9月28日 オンエア
放送20周年 800回記念!アンビリバボーな人々のその後
 
 
 奇跡体験アンビリバボー、放送20周年記念!
番組に出演したアンビリバボーな人々のその後を徹底追跡。
 
 
まずは、今から16年前に放送した…『人体の神秘!? どうしても○○が止まらない男!』
photo  アメリカユタ州に住む、ダウェル・セス君、当時21歳 彼は8ヶ月前、固いお肉を無理やり飲み込んだところ、しゃっくりが止まらなくなってしまったという。
 そこで、番組は急遽、セス君を日本に招待。 なんとかしゃっくりを止めてあげようと、しゃっくり止めの権威、井上毅一先生を招いて数々の対策をこうじた。 だが…全て失敗。
 
 
photo  そこで、最後の手段として井上先生が提案したのが、セス君を驚かせること。 お化けのエキストラをセス君の部屋に隠し、びっくりさせることで、しゃっくりを止める作戦に! クローゼットに注目させるため、照明を点滅させる。 そして…驚いて思わず後ずさりのセス君。 ついに彼のしゃっくりは止まったのか!? しかし、失敗。
 結局、我々はしゃっくりを止めてあげることができず、セス君は失意のまま帰国した。 あれから16年、彼はいまだにしゃっくりに苦しめられているのだろうか?
 
 
photo  今回、我々は16年ぶりにセス君の自宅を訪ねた。 少し丸くなったが、間違いなくセス君、いや37歳の大人になったセスさんだ! そして、あれだけ番組が手を尽くしても止まらなかったしゃっくりが止まっていた!
 セスさんによると、2004年ごろから徐々に回数が減っていき、そしてある日ついに止まったのだという。 当時、しゃっくりのためにデートもできないと嘆いていた彼だったが、しゃっくりがおさまったことで恋人もでき、現在は結婚して2人の子供がいるという。
 
 
今から11年前に放送したのが…『クリップを家に!? 現代版わらしべ長者』
photo  カナダで暮らすカイル・マクドナルドさん、当時26歳。 当時つきあっていた恋人、ドミニクさんとの結婚も視野に入れ、そろそろ家を持ちたいと考えていた。 でもフリーターだった彼にお金はない。
 そんな時、目にとまったのが、「赤いクリップ」だった。 彼は自分のホームページに『これより大きい物、もしくはこれより良い物と取り替えてくれませんか?』というメッセージを掲載。 そう、カイルさんは、『物々交換を繰り返し、家を手に入れる』というアンビリバボーなアイディアを思いついたのだ。
 
 
photo  すると、すぐに魚のペンと交換することができた。 同じ日、魚のペンは、ある彫刻家が処分に困っていたドアノブに変わる。 その1週間後、ドアノブをエスプレッソメーカーのフタの取手として使いたいという男性から、キャンプ用コンロとの交換依頼が来た。 その後、キャンプ用コンロは発電機に、発電機はビール樽とネオンサインに変わった。
 さらに、カナダの人気ラジオアナウンサーからの依頼でネオンサインと交換したのが、スノーモービル! 彼は、カイルさんの活動をホームページで知り、見守っていたのだという。 受け渡しの様子が報道されると、新聞や雑誌も次々とこのプロジェクトを取り上げ、カイルさんは時の人となった。
 
 
photo  その後、スノーモービルがカナダの国内旅行券に変わると、その旅行券に対し、カイルさんがいつも着用しているシャツのメーカーから、社名入りトラックとの交換依頼があった。 交換したトラックは、音楽スタジオの男性からのオファーでレコーディングができる権利に変わった。 それを知った実力派歌手のジョディ・グランドさんがレコーディング権と交換してくれたのが…一軒家を1年間借りて住める権利!
 これに対しカイルさんはこう言った。 「これは決してゴールじゃない、一軒家を手に入れるまで僕は交換し続けるよ」
 
 
photo  その後、家の賃貸権はカリスマ・ヘヴィメタル歌手、アリス・クーパーの半日レンタル権と交換。 と、ここまでは番組で放送したのだが、その後どうなったのか?
 放送から1ヶ月後、カイルさんは、歌手のレンタル権を人気ロックバンドKISSのスノードームと交換。 依頼主はスノードームコレクターであり、彼にとってはプレミアな逸品だという。 その1週間後、スノードームは映画の主演権になった。 『ドナー・オン・デマンド』というスノードームコレクターを主人公にした映画に、主役ではないがセリフのある役で出演できる権利だ。
 
 
photo  そしてその3日後、映画主演権と交換したのが…こちらの家! カナダ中央にあるキプリングという町が町おこしの一環として、家と映画出演権を交換。 交換式典では、映画の出演者オーディションも行われた。
 こうして、ついに念願のマイホームを手にいれたカイルさんは、恋人・ドミニクさんにプロポーズ。 1年後には、めでたく結婚した。
 
