8月22日 オンエア
世界を目指した2人!国境を超えた絆
 
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今から3年前のリオデジャネイロオリンピック、柔道女子70キロ級決勝戦。 白いユニフォームが日本の田知本選手。 金メダルに輝いた田知本選手には、この試合の後、勝利の喜びとともに、もう一つ感動する出来事があったという。
「この時彼女は、私に日本語で『ありがとう』と言ってくれました。」
コロンビア人であるアルベアール選手は、なぜ日本語でありがとうと言ったのか? そこには…1人のコーチの挑戦と国境を越えた絆の物語があった。

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ジュリ・アルベアール選手のコーチである早川憲幸は、実家が道場を営んでいたこともあり、5歳で柔道を始めた。
彼にはある夢があった。 それは…柔道をツールにして海外に行くこと。 中学生の頃、野球の野茂投手がメジャーリーグに行って活躍をしているのを見て、感動をしたのだという。

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しかし、試合での成績は、全日本の学生選手権で2年連続3位。 さらに…同級生には鈴木桂治選手など、その時点で世界クラスで活躍している人ばかりだった。
選手として海外で活躍するほどの実力はない…そう悟った彼は大学卒業後、消防士になった。

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しかし、どうしても夢を諦めきれず、28歳の時…「たとえ選手として世界で認められなくても、柔道を教えることはできる。」、そう思った彼は、プエルトリコで柔道を指導している大学時代の先輩に電話をかけた。 海外で柔道に携われるならどこでもよかった。 その先輩が紹介してくれたのは…コロンビア。 治安の悪さから誰も手を上げる者がなかった国だった。

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今から10年前の5月。 コロンビア柔道連盟と月給7万円で契約した早川は、コロンビア第3の都市、カリへ降り立った。
だが…そこで目の当たりにしたのは、この国の貧しさ。 幼い子供が物乞いをし、スリや強盗などの犯罪は日常茶飯事。 また用意された道場も…あるのは畳だけ。 宿舎として用意されたのも…コンクリート敷きでベッドもない部屋。

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それでも、好きな柔道を海外に広められると、期待に胸踊らせながら生徒を待った。 ところが…練習開始時間になっても生徒は誰一人、やって来なかった。
練習開始予定時刻から1時間が過ぎた頃、ようやく生徒が集まってきた。 だが、やってきたのは…将来有望な選手とは程遠い、素人に近い人ばかり。 この時点では、連盟もオリンピックでメダルを取ることなど、期待していなかった。 実は、コロンビア柔道連盟が早川を呼んだのは、柔道界全体の底上げと普及が目的だった。

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そんなある日、1人の女性がやって来て、「強くなれる柔道を教えて」と言った。
彼女はジュリ・アルベアールという名の大学生だった。 早川が赴任する1年前、北京オリンピックに出場し7位になったが、コロンビア人コーチの指導に限界を感じていたという。

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ジュリは今まで接してきたコロンビア人とは全く違っていた。 遅刻をするどころか…バスで2時間かかる村から誰よりも早く道場にやってきた。 さらに、練習後は自らトレーニングに励んだ。
そんなある日、打ち込みと呼ばれる基本練習をやっていた時のことだった。
ジュリは、早川にこう言った。 「もっとワザを教えてよ!私は早く強くなりたいの!強くならないとダメなの!」

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ジュリは地方の小さな村で生まれ育った。 両親は貧しい日雇い労働者。 賃金は安く、兄と4人、家族はトイレもシャワーもない家で暮らしていた。 食事も満足に取れず、隣の家から分けてもらった水で空腹を満たした。

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そんな貧しい生活の中で出会ったのが、柔道だった。 コロンビアでは、試合の結果に応じて報奨金が支払われる。
幸い才能に恵まれたジュリは、オリンピック出場という好成績を収め、大学進学を果たした。 家族のために試合に勝って、賞金を稼ぎたい。 そのため、大学に行きながらも、朝7時からの朝練と昼練に毎日通い、早川に教えを請うた。

