3月22日 オンエア
専業主婦が国を変える!? 壮絶人生!運命の決断とは?
 
 
photo  キャサリン・グラハム、彼女はある重大な決断を迫られていた。 彼女は、ほんの数年前まで、愛する夫と子供達に囲まれる専業主婦だった。 だが、彼女の運命の歯車は、ある日を境に突然、狂いだした。 国家の最高機密をめぐる大事件に直面した彼女が、全てを失う覚悟で下した決断とは!?
 スピルバーグ監督によって映画化された全米を揺るがす歴史的な大事件。 運命に翻弄されながらも、立ち向かった一人の女性の人生。 そして壮絶な闘いの果てに待ち受けていたアンビリバボーな結末とは?
 
 
photo  司法書士をしていた夫との間に4人の子供をもうけたキャサリンは、専業主婦として忙しい毎日を送っていた。 キャサリンの父・ユージーンは、株式投資で財を成した実業家だった。 彼が展開した多くの事業のひとつに新聞社があった。 その新聞社とは、アメリカの名門紙、ワシントン・ポスト。 実は、かつてワシントン・ポストは経営難に陥り、破綻寸前だったが、キャサリンの父が買収し、立て直したのだ。
 女性の役割は、妻であり、母であった時代。 当時は、女性が会社のトップを務めるなど到底考えられなかった。 そのため、父・ユージーンも、自分の娘ではなく、義理の息子・フィルをワシントン・ポストの次期社長にと考えていた。
 
 
photo  ハーバード・ロースクールを優秀な成績で卒業後、司法書士として活躍していたフィル。 新聞というビジネスは全くの未経験だったが、キャサリンの父親の熱意に動かされ、ワシントン・ポストの仕事に就くことを決意。 もともと有能な人物、さらに帰宅後も仕事に取り組むなど、人並み外れた努力で経験のなさを補っていった。
 さらに、フィルは優秀な人材を積極的に起用。 中でも、元弁護士のフリッツは特別な存在だった。 彼は、会社の事業活動全てを相談できる非常に有能な人物で、フィルにとって欠かすことのできない経営パートナーとなった。
 
 
photo  そして、フィルがワシントン・ポストに来て およそ半年、父・ユージーンは、フィルに全てを託し、会社を去ることを決断した。
最後にユージーンはフィルにこう言い残した。
「ただこれだけは忘れないでくれ。新聞の第一の使命は確かめうる限りの真実を伝えること…そして、新聞が最も大切にしなければならないのは、読者、大衆の利益であり、オーナーの個人的な利益ではないということを。」
 この時、フィルは30歳。 アメリカ大手新聞社の社長としては、当時、最も若かった。 その後、およそ10年、ワシントン・ポストは順調に売り上げを伸ばし、大きく成長していった。
 
 
photo  ワシントン・ポストのトップとなったフィルは、ケネディ大統領夫妻をはじめ、著名人との交流も増えていった。 そのため、キャサリンも度々、華々しい社交の場に同席した。 さらにフィルは、社長となってすぐ、ラジオ局やテレビ局を買収し、事業を拡大。 だが、交友関係が一層広がる中、キャサリンはパーティに出るたびに孤独を感じ、自信をなくしていった。
 
 
photo  そんな中、仕事は順調だったが、事業を拡大したことで、フィルには見えない重圧がのしかかっていた。 フィルを心配するキャサリンに声を荒げてしまったこともあったが…二人の間で喧嘩をしない約束をしていたため、それ以上言い合うことはなかった。
 結婚当初、二人は些細なことがきっかけで、一度だけ大喧嘩をしたことがあった。 この時、ひどく落ち込んだフィル。 実は彼は、幼い頃、頻繁に両親の喧嘩を目撃していたという。 いがみ合う男女の殺伐とした空気…そういったものに大きなトラウマを抱えていた。
 そして、二人は『二度と夫婦喧嘩はしない』というルールを作った。 その結果、互いに何か思うことがあっても打ち明けない、本音を語り合うことがない…そんな関係になってしまった。
 