 
 だが、そのわずか2年後、念願だった家を手放し、ドミニクさんとも離婚してしまったという。 クリップからのスタート、あれから11年、一体 カイルさんに何があったのか? 現在、彼が暮らしているというバンクーバーを訪ねた。
 カイルさんはこう話してくれた。 photo 「家を手にいれた後、何か新しいことをやり続けることこそが私の生きがいだったのだと気づきました。なので、新たにわくわく出来ることを始めようと思い、家を手放して新しいアドベンチャーを始めたのです。」
 家を手放した後は、講演活動や、フリータクシーのドライバー、画家などマルチに活動を続けたカイルさん。 その収入で別の家を購入できたという。 3年半前には、新たな恋人とも出会い、結婚。 昨年、第一子が誕生、家族3人で充実した日々を過ごしている。
 
 
同じく11年前に放送したのが…『人類ただひとりの奇跡!? 絶対に眠らない男』
photo  ウクライナで暮らす、ヒョードル・ネステルチュクさん、当時66歳。 絶対に眠らない生活とは?
 保険代理店を営むかたわら、農園と牧場の経営もこなすヒョードルさん。 毎日午後7時に帰宅、家族とともに食卓を囲む。 その後、テレビを見て、就寝前の読書と思いきや、新聞を開く、そして2時過ぎ、何を思ったのか?このタイミングで愛犬を可愛がる。 午前3時、また新聞! そしてついに、日の出。 また仕事に出る。
 
 
photo  彼はこの生活を20年間も続けているという。 原因は20年前のぎっくり腰…激痛で3日間眠れなかった。 そして、痛みが治まった後も一切眠ることが出来なくなったという。
 そこで、睡眠状態を測定する装置をつけ、再び密着。 この日も、ヒョードルさんは一切眠ることはなかった。 だが、驚くべきことに午後11時から午前5時にかけて、睡眠状態に近い波形が検知されたのだ。 専門家によると、身体が上手く省エネモードを作っていると考えられるという。
 
 
photo  あれから11年、彼は今も眠っていないのか? 今もウクライナに住んでいるというヒョードルさんを訪ねてみると…今年77歳になったというが、とっても元気そう。
 再び、ヒョードルさんの1日に密着。 家族が寝静まった深夜1時。 テレビをつけたと思ったら、まさかの大音量! 実はヒョードルさん、最近耳が遠くなり、知らぬ間に大音量でテレビを見ていることが多いという。 深夜3時、やっとテレビを見終え、本を取り出しベットで読書。
 
 
photo  そして、4時を過ぎた頃…ラジオを大音量で流したまま、電気を消した! 絶対に眠らない男が、なんと眠っているではないか! 朝日が昇ると、ラジオのボリュームを上げて、起きた! なんとも清々しい顔で起き上がる。 約2時間、ヒョードルさんは確かに眠っていた。
 実は、半年ぐらい前から、朝方に2時間ぐらい眠れるようになったという! 11年ぶりに会った全く眠らない男は、ちょっとだけ、眠れるようになっていた!
 
 
今から10年前に放送した…『怪物スラッガー! ありえない豪速球を打つ天才野球少年』
photo  そのスーパーキッズは、福岡県北九州市にいた。 石田大我くん、当時12歳。
 少年の狙う球、それは…バネを強化したピッチングマシーンから放たれる豪速球。 その速さ、時速180キロ。 それを見事に打ち返した!
 そんなスーパーキッズをスタジオに招き、球速を上げて挑戦してもらった。 その速度は、驚異の時速200キロ! 10球の間に1球でもヒット性の打球が出れば成功。 そして…9球目、時速200キロをジャストミート! 見事に打ち返した。
 
 
photo  その後、彼は高校、大学と野球を続け、大学時代には九州6大学のベストナインにも選ばれた。 そして、時速200キロの球を打ち返す天才野球少年、彼は今どうしているのか?
 現在の石田大我さんの姿がこちら! 九州朝日放送の報道局に勤務している。 報道記者1年性、野球は引退し、仕事に全力投球の毎日だという。
 