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この時点で次の世界柔道選手権まで3カ月しかなかった。 そこで早川は、奇策に打って出る。 手足の長いジュリの特徴を生かし、あえて組み合わず、立った姿勢から相手の足をつかむ技を習得させたのだ。

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そして迎えた世界柔道選手権。 ジュリは順調に勝ち進み決勝に進出した。 そしてそこで…なんと優勝を果たした。
早川の作戦が功を奏したのだ。 コロンビア初の快挙だった。

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だが、この奇襲作戦も、間もなくルール改正により使えなくなった。 それだけではない…さらなる試練がジュリを襲う。
膝の怪我で全治8カ月。 翌年の世界柔道選手権は欠場するしかなかった。

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8カ月のブランクを経て、ジュリは復帰した。 だが、2011年の世界柔道選手権は初戦敗退、屈辱的な結果だった。
落ち込むジュリに、早川は「世界を取ったことは忘れろ。また1から始めよう。」と言った。

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いつしか、ジュリは地味な練習だと嫌っていた打ち込みにも、自ら積極的に取り組むようになった。
そして、柔道に携わる仕事さえできればどこでもいい、そんな気持でコロンビアにやって来た早川自身も…貧しさから抜け出したい一心で、ひたむきに柔道に取り組むジュリに出会い、大きく変わっていった。

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しかし、早川は指導者としては素人に近い。 あの奇襲戦法はもう通じない。
そこで彼は、コロンビアの柔道連盟のコーチにもかかわらず、日本の指導者に電話をし…ジュリにとって効果的なトレーニングがないか教えを請うた。 さらに海外の試合で、ジュリが敗れた相手のコーチを捕まえては…指導方法やトレーニング方法を教えて欲しいと頼んでまわった。 ジュリを強くするためには、なりふりかまってはいられなかった。

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さらに…早川は自ら渡航費用を捻出し、日本での合宿を実現させた。 しかし、いざ来日し、練習に参加してみると…奇襲作戦も封じられた今、日本のトップ選手との実力差は明らかだった。 それでも日本滞在で得たものを糧に、ジュリはひたすら練習に励んだ。

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そして、早川が赴任してきて3年後のロンドンオリンピック。 1回戦、2回戦と勝ち進んだジュリ。
そして迎えた準々決勝。 ジュリは優勝候補相手に一本取られ敗退。 準決勝進出はならなかった。

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しかし、柔道では準々決勝で負けても、敗者復活戦で勝利すれば、3位決定戦に出場が可能。 そこで勝てばメダルを獲得することは出来るのだが、ジュリは負けたショックで落ち込んでいた。
早川は、ジュリにこう言った。 「泣いてる場合じゃないだろ。メダルを取ると取らないのとでは、今後のお前の人生は全然違ったものになるんだぞ。お前は日本で何を学んで来たんだ!」

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ジュリは、こう話してくれた。
「日本人は練習に臨む時、大きな大会に出られないような選手でも、日々、自分を高める努力をしていました。柔道に本当に大切なのは、『心構え』なんだということを気付かされました。その気持ちなくして強くはなれないんです。」

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そして、ジュリは順当に勝ち進み、3位決定戦に進んだ。 白いユニフォームがジュリだ。
ジュリは見事勝利! コロンビア柔道界初、オリンピックメダリストとなった!
しかし、この時実は…2人を引き裂き兼ねない、ある事態が起ころうとしていた。

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オリンピックの柔道で初のメダル獲得。 ジュリは、故郷コロンビアで一躍ヒーローとなった。 一方…教え子をコロンビア柔道界初のオリンピックメダリストへと育て上げた早川。 この大会を最後に、彼とコロンビア柔道協会との契約は切れる。
早川は、待遇が遥かにいいロシアに行く。 もう彼の指導を受けることは出来ない、誰もがそう思っていた。 だが…早川は、コロンビアに残ることを選んだ。

