7月2日 オンエア
奇跡の夫婦愛 最期の七日間
 
photo photo photo

一昨年の朝日新聞投稿欄に宮本英司さんは、亡き妻・容子さんが生前残した、『七日間』という詩にまつわる文章を投稿。 この投稿は、またたく間に広がり、心温まるエピソードとして話題になった。 英司さんが書いた本を元にその感動秘話を紐解く。

photo photo photo

二人の出会いは学生時代、早稲田大学で同じクラスだった。 そして、卒業後 3年目に結婚。
二人の息子を授かり、助け合って人生を歩んできた。 夫婦水入らずの時間を得ることができたのは、息子達が結婚し独立してから。

photo photo

英司は定年後に再就職。 週3日の勤務となり、やっと二人でゆとりある日々を迎えられる、そう思った矢先…今から5年前の夏のことだった。
容子は突然の腹痛で大学病院へ。 検査で腫瘍が見つかり、手術することになった。 手術後、妻がICUでまだ眠っている時、英司は医師から、腫瘍は悪性だったと告げられた。 ステージ4の小腸ガンだった。

photo

手術の10日後、医師から容子にも病状が伝えられた。 さらに、余命は2年と宣告されてしまった。
容子は黙って聞いていた。 英司は意外にも冷静な容子に驚いたという。

photo

退院後、セカンドオピニオンを受けた病院で、その後の治療を受けることにした。
そして、余命宣告から1ヶ月後、抗がん剤治療が開始された。 ここでも容子が弱音も吐かず、冷静でいることを、英司は不思議に思った。

photo photo

それから半年、英司はつきっきりで看病した。 入退院を繰り返し、容子は家に帰ると、英司のために作り置きの料理を作った。 調子の良い時は、大好きなドライブにも行った。

photo

「余命2年」の宣告から1年後の2016年8月。
容子はお腹の不調を訴え、病院に行くと、腸閉塞を起こしており、検査すると、小腸に再び悪性の腫瘍ができていた。

photo

この頃から英司は、仕事帰りも病院へ直行。 もはや自分のことは、二の次三の次。 愛犬の小春に餌をあげ、容子の作った料理を食べて、病院に戻る。 献身的な毎日を送っていた。

photo photo

再発しても、容子は決して悲観的な振る舞いはしなかった。 それどころか、旅行の計画を立てたりなど、容子は前向きなことしか言わなかったという。 英司には信じられないことだった。
1ヶ月近い抗がん剤治療は苦しかったが、二人で乗り越え、退院。 自宅で年を越し、70歳の誕生日を迎えることができた。

photo photo

「余命2年」の宣告から2年後の2017年10月、再び病状が悪化し、緊急入院。 腫瘍は大きくなっていた。
病院でできる治療も限られていたため、病状が落ち着くと、自宅療養を開始した。

photo

自宅療養を始めて、わずか1週間後のことだった。 身体が衰弱してきたために、地元の病院へ一旦入院することになった。 この時、英司は体力が戻ればすぐに自宅に帰れると思っていた。 だが、再入院して間もなく、肺炎で一時、意識不明の重体にまで陥った。 容子の体調は日に日に悪化していった。

photo photo

再入院から一週間ほどが経ち、やや落ち着いた日のことだった。
容子が「もし神様がいらしたら、お願いしたいの」と言った。 もはやペンを持つ力もない容子に代わって、英司がノートに書き留めた。

photo

それがこの詩だった。
「神様お願い、この病室から抜け出して七日間の元気な時間をください」
「一日目には台所に立って料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーとシチューも冷凍しておくわ」
「二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー ミシンを踏んでバックやポーチ 心残りがないほどいっぱい作る」

photo

「三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹(もみ) どれも思いの詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね」
「四日目には愛犬連れてあなたとドライブに行こう 少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園 手つなぎ歩く」

photo

「五日目には子供や孫の一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ」
「六日目には友達集まって憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの」

photo photo

「七日目にはあなたと二人 静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて 二人の長いお話をしましょ」
妻の願い、それは友人や愛する家族と過ごす日常だった。

photo

2018年 1月19日、宮本容子さん逝去。
享年70歳だった。

photo

容子さんの死から数ヶ月後、英司が容子の遺品を整理していた時…容子のパソコンの中に日記を発見した。
英司はその日記から妻の心情を初めて知ったのだ。

photo

「残念ながら私の余生は少なくなりつつあるようで、それを否定し、考えないように生きたいけれど、思っていること書かなければ不安で押しつぶされそう。」
「手がしびれる。副作用第一弾だ。確実に抗がん剤は私の体に入って正常な細胞もこわしているのだ。」
容子は冷静だったわけでなく、英司に心配かけないように、気丈に振る舞っていただけだったのだ。

photo photo

「抗癌剤八回目 耐えられない副作用ではない。もっと生きたい。」
「もっとあなたと楽しい日々を過ごしたい。生きることにしがみつきたい。」
「残念だけれど、小春とあなたを置いていくけれど、しっかり生きてくださいね。天国で待っていますからね。ゆっくり来てください。」
「あなたがいない時間に私が死んでも、決して後悔しないでくださいね。それまでの時間が大事なのだから。ずっと愛して、幸せですからね。」

photo photo

容子さんは最後の七日間の詩の終わりにこう綴っていた。
「神様お願い
七日間が終わったら
私はあなたに手を取られたら
静かに静かに 時の来るのを待つわ」

photo photo

英司さんが書いた書籍、そのあとがきに代え、天国の容子さんにあてた手紙がある。
『小春も元気にしているよ。散歩中に女の人を見かけると、キミと勘違いして駆け寄ってしまうけれど、病気もしないで、良い子にしています。』
『これからも これまでと同じように、ずっと二人で生きてゆこうね。キミの肉体がなくなっても、ボクには全然関係ないから いつもキミと一緒に楽しんで、笑って過ごしていこうね。』