 
記念すべき初回放送で取り上げたのが…『見たら死ぬ…猿酒』
photo  それは、秋田県のある家で千年近くに渡り、家宝として守られている伝説の秘薬。 猿1匹を酒に漬けて干ぼしにしたのち、塩水とともにかめに漬けたものだという。 腹痛に効くというが、家宝を守る家の女性以外、かめの中を見ることは絶対に許されない。
 過去に好奇心から、かめの中を覗こうとしたものがいた… 死んでもいいから見たいという和尚に、しぶしぶかめの中を見せると… その後すぐ、彼は腸チフスで亡くなった。
 さらに、その後、研究のためにという理由で、覗いた民族学者は…すぐにガンで亡くなったという。 謎が謎を呼ぶ、猿酒。 あれから20年…その後も、中を見た者はいないという。
 
 
続いては、今から8年前に放送した…『中国に現れた天才発明家! 〇〇を作り続ける男』
photo  北京郊外に暮らす、呉 玉録(ウー・ユールー)さん、当時48歳。 彼は物心ついた頃から機械に興味を持ち、農夫でありながら、あるモノを発明。 それが当時、中国国内で絶賛された。
 その発明とは、ロボット! 呉さんは、ユニークなロボットを開発する、天才発明家なのだ!
 
 
photo  しかし、制作に没頭する呉さんにある事件が起きた。 制作中のロボットのバッテリーから出火、家が全焼してしまったのだ! これにより、ロボット開発を断念、仕事に専念することを決意したという。
 だが、生きがいを失った夫を見た妻が、ロボット製作を後押し、家計は厳しいままだったが、妻の愛情が彼を変えた。 それまでは、自分の好きなロボットを作っていただけだったが、火事を起こしたことを許してくれた妻のためにも、人に喜ばれるものを作らなければと思ったという。 そして、家事に役立つロボットの開発に着手。 さらに、ロボットで妻に花を贈った。
 
 
photo  人のためにロボットを作る…その思いが思わぬ奇跡を生む。 なんと、アマチュアロボット大会で大賞を受賞! それが話題となり、ロボットを買いたいという人まで現れたのだ。
 そして、最高傑作を作って来日。 その作品が…呉三十二郎。 いつか人が乗れるロボットを作りたいという、呉さんの夢は妻の愛情によって見事実現した。
 
 
photo  あれから8年、呉さんは今、どうしているのか? 彼の現在を確かめるため、中国へ飛んだ! 自宅近くまでやって来たスタッフ。 すると…なんと、8年前スタジオで披露した当時の最新ロボット、呉三十二郎で迎えに来てくれた! 現在でも、呉さんと呉三十二郎は元気そうである。
 自宅へついて行くと、見渡す限り、ロボット、ロボット! そう、呉さんは今でもロボットを作り続けていた。
 
 
photo  この8年間に開発したロボットの中から、呉さん渾身の自信作を紹介! まずはこちら、マッサージロボット! 肩を叩くことはもちろん、うちわで扇ぐことで快適さをプラス。
 今では、ロボット作りだけで収入を得て、家族を養っているという呉さん。 妻のドンさんとも相変わらず仲睦まじいようだ。
 呉さんは、こう話してくれた。 「実用的なロボットをもっとたくさん作りたいと思っています。人を手助けする介護ロボや、お年寄りのための家政婦ロボット。暮らしに役立つロボットを作りたいんです。」
 
 
今から6年前に放送したのが…『史上最強の兄!? はじめてのタトゥーで…』
photo  これは誕生日の記念にタトゥーを入れる兄の姿を弟が撮影した映像である。 聞こえてくる兄の怒号。 兄のスティーブンくん、当時18歳。 彼はかれこれ3時間この格好でいる。 タトゥーがなかなか掘り進まないのだ。
 なぜなら…いちいち文句をつけては、作業を止めるのだ。 口調が荒いスティーブンくんだが、おそらく彼はビビっている。 ついに、店を出て行った…おそらく限界だったのだ。 その後、大学入学を果たし、大人になったスティーブンくんだったが、彼の日常はその後も弟のジャックくんによって、きっちりと記録されていく。
 
 
photo  あれから6年、兄弟は今、どうしているのか? 兄・スティーブンくんは、ちゃんと大学を卒業し、フィットネスインストラクターになっていた。
 そして、兄をバカにしてばかりだった、弟・ジャックくんも、今年、料理学校を卒業。 パティシエになるべく、就職活動に奮闘中だという。
 
 
photo  そんな2人の近況を、またしてもジャックくんに撮影してもらった。 どうやらこれから、スティーブンくんが家の倉庫に物を取りに来るらしい。 スティーブンくんは、ニワトリが大の苦手だという。 ジャックくんは、倉庫の鍵をニワトリの足につけ、鍵を取ろうとしてビビる兄を撮影しようというのだ!
 スティーブンくんが姿を現した。 彼は、ニワトリにビビっている。 そして、倉庫の鍵を探すものの…ニワトリの足に付けられていることを知ると…ビビって逃亡。 相変わらずの兄弟だった。
 