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再び世界の頂点を目指す2人3脚の旅が始まった! ロンドンオリンピックは銅メダルで終わった。 上を目指すには、長期間、海外遠征をして実力をつけるしかない。 そう考えた早川は…スポンサーを探し、ジュリを売り込んだ。

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そして、アスリートの支援に力を注いでいるミキハウスが、コロンビア代表のジュリを全面的にサポートすると約束してくれた。 日本企業が海外選手を所属選手にするのは極めて珍しい。 早川の熱意が実を結んだ瞬間だった。 これにより以降、海外遠征にかかる渡航費用や滞在費などの全てを、会社が負担してくれることになった。

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そして迎えた、リオデジャネイロオリンピック。 運命の試合前日…ジュリは様々なプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。 早川は、ジュリに手紙を渡した。
コロンビアに来て7年、多少の日常会話はできるようになっていたが、文字を書くことは全くできなかった。 それでも思いを伝えるため、辞書を引きながら必死に書いたものだった。

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手紙にはこう書かれていた。
「君が自分の夢を叶えるために集中していることが、俺の励みにもなった。これから戦いが待っている。でも、一瞬たりとも君が最大限の練習を積んできたことを疑わないでくれ。俺は君の側で最善を尽くすと決めた。俺の心は君の心とともにある。君を家族だと思っている。」

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ジュリは、3度目のオリンピックの舞台に立った。 金メダルを目指して。
ジュリは順当に決勝へと進んだ。 相手は日本の田知本選手。 前評判はあまり高くなかったが、ノーシードで勝ち上がってきた。

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そして金メダルをかけた決勝戦が始まった。 だが…敗退。 夢まであと一歩だった。
しかし、勝ちにこだわっていたジュリにも変化が生まれていた。 試合後の挨拶の時、ジュリは敗れた日本の田知本選手に日本語で敬意を表した…『ありがとう』と。

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しかしなぜ、試合に負けたにもかかわらず、ジュリは『ありがとう』といったのか? ジュリは、こう話してくれた。
「正直なところ金メダルを逃してとても悔しかった。でも負けたとはいえ、決勝で戦えたことへの感謝の気持ちが湧き上がり、自然にありがとうございますって言葉が出たんです。それはノリ先生が教えてくれた相手へのリスペクトの心なのかもしれません。」

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柔道の創始者嘉納治五郎が、柔道の精神として唱えた言葉がある。
『自他共栄』
自分と他人が相互に融和協調して共に生き栄えること、それほど大切なものはないと。

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貧しい境遇から、生きるためだけに柔道を始めたジュリ。 コロンビアで、初めて本気で自分を必要としてくれる人物と出会った早川。 そんな2人が出会い、互いにかけがえのない家族のような存在となった時、ともに大きな成長を遂げた。

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ジュリは試合で得た賞金で両親のために自宅を新築した。 そこには、彼女がこれまで獲得したメダルが飾られている。 さらにジュリは、自身が生まれた村の貧しい子供達全員にクリスマスプレゼントを贈っている。

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また、小さかった柔道場の横には、今、ジュリの名前を冠した体育館が建設中だ。 ジュリは、柔道だけでなく、他の競技もできるように依頼したという。 子供達のあらゆる可能性を広げるためだ。
ジュリ・アルベール選手は、8月25日から日本で行われる世界柔道選手権に出場する。 目標は、もちろん金メダル!

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一方、コロンビアでは、ジュリの活躍を目にし、多くの子供達が早川に教えをこうためにやって来ている。
現在、コロンビアのオリンピック代表コーチを務める早川。 コロンビア柔道の将来について、こう語る。
「僕がずっとコロンビアにいると、指導者が育たなくなるんですよ。今、僕が教えている生徒が指導者になる。教え子が育った時に自分が引かなきゃいけないのかなと思います。」