 
photo  フィルはプレッシャーから逃げるように、キャサリンではない他の女性を頼った。 だが、そんなある日、フィルが浮気をしている会話をキャサリンが偶然、聞いてしまった。 彼女の家には複数の電話機があったが、それらは内線でつながっていたため、受話器をあげれば、会話を聞いたり、話したりすることができたのだ。
 フィルは自分が犯した過ちを謝罪したが…この時も彼らは『夫婦喧嘩はしない』という約束のもと、本音でぶつかり合うことはなかった。 キャサリンは、浮気について深く詮索することはせず、フィルの謝罪を受け入れ、やり直すことを決めた。
 
 
photo  ところが、浮気が発覚してから、およそ8ヶ月後。 自分の能力に対する絶望、妻を裏切ってしまった罪悪感、あらゆる負の感情に襲われたフィルは、自ら命を絶ったのだ!
 フィルの葬儀後、キャサリンは彼の右腕だったフリッツから、重要な相談を持ちかけられた。 キャサリンにワシントン・ポストの社長に就任してほしいというのだ。
 フリッツは、キャサリンにこう言った。 「お父様の、そしてフィルの遺志を継げるのはあなただけだ。会社は今まで通り運営され、売却されることはない。そう言って社員たちを安心させてください。お願いします。」
 
 
photo  フィルの自殺から およそ1ヶ月半後、それまで主婦業に専念していたキャサリンがワシントン・ポスト社の社長に就任した。 これまでは家庭だけを必死に守ってきた。 しかし、これからは首都ワシントンを代表する新聞社を守っていかねばならない。 彼女は会社組織そのものについて、一から勉強した。
 さらに、経営者としての振る舞いや、心構え、様々なことをフリッツからも学んだ。 キャサリンは、フリッツに支えられながら、ワシントン・ポストの社長として少しずつ成長していった。
 
 
photo  そんな中、ワシントン・ポストは、新しい編集局長を迎えた。 名は、ベン・ブラッドリー。 彼は、時に厳しい言葉で鼓舞することで、記者たちのやる気と能力を最大限に引き出していった。
 当時、ワシントン・ポストは、ニューヨーク・タイムズをはじめ、ボストン、シカゴ、フィラデルフィアなどのアメリカを代表する新聞社としのぎを削っていた。 売り上げはもちろん、彼らが追い求めたのは、どこがより多くのスクープを取るかだった。
 実はベンは、キャサリン自らが主要な役職に抜擢した初めての人物。 そのため、彼女は他の役員たちに対するのとは違い、ベンとなら対等に話すことができた。
 
 
photo  ある日、ベンが「どうもおかしい、何かある。」と言い出した。 この3ヶ月間、ニューヨーク・タイムズのエース記者が一本も記事を書いていないという。 大きなネタを追っている可能性があった。
 ベンの予感は的中した…ニューヨーク・タイムズの一面に踊ったのは、全米を驚愕させるスクープだった。 ニューヨーク・タイムズは、何と!ベトナム戦争の機密文書をスクープしたのだ!
 
 
photo  当時、ベトナムは共産主義国家の『北ベトナム』と、アメリカが支援する『南ベトナム』に分断されていた。 南ベトナムに介入しようとする北ベトナムに対し、アメリカは共産主義国家の拡大を防ぐため、南ベトナム政府を守ろうと、軍隊を送り込み支援。 しかし、状況が好転しない事から、北ベトナムへの爆撃を開始。 全面的な戦争へと突入し、多くの若者を戦地へと派遣していた。 報道がなされた1971年当時も、まだ戦争は続いており、ニューヨーク・タイムズの記事は、その行方を大きく左右する特大のスクープだった。
 
 
photo  ニューヨーク・タイムズが『ベトナム戦争の公文書』と称して掲載した文書は、やがて『ペンタゴン・ペーパーズ』と呼ばれることになる最高機密文書だった。 アメリカ軍を統括する国防総省、通称ペンタゴン。 その長官の指示のもと作成され、アメリカがベトナム戦争へと突入していった詳しい経緯をまとめたものが、ペンタゴン・ペーパーズである。
 全47巻、7000ページにも及ぶその文書には、国民に隠されていた真実の数々が書かれていた。 ニューヨーク・タイムズは、絶対に公にしてはならない機密文書、そのコピーを独自に入手し、内容を連載記事として公表していくことを宣言したのだ。
 