 
今から13年前に放送したのが…『まさに神業!? 世界一のギネス男!』
photo  その男が経営する薬局を訪ねた。 彼が世界一のギネス男、アシュリタ・ファーマンさん、当時50歳。 果たして彼の持つギネス記録とは一体どんなものなのか?
 公園にやって来たアシュリタさんが、リュックから取り出したのは牛乳瓶。 それをそっと頭の上に乗せると、走り出した!速い! 実は彼、牛乳瓶を頭の上に乗せたまま走る、世界記録保持者なのだ!
 
 
 しかし、これで世界一のギネス男と呼ばれるには、ちょっとインパクトが足りないと思ったあなた。 実は、彼の記録はこれだけではない。 ほんの一部をご紹介しよう。
photo  投げられたぶとうを口で受ける、1分間で77個。
高〜いものをアゴにのせる、16.64メートル。
でんぐり返しでの移動、1マイル 19分11秒。
片手でレンガ運び、136.87キロメートル。
水中縄跳び、1時間900回。
エアーズロックの前でフラフープをしながらの移動、1マイル 14分25秒。
 そう、彼の持っているギネス世界記録の数は実に78個! 世界で一番多くギネス記録を持っていることをギネスから認められた、まさに世界一のギネス男だったのだ!
 
 
photo  あれから13年、アシュリタさんは現在、何を生きがいにしているのか? 我々はニューヨークに飛び、再び彼の経営するあの薬局を訪ねた。 すると…いた!元気そうだ。
 頭には白いものも目立ち始めたアシュリタさんは、今でもギネスへの挑戦を続けているという。 今はなんと、196個の記録を持っているという! アシュリタさんの人生をかけた挑戦は、これからも続いていく。
 
 
 2012年、アンビリバボーで初MCに挑戦した剛力彩芽、そんな彼女が数ある奇跡の中で、最も印象に残っているものとは?
今年5月に放送…『80歳の新人歌手 アルツハイマー患う老人の奇跡』
photo  イギリスの小さな町で暮らすテッドさんは、38歳で結婚。 地元の工場で働きながら、幸せな生活を送っていた。 特に1人息子のサイモンには深い愛情を注ぎ、都会の大学に行きたいと言えば、喜んで仕送りをした。
 だが、サイモンが社会人となり、南アフリカで働きだしてから、しばらくが経った頃…久しぶりに実家に帰ると、父・テッドはアルツハイマー型認知症を患い、息子の顔を忘れてしまっていたのだ。
 
 
photo  そして、父はサイモンのことを『息子と同じ名前の知り合い』だと思うようになった。 その後、サイモンは父に何かあれば、すぐに実家に駆けつけられるように南アフリカからロンドンへ引っ越した。
 そして、息子の知り合いとして、父をパブへ誘った時のことだった。 父は、息子のことを誇りに思っていると話してくれたのだ。 サイモンは、このことを神様からのプレゼントだと思ったという。 もし父が病気にならなければ、自分のことをどう思っているかなんて知ることがなかったと…
 
 
photo  だが、父の症状は悪化していくばかり、かつて歌手を目指していた父は、息子の顔を忘れた後も、大好きな歌だけは忘れることがなかったのだが… そんな父がある日、歌詞を忘れてしまったのだ。
 サイモンは、これは警告だと思い、父の歌声を記録しておくことにしたのだ。 父が歌っている動画をインターネットにアップすると、映像を見たレコード会社のプロデューサーからレコーディングの話を持ちかけられた。
 
 
photo  そして昨年、テッドはロンドンのスタジオへ招かれ、レコーディングを行った。 見事な歌を披露したテッド、シングルレコードデビューが決まった。 御年80歳、イギリス史上最高齢の新人歌手だ。 デビュー曲は、発売当日のiTunesチャートで初登場5位を記録した。
 さらにその後、サイモンにとって嬉しい出来事があったという。 なんと、サイモンが人と話をしていた時、父・テッドがサイモンのことを「息子のサイモンです」と紹介したというのだ!
 
