5月21日 オンエア
世界を変えた日本人スペシャル
 

『あの大ヒット商品の誕生秘話』

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今や世界中で 大ヒットしているあの商品が…世界中で 使われているアレが…実は 日本で開発されたという事実は、あまり知られていない。 世界を魅了する日本の技術! その原点にあった苦悩と葛藤。 知られざる アンビリバボーな誕生秘話とは!?

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今から39年前、伊部菊雄さんは、メーカーの設計部に勤務する若きエンジニアだった。 当時、設計部では、月1回、新技術や新商品に関する企画書を必ず提出するノルマがあったのだが…企画をきちんと練る時間もないまま、〆切の日を迎えてしまった。 エンジニアは、企画書に基礎実験データや開発イメージなどを添えて出すのが当たり前だった。 もはや万事休す。結局 企画書には アイデアだけを書いた。 怒られるのは覚悟の上だった。

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そして、企画書を出したことすら忘れていた数週間後…なんと、伊部の企画が通ったのだ! 伊部は心底驚いた。 締め切りに追われ、出した企画書、そこに書いたのは…『落としても壊れない丈夫な時計』、たった1行だけ! 時計は精密機械、落としても壊れないというのは、当時、あり得ないことだった。

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ただ このアイデアを出したのには 伊部なりの理由があった。 以前、高校入学祝いに父に買ってもらい、ずっと付けていた時計が、人とぶつかった拍子に床に落ち、バラバラに壊れてしまったことがあった。 時計って 結構 簡単に壊れるんだという実体験が心に残っていたのだ。 さらに当時、道路工事などの作業員は、壊れてしまうことを考え、時計はしていないのが当たり前だった。 単純に彼らが付ける腕時計があればいいなと思っていた。

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試作には入ったものの、商品として実現可能だという裏付けをとる基礎実験から、伊部は苦労する羽目になる。 当初は、時計の外側をゴムで保護すれば、衝撃も緩和され、かつガラス面が 直接ぶつからずに済むと考えていた。 地上10メートル、3階の窓から落としてみたのだが…地面に落ちた衝撃でガラスは割れ、機械も壊れてしまう。

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壊れないようにするには、時計全体をゴムテープでぐるぐる巻きにするしかなかった。 しかし…確実に壊れなくなったのは、ソフトボール大の大きさ。 だが、そんな代物は、腕時計になどなりえない。

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そこで全く新しい耐衝撃構造を考えることに。 思いついたのは、素材を変えて5段階で衝撃を吸収する構造。 ゴムパーツとメタルパーツを交互に重ね、時計の心臓部を保護する仕組みだ。 なんとか腕時計にできるサイズにはした。

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新たな衝撃吸収構造を考案し、落下実験を行った。 何百回と実験を行ったが、必ずいずれかの部品が壊れてしまう。 壊れたところを補強しても、あらためて確認すると、今度は別の場所が壊れるという「モグラ叩き現象」に陥ってしまった。

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そんな中、伊部が落下実験を行う様子から、重力を意味する英単語を使った商品名が考案された。 だが、世界的大ヒット商品は、この時 まだ形になっていなかった。 開発開始からすでに1年以上が経っていた。

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商品名は決まったが、時計自体はまだまだ…にもかかわらず、伊部を信頼していた上層部が、発売時期の目処だけはつけてしまっていた。 タイムリミットは迫っていた。 伊部は辞表を出す決意をしたという。
だが、公園で子供がボールで遊んでいる姿を見て、あることをひらいめいた! そして、ある構造のおかげで 衝撃吸収力が格段に向上したのだ!

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あの時、伊部の頭に浮かんだのは…もし あのゴムボールの中に心臓部が浮かんでいたら 衝撃は伝わらないのでは?ということだった。
そこで考えたのが、時計の心臓部を点で支え、ケース内に浮かせるように配置して、外部からの衝撃を伝わりにくくする構造だった。

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1983年4月、カシオ計算機から発売された その時計は、重力を意味する「Gravity」のGをとり、「G-SHOCK」。 電池寿命7年、防水20気圧、ハードな衝撃に耐える、耐衝撃性がウリだった。

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苦労に苦労を重ねて完成した壊れない時計、G-SHOCK。 今や、世界中で大ヒットしている商品だが…当時は、全く売れなかったのだ!
1980年代は「軽薄短小」ブームの時代。 時計も、薄くて軽くて小さいものこそがトレンドとされ、ゴツゴツとした大ぶりの時計が売れる気配は全くなかった。 マーケティング部門も、壊れない、衝撃に強い時計を一体どう売ればいいのかわからず、売り場の隅にひっそりと並べられているという日々が8年続くことになる。