 
photo  第一弾の記事は、アメリカが爆撃を行ったきっかけについて。 そこには、アメリカ国民の認識とは違う『真実』が書かれていた。 北ベトナムに対して爆撃を行うきっかけとなったとされるのは、アメリカの軍艦が北ベトナムの警備艇から魚雷による攻撃を受けた『トンキン湾事件』。 つまり、アメリカが全面的に戦争を開始したのは、あくまで報復によるものであるというのが、一般的な認識だった。 ところが、ペンタゴン・ペーパーズによれば、『トンキン湾事件』以前から、アメリカは北ベトナムに揺さぶりをかけるため、秘密裏に小規模な破壊活動を行っていたというのだ。
 
 
photo  ワシントン・ポストの記者で、情報をリークした人物に心当たりがあるという者がいた。 そして、記者がその人物の元を訪ね、ニューヨーク・タイムズのスクープのことを聞くと…自分がランド研究所から持ち出したものだと認めた。
 ランド研究所…そこはアメリカ軍の軍事計画を立案・研究する機関であり、ペンタゴンや軍の機密書類が保管されていた。 ワシントン・ポストの記者が訪ねたこの男は、かつてランド研究所で核戦略を担当していた人物。 機密書類にアクセスする権限を持つほどのエリート研究員だった。 元々、研究所で同僚だった記者は、いつしか反戦運動に傾倒するようになっていった この男が怪しいと睨んだのだ。
 
 
 こうして、ワシントン・ポストもペンタゴン・ペーパーズを手に入れた。 そして、ベンは朝刊にこれを掲載するという。 だが、キャサリンは掲載することに不安を感じていた。
photo  実は、アメリカ政府はニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズを掲載した翌日、裁判所に公表差し止め命令を求めていた。 当時はまだ、戦争の最中だったにも関わらず、戦争に関する隠された真実が書かれた最高機密文書が流出したのだ。 これ以上の連載は、大きな混乱を招く可能性があった。 すると裁判所は、ひとまずニューヨーク・タイムズに掲載差し止めの仮処分命令を出した。 これ以上の公表を一旦 禁じたのだ。
 
 
photo  ベンは、差し止め命令はワシントン・ポストに出ているものではないと言って、編集作業を続けた。 そこでキャサリンは、掲載するかどうか、フリッツや顧問弁護士と相談して決めるようにと、ベンに指示をした。
 そして、キャサリンとワシントン・ポストは運命の一日を迎えた。 すると、自宅にいるキャサリンに、フリッツから電話がかかってきた。 ペンタゴン・ペーパーズの掲載について、ベンと話し合ったが、結局 結論はでなかったという。 そのため、掲載するかどうかは、キャサリンが判断する必要があるというのだ!
 
 
photo  キャサリンがフリッツから決断を迫られる数時間前、記者たちは、翌日の朝刊に間に合わせるために戦っていた。 しかし、会社の顧問弁護士や役員たちは掲載に強く反対した。
 もし、機密文書を掲載すれば、ニューヨーク・タイムズと同じように差し止めの仮処分命令がでることは明らか。 仮処分が裁判で正式な差し止めとなれば、事態は深刻なものになる。 機密文書を政府に無断で公表したら、間違いなくスパイ活動法に抵触する。 それは、何十年もの懲役が科せられる重罪だった。
 
 
photo  確かに、アメリカの憲法で報道の自由は守られていた。 しかしその一方で、国家の最高機密を公表してしまうことは、明らかに重大な違法行為だった。 さらに、機密文書を盗み出した男との共謀罪に問われる可能性もあった。
 それだけではない…ニューヨーク・タイムズは仮処分とはいえ、裁判所から差し止めを受けている。 それを無視して記事を掲載するのは、裁判所に逆らうということ。 ニューヨーク・タイムズが載せたときよりも、ワシントン・ポストが置かれている状況は深刻なものだった。
 
 
photo  話し合いは平行線のまま、時間だけが過ぎていった。 そして、朝刊の締め切り時間が目前に迫る中、フリッツはキャサリンに電話で決断を求めたのだ。 ベンをはじめ、役員や弁護士たちも内線電話で会話に加わっていた。
 キャサリンは、ずっと支え続けてくれたフリッツに意見を求めた。 フリッツの意見は…「私だったら公表しないと思います。」というものだった。 しかし、キャサリンの決断は、『公表する』だった!
 