 
 実は剛力、VTRを見てサイモンさんに憧れを抱いていた。
そして剛力は、ロンドンから5時間、ブラックバーンという町にあるご自宅を訪問。
 出迎えてくれたのは、テッドさんと妻のリンダさん。 そして奥には、サイモンさん。 家族とともにティータイムを過ごした後、サイモンさんと、彼が行きつけのイングリッシュパブに行くことに!
 憧れの男性を前に笑顔が止まらない剛力! サイモンさんが独身だと知って、剛力は思い切ってこう切り出した! 「私を恋人にするってどうですか?」 しかし、サイモンさんは同性愛者で、女性は恋愛対象ではないという…剛力さん、いつかいい人が現れると良いですね!
 
 
7年前に放送された…『父の偉大な愛が起こした奇跡』
photo  我が子を救う手立てが全くない…あなたならどうしますか? ジョン・クラウリーは、名門ハーバード大学で経営学を学び、一流コンサルタント企業に勤めるエリートだった。 妻のアイリーンとは、出会って6年目に結婚。 二男一女にも恵まれ、誰もが羨む幸せな家庭を築いていた。
 
 
photo  ところが、突然、最愛の娘・メーガンがポンペ病という難病に侵されていることがわかったのだ。 ポンペ病は、筋肉が徐々に弱り続ける難病。 歩行や食事が困難になり、やがては自力呼吸もできなくなる。 メーガンの場合、2歳になる頃には、酸素マスクが必要となり、4歳で全身が麻痺する恐れがあった。 そして、医師からは5歳までしか生きられないだろうと、宣告されてしまったのだ。 この時、メーガンはすでに1歳を超え、命の期限まで4年を切っていた。
 順風満帆だった人生に突如として訪れた絶望。 しかも、彼らを襲った悲劇はこれだけではなかった。 なんと、メーガンに続き、生まれたばかりの次男・パトリックもポンペ病と診断されたのだ。 ポンペ病の発症率は4万人に1人と言われている、姉弟が2人とも同じ病気を発症するとは…まさに悲劇としかいいようがない状況だった。
 
 
photo  2人を救う方法はきっとある。 諦めきれず、寝る間も惜しみ、病気について調べたジョン。 やがてある事実をつかむ。
 実は治療法がないと言われたポンペ病にも、かつて薬の開発に挑んだ研究者がいたことがわかったのだ。 だが、研究は資金不足で頓挫してしまっていた。 新薬の開発には、およそ1千億円と金がかかるという。 世界的にも患者数の少ないポンペ病のために、莫大な費用をかけて薬を開発する会社はなかった。
 そこで、ジョンは薬を自分で作ろうと考えた。 ジョンは、ハーバード大学出身のエリート。 薬の知識はなくても、問題が資金のことであれば、解決法を見出せるかもしれないと考えたのだ。
 
 
photo  こうして、我が子の命を救うため、ジョンは勤めていた経営コンサルタント会社を辞めると、まずは資金を集め、ポンペ病患者の救済を目指す、ポンペ病財団を立ち上げた。 そして、ポンペ病治療の研究者たちに片っ端から連絡を取ると、1人の研究者と出会う。 ウイリアムズ・キャンフィールド博士。
 ジョンは博士が最近、小さなバイオテクノロジー会社を設立したことに注目。 小さなベンチャー企業なら、共同経営者になって、経営方針を決めることができる。 つまり、ポンペ病の薬を最優先で開発できるかもしれないと考えたのだ。
 
 
photo  だが、本来であれば、新薬が開発されても認可が下りるまでに10年近くかかる。 子供達の命の期限は5歳。 通常なら間に合わない。
 しかし、薬の認可の過程では、その効果や安全性を確かめるための『臨床試験』が行われる。 もしも、製薬会社の経営者となれば、その試験を受ける被験者を決める権限が持てる。 1年で薬が開発できれば、命の期限の前に子供達に臨床試験を受けさせることができる。
 