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そんな中、当時の営業担当は、ダメ元で販売網のあったアメリカ、イギリス、ドイツに売り込んだ。 すると、アメリカの担当だけが興味を示してくれ、発売にこぎつけたのた。 だが、ここで思いもよらない出来事が起きる。
それは、アメリカ支社が独自につくったテレビCM! アイスホッケーの選手が、G-SHOCKをスティックで思い切りシュートしているのである! こんなことをしても壊れないという表現だったが、それは開発者の伊部ですら想定外の方法だった。

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当然のことながら、アメリカ国内では誇大広告だと批判が高まり、ついにテレビ番組で検証実験が行われることになってしまった。 プロのアイスホッケー選手をリンクに立たせ、パックを打つのと同じように、G-SHOCKを本気でシュートするというのだ。
結果、G-SHOCKは壊れることなく動き続け、性能は本物だと証明された。

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さらに、G-SHOCKと普通の時計をトレーラーで轢く実験も行われた。 その結果…G-SHOCKは壊れることなく動き続け、またもその性能を証明した。 もちろん普通の時計は粉々だ。
この検証が放送されると、アメリカでG-SHOCKの評判が一気に高まり、警察官や軍の兵士など、屋外でハードな活動を行う人たちを中心に売れ始めた。

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日本ではさっぱりだったが、アメリカでは大人気となり、定番商品となったG-SHOCK。 すると、そこから奇跡が起こる。 スケートボーダーから火がつく形で、ゴツいデザインだったG-SHOCKは、ストリートファッションとして受け入れられるようになった。 スポーツをしている時も、時計をしているのが当たり前になった。
そして、今から26年前にヒットした映画『スピード』で、キアヌ・リーブスが着用していたことでも人気が加速。 激しいアクションにも壊れることはなかった! その結果、これまでの販売不調がウソのように、逆輸入という形で、日本でもブレイク! G-SHOCKはものすごい勢いで売れ始めた。

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しかし、伊部は日本での大ブームを手放しでは喜べなかった。 実は、G-SHOCK発売から3年後には、自ら希望を出して、担当を外れていたのだ。 当初 全く売れなかったG-SHOCKは、当時の伊部にとっては、忘れたい過去でしかなかった。

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しかし、警察官や軍関係者が、その耐久性や機能性に目をつけたアメリカとは違い、ファッションとしてブームになった日本では、年を重ねてもつけられるG-SHOCKが必要だと、伊部は考えていた。 ブームがずっと続くとは思っていなかったのだ。
そこで伊部はあらたな企画を会社に提案した。 ファッションとしてG-SHOCKを身につけていた若者も、社会人として責任ある立場に成長する。 G-SHOCKをそんな人たちでもつけられる普遍的な時計にできないか? と考えたのだ。

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伊部は 担当を外れて以来、目を背けてきたG-SHOCKに再び向き合う決意をした。
その結果、1996年に生まれたのが『MR-G』と呼ばれる金属製ボディのG-SHOCK。 スーツにも合う、高級感のある時計だが、もちろん耐衝撃性は以前と変わらない。 これによりG-SHOCKは、ファッションだけにとどまらず、実用性を備えた時計として 幅広い年代層へと広まった。

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そして、発売から34年後の2017年には、出荷数は世界累計1億個以上を突破。 女性向けブランドBaby-Gやフルメタル、他ブランドとのコラボ商品と様々なモデルを発表。 コレクター心をくすぐる商品としても定着。 ファッションとして流行した1990年代よりも、現在の方が売れ行きを伸ばしている。 一過性のブームを超え、驚異の世界的大ヒット商品へと上り詰めたのである!

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そんな中で伊部は、「落としても壊れない丈夫な時計」という本来のコンセプトの大切さを再認識。 それを発信する活動にも力を入れている。
現在 伊部は、世界各国を回る『ショック・ザ・ワールド』や『ファンフェスタ』などと名付けられたイベントで、ファーザー・オブ・G-SHOCKと紹介され、コンセプトやストーリーを伝えるレジェンドとして引っ張りだこ。 今や世界でその名を知られる存在となった。

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若き技術者の『あったらいいな』という、1行の提案から生まれた夢の時計。 それは、数々の苦難といくつもの奇跡を経て、現在、世界中の人たちの腕で時を刻み続けている。

『誰もが知るアレ! 奇跡の発想』

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街でのショッピング、インターネットサイトへの誘導、入場システム。 世界中に普及し、今や見かけない日がないアレ。 その原点には、1人の日本人技術者のひらめきと、誰もに役立つ技術を広めたいという仲間たちの思いがあった。

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今から40年前、大学の工学部を卒業した原昌宏さんは、自動車部品製造の最大手、日本電装(現:デンソー)に入社した。 配属されたのは、自動車部品ではなく、ソフトウエアの開発部門。 原が担当したのは、会社の主力である 自動車部品工場の製品を管理するシステム作り。 製造現場を円滑に運営するためには重要な仕事だった。

