるように姿を消した。
その数ヶ月後…メッシの所属するFCバルセロナは、カタールの首都、ドーハでサウジアラビアのサッカーチームと親善試合を行うことになった。
世界トップクラスの強豪クラブがシーズン中、わざわざ中東まで来て、親善試合を行うのは極めて珍しい。
試合開始直前、両チームの入場。
先頭はメッシ。
だがよく見ると、彼だけが通常一名であるはずのエスコートキッズを二名伴っている。
メッシの左側を歩く少年こそ…あのムルタザくんだった!
一体何が起こったのか?
実は、ムルタザの窮状を知ったメッシは…すぐにでも少年に会って励ましたいと、行動を開始。
だが、アフガニスタンは紛争地帯。
ましてや彼はスーパースター、自由に行動できる時間も限られている。
そこで所属クラブを通して、アフガニスタンサッカー連盟、ユニセフと連携し、ムルタザに会うためのプロジェクトチームを立ち上げた。
そして、行方のわからなくなった一家が、パキスタンのとある村に避難していることを突き止めると…続いて、親善試合の実現に向け日程を調整。
パキスタンから近く、比較的治安が良い、カタールでの開催にこぎつけた。
こうしてメッシは、『いつか必ず会いに行く』という約束を果たしたのである!
ムルタザはメッシにくっついてそばから離れない。
審判にピッチの外に出るよう促されても、向かった先は、そうメッシのところ。
試合後行われた、懇親会。
ここでもムルタザはメッシと離れようとせず、思い出深いひとときを過ごした。
あれから4年、ムルタザくんは現在、生まれ故郷、アフガニスタンに戻っている。
メッシに会った事で、プロサッカー選手になりたいという思いはますます強くなり、その夢を叶えるため、毎日、プレゼントされたユニフォームを着て練習に明け暮れている。
ムルタザ「メッシに会えた日は最高の1日だったよ。将来は第二のメッシと呼ばれる選手になりたい。