 
 こうしてジョンは、博士の設立したバイオテクノロジー会社 ノヴァザイム社の経堂経営者となった。 だが、短期間で開発するには高額な機材も必要だった。 そこでジョンは奔走し、投資家からおよそ10億円を集めることに成功した。
 だが、薬の開発は思ったように上手くいかず…投資家を納得させられるだけの成果もなかなかあがらなかった。 photo 結局、1年が経っても薬は開発できず…ついに資金も底をつこうとしていた時、ジョンは苦渋の決断を下した。 なんと、大手製薬会社に自分たちの会社の買収を持ちかけたのだ。 開発を続けるためには、会社を丸ごと買い取ってもらうしかなかった。
 こうして、ジョンは博士と共同経営していた会社を大手製薬会社ジェンザイム社に、およそ120億円で売却。 ジョンは、ポンペ病新薬開発プロジェクトのリーダーとなり、研究者たちと共に開発を続けた。
 
 
photo  そして、メーガンが5歳を迎えた頃、ついに待望の試験薬が出来上がる。 これで子供達を救うことができる、そう思った。 ところが、なんと取締役のランディが提案した臨床試験の対象者は、全て『1歳児未満の乳児』だった。 4歳のパトリックと5歳のメーガンは、リストから外されていたのだ。
 実はこの薬は、2週間に1回投与しないと効果がない。 しかも、出来上がったばかりで量には限りがある。 そこでランディは、投与する量が少なくてすむ、乳児を対象に試験を行うべきだと主張したのだ。 ポンペ病プロジェクトと背負って立つジョンに、反対する理由はなかった。
 
 
photo  ポンペ病の患者の中でも、1歳以下の乳児は比較的多い。 試験薬が5歳になったジョンの子供に回ってくる事は絶望的だった。
 しかし、博士があるアイディアを思いついた。 それは、兄弟での臨床試験だった。 同じ薬を投与した患者でも効果に違いが出るのはなぜなのか?それを調べるには、遺伝子的に近い姉弟の比較が有効だと主張すれば良いというのだ。 姉弟2人が発症するという、あれほど嘆いた不運が今、一縷の望みをもたらそうとしていた。
 
 
photo  ほどなく、姉弟での診療試験が社内でも認められ、フィラデルフィアの小児病院に打診された。 臨床試験を実施するかどうかは、病院側の判断に委ねられている。 その判断を待つ間、ジョンは夏休みを取った。
 だが、病院からなかなか連絡がなかったため、待ちきれず、直接ドクターに聞いてみることにした。 だが、この電話が裏目にでる。 臨床試験の対象に会社幹部の姉弟が含まれていることを問題視されたのだ。 結局、病院側は臨床試験の引き受けを断った。
 
 
 そうする間にも、子供達の筋肉は衰えていく。 特に命の期限、5歳を迎えていたメーガンは、もはや自分の頭部さえ自力で支えられなくなっていた。
photo  悩み抜いた末にジョンが下した決断。 それは…会社に黙って兄弟での臨床試験を引き受けてくれる病院を探すことだった。 しかし、これは明らかなルール違反。
 なぜなら、ポンペ病患者の家族は、新薬の情報を知り、あらゆる手段で我が子に臨床試験を受けさせようとしていたからだ。 そんな中、身内を優先したことが発覚すれば、社会的な批判を免れない。 さらに、国の審査の際にデータの信頼性を疑われる恐れもある。
 
 
photo  それでもジョンは、懇意のフロリダ大学病院に連絡を取った。 ルール違反は承知だが、なりふり構っていられなかった。
 そして1週間後。 フロリダ大学の研究者が姉弟での臨床試験に興味を持ち、試験プランを作成、病院の会議で了承されたという連絡が来た。 だが、喜びもつかの間…ランディが大学の作成した臨床試験プランは、安全性の面で問題があるとしたのだ。 さらにこの一件で、ジョンはプロジェクトのリーダーから降ろされ、臨床試験についての権限は全てランディが握ることになった。
 
 
photo  一方、臨床試験開始の直前、急遽もう一件試験が追加され、患者の元に薬が届けられることになった。 新たに臨床試験を受けることになったのは、スペインの乳児だった。 ヨーロッパでの薬剤認可に大きな影響力を持つ、スペインの厚生大臣が圧力をかけてきたため、急遽追加されたのだ。
 皮肉にも試験薬をスペインに送る段取りを任されたのは、ジョンだった。 ジョンは何もすることができなかった…父としても、薬品メーカーの幹部としても。
 
 
photo  プロジェクトのリーダーから外された後も、ジョンは与えられた職務を黙々とこなした。 そんなある日、ランディから早急にカルテを用意するように言われた。 地元の病院が、姉弟での臨床試験を前向きに考えているというのだ!
 実は、ランディは博士たちとともに協力し、姉弟での臨床試験を新たに画策、受け入れ先の病院を探してくれていたのだ。 そして、ジョンは決断した。 我が子への臨床試験を病院側が確実に認めてくれるようにと、大手製薬会社の重