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その頃、現場で使われていたのは、バーコード。 バーとスペースの組み合わせをレーザーの光で読み取ってデータを取り出す技術である。
また、部署では 新たな技術の開発も進んでいた。 活字や手書きの文字を、スキャナーやカメラで読み取りテキストデータに変換するという、当時、最先端の技術を研究していた。

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原たちはその技術を実用化。 国際規格として すべての本に割り振られている番号を認識、会計などに使用できるシステムを開発し、書店に売り込んだ。
ところが…当時の読み取り技術には限界があった。 汚れなどが原因で180円の雑誌を1800円と一桁多く読み取ってしまう、エラーを起こしてしまったのだ。 この時、原は『技術には、絶対に誤りがあってはいけないんだ』と思ったと言う。

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厳しい要求は取引先からだけではなかった。 自動車の製造工場からも、バーコードが多すぎて、読み取るのに時間がかかるというクレームが入っていた。
自動車部品の材料やパーツは、国内外の様々な場所からやってくる。 その上、工場内でいくつもの工程を経て製品化され、また、様々な場所へと送られる。 全ての情報を、都度、バーコードとして貼り付けていくと、膨大な量になってしまい、読み取るだけでも時間がかかり、製品管理の作業としては、極めて非効率的だった。

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工場が要求する技術を開発するには、日常業務をやりながらでは絶対無理だと感じた原は、新しい情報コードの開発を専任でやらせてほしいと願い出た。 時は1992年、すでに景気後退ははじまっていて、生産量は落ち込み、研究開発に割く予算も人材も余裕はなかった。
だが、会社は原の提案を受け入れてくれた。 ただし、許されたのは2年間、スタッフは、原と後輩の渡部、2名のみだった。

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バーコードは、文字数にして20文字程度の容量しかない。 そこで 原は、バーコードよりも画像は複雑になるが、より多くの情報を詰め込めるコードの研究に取り組んだ。 しかし…画像が複雑になると、読み込むのにも相応の時間がかかってしまう。

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コードを読み取る際、バーコードの場合は、横方向にしか情報が並んでいないため、コードの正確な形や向きを認識するのに、さほど時間はかからない。 しかし、情報を多く詰め込むためにコードを複雑化すると、それを認識するのにかなりの時間がかかってしまう。 開発は行き詰まり…会社から許された期間、その終わりは 刻々と迫っていた。

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開発にあたり、原はトヨタグループの豊田中央研究所にも協力を仰ぎ、メンバーは4名になっていた。 できなければ責任を取らざるを得ない。
そんな頃、高層ビルを見て、原はあることを思いついた。 原が気づいたのは、高層ビルは、低層階や中層階は規則正しい形が連続しているが、最上階部分には特徴的な構造やデザインが施されていて、おのずと目が行ってしまうということだった。 もし、自分の眼が画像を認識するカメラだとしたら…最上階のデザインのような目印があれば、すぐにコードの向きや大きさを認識できる!

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原は、このひらめきを当初から研究していたあるコードに応用した。 それが…二次元コード!
バーコードのように横方向だけではなく、縦方向にも情報を含むことができる二次元コード。 バーコードよりも 多くの情報を詰め込めるのが特徴だ。

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二次元コード自体は、バーコードを開発したアメリカで生まれたものだったが、画像の向きの認識など読み込みに時間がかかるため、なかなか実用化には至っていなかった。 原は、このコードの端にカメラが認識しやすい特徴的なデザインの目印を置いた!
そう、原が開発したのは…QRコード! 今日、我々があらゆる場所で目にするQRコードは、こうして誕生したのだ。

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原はこの四角形の「切り出しシンボル」を必ずコードの3箇所に置いた。 なぜ4箇所ではなく 3箇所なのだろうか?
3箇所にすることで、形や大きさに加え、コードの向きが一瞬で認識できるようになる。 仮に1箇所や2箇所でも 向きを認識することは可能だが、3箇所に比べると、形や大きさを認識するのに時間がかかってしまうという。

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その結果、100文字以下の情報であれば、0.032秒という圧倒的なスピードで読み込むことが可能になった。 そして容量もすごかった、数字であれば約7000字、漢字やカナでも1700字、A4用紙1枚分という、それまでのバーコードとはケタ違いの情報量を入れ込むことができるようになった。

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開発開始から2年が経った1994年、日本電装はQRコードを発表。 原は、工場での使用を目的に開発したため、汚れや破損を想定し、最大30%まで欠損しても読み取ることができる復元機能を持たせた。
QRコードは容量が大きいため、情報を詰め込んでも余裕ができる。 その空いたスペースに予備データを入れておくことで、破損部分を解読する仕組みだ。 『技術には間違いがあってはならない』…かつて読み取りエラーを出してしまった苦い体験がここで生きた。

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そして、QRコードは自動車組み立て工場で採用されると…その後、特許を取得。 だが、彼らも会社も このQRコードの特許で大きな財を成すことはなかった! 今や 全世界に普及しているにも関わらず、一体 なぜ!?