 
photo  その決断は、『新聞の第一の使命は、確かめうる限りの真実を伝えること、新聞が最も大切にしなければならないのは、読者、大衆の利益であり、オーナーの個人的な利益ではない』という父と夫・フィルの遺志を継いだものだった。
 さらに、フリッツに意見を求めた時、彼が一度しか言わなかったことも、キャサリンに決断をさせた要因だった。 実は、いつも彼は大切なことを言う時は、必ず念を押して二回言うのだ。 だが、先ほど彼は一度だけしか言わなかった。 キャサリンはそれを聞いて、フリッツも心の奥で迷っていると感じた。 そして、自分がしっかり決断しなければと思い、自分の意志で後悔のない決断をしたのだ。
 
 
photo  そして、ワシントン・ポストに『ペンタゴン・ペーパーズ』が掲載された。 彼らが極秘文書の中から取り上げたのは、ベトナムの悲劇の原点とも言える内容だった。
 南北に分断されていたベトナムでは、戦争が拡大していく前に、一度だけ南北の統一選挙を行おうという動きがあった。 ところが、選挙によって共産主義の統一国家が生まれる可能性を怖れたアメリカ政府は、この選挙を妨害。 戦争へと進む大きな要因となった。
 未だ戦争が続く中 発表された渾身のスクープ。 ニューヨーク・タイムズの時と同様、予想通り、アメリカ政府は記事の差し止めを求め、裁判所から掲載差し止めの仮処分が出た。
 
 
photo  ワシントン・ポストがペンタゴン・ペーパーズを公表してから4日後、全米の17の新聞が次々とペンタゴン・ペーパーズを掲載。 国民に隠されていた事実が続々と暴かれていった。
 書類を盗み出した男は、ワシントン・ポスト以外の新聞社にも文書のコピーを提供していたが、どの新聞社も当初は掲載をためらっていた。 そんな彼らに、キャサリンの決断が勇気を与えた。 さらに、多くの新聞が政府の欺瞞に満ちた機密文書を載せたことで、反戦の声も高まっていった。
 
 
photo  そして、キャサリンの決断からおよそ2週間後、最高裁の判決が出ることになった。 その時、キャサリンは社内に待機し、電話での連絡を待っていた。 裁判の行方は、予断を許さない状況だった。 一審、二審では、ともに掲載を認めたものの…その一方で、裁判所は機密文書の公表を阻止しようとする政府の立場にも理解を示していた。 控訴、上告の期間中も差し止めの仮処分を維持するという異例の判決を下したのだ。
 最終的な判決は、最高裁判所の判事9名による判断に委ねられていた。 キャサリンの決断から およそ2週間というスピードだったが、アメリカでは事件の緊急性に応じて、急いで裁判を行うことは珍しくなかった。 果たして、結果は!?
 
 
photo  判決が出た時の様子が、翌日のワシントン・ポストの一面に載せられた。 一面に掲載された写真に写っているのは、キャサリン、ベン、そして多くの記者たち。 そして、裁判の結果は…6対3で、報道の自由が勝利したのだ!
 判事の一人はこう述べた。 『自由で拘束されない新聞のみが、政府の欺瞞を効果的に暴くことができる。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、その他の新聞は、その勇気ある報道に対して非難されるどころか、建国の父たちがかくも明確に定めた目的に奉仕するものとして賞賛されるべきである。』
 
 
photo  盗まれた機密文書を新聞に掲載したことで、ワシントン・ポストは共謀罪に問われる可能性もあったが、起訴はされなかった。 その理由は定かではないが、全米の新聞がスクラムを組むようにペンタゴン・ペーパーズを掲載したことが大きく影響したのは明らかだった。 結局、文書を盗み出した男も不起訴となった。
 そして、この出来事の後、ベトナム戦争は一気に終結に向かい、2年後、アメリカ軍は完全撤退。
終戦を迎えた。
 
 
photo  キャサリンは74歳までワシントン・ポストのトップを務めたあと、1991年に息子のドナルドに将来を託した。 その後、彼女は孫たちに囲まれた幸福な晩年を過ごし、2001年、84歳で天に召された。
 
 
photo  掲載を認める判決が出た後、記者会見でキャサリンはこう語っている。
「今回の件では、多くのことを考えさせられました。心を決めなければなりませんでした。今回のことが未来につながるものと信じています。」