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QRコード開発当初から、原たちには、誰もに役立つ技術を広めたいという思いがあった。 そこで、会社が決断したのがオープンソース化だ。 オープンソースとは、特許や著作権を保有しても、その権利を行使しないことをいう。
なぜそのようなことをするのか? 当時、アメリカで開発された二次元コードの多くは、開発者が特許を保有、使用にあたり、料金を取っていた。 そのため なかなか普及せず、市場を席捲しているものはなかった。

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QRコードが、アメリカのどのコードより、情報量、読み取り速度ともに優っていると自信を持っていた 原たち。 「世界中の人に使って欲しい」という一心だったが、他社に盗用されてしまっては元も子もない。 そこで、特許を取得した後に、その権利は行使せず、公開。 使用料も設けず、無料で誰もが自由に使えるものにしたのだ。

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原と営業部門のスタッフは、QRコードと読み取りのデモ機を持って、興味を示してくれそうな企業を回った。 その読み取りの速さと正確さに「本当に読んでいるのか?」と驚かれたという。
QRコードは、やがて国内の自動車産業全体に広がり、さらに自動車以外の業界もその利便性に気づき、採用するようになっていった。

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そして 2002年、業務用のみに利用されていたQRコードに奇跡ともいえる大きな変化が起きた。 携帯電話にカメラが標準装備されたのである。 これが人々の生活に革命をもたらした。
そしてカメラに伴い、QRコード読み取り機能も、徐々に搭載されるように。 企業のサイトにアクセスしたり、クーポンを取得できる便利さから、個人ベースで急速にQRコードは普及。 これは原をはじめ会社の誰もが予想し得なかった出来事だった。 はからずも QRコードの性能が見事に証明された結果となった。

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現在、我々はQRコードを身の回りのありとあらゆる場面で目にする。 誰もがスマホひとつで膨大な情報にアクセスでき、飛行機にも乗れ、キャッシュレス決済までできる。 原の願いである「世界中の人に使ってもらえる」ものとなったのである。

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原のいた産業機器事業部は、日本電装から分社化し、デンソーウェーブとなった。 今から6年前には、QRコード開発チームは、欧州発明家賞を受賞。 QRコードの普及、国際化に尽力し続けたチームの努力が認められたのだ。 原はそのプロジェクトリーダーとして、世界的に評価される技術者となった。
いま、世界中の人々が当たり前に使っている技術は、技術者たちの挫折や、ふとしたひらめき、現場の要求に応え 完璧なものを作ろうという血の滲むような努力と プライドの上に成り立っていた。

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G-SHOCKの生みの親、伊部菊雄さんは、各国を回る『ショック・ザ・ワールド』のファンイベントを通し、世界で名を知られる存在となっている。 だが、最初は表に出ることを拒んでいたが、「落としても壊れない丈夫な時計」という最初のコンセプトを一番伝えられるのは自分だと思い、イベントに出ることを決意したという。 現在、G-SHOCKの本来の価値を知る人々が、世界中に ファンとして存在している。

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伊部さんは、定年後も会社に残り、アドバイザリー・プランナーとしてG-SHOCKの普及活動に努めている。 人々が時計をしなくなった時代と言われるが、G-SHOCKKは様々な変化を遂げ、現在も売れ続けているのだ。 今やスマホと連動して、位置情報の記録や時刻補正などを行えるモデルも登場している。

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さらに進化が著しいのがQRコードだ。 個人情報を入れ込んだQRコードを用い、キャッシュカードなしで、お金を出し入れできるATM。 顔認証と組み合わせることで、強固なセキュリティーを構築することができる。 もちろん他人が使っても…認証されることはない。

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路線によっては駅に設置されたホームドアにもQRコードが使われている。 ホームドアは 車両の数などによって、開く場所と 開かない場所が その都度違うのだが、車両のドアに貼られたQRコードを認識することで、瞬時に 開けるドアを判別することができる。 低コストで導入できるこのホームドアシステムは、すでに都営地下鉄などで取り入れられている。 QRコードの父、原昌宏さんも定年後、会社に残り、主席技師として今も進化するQRコードの開発を行っている。

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世界に名を轟かせる2人の日本人、彼らは現在もその圧倒的なバイタリティーで、より豊かで暮らしやすい社会の実現に邁進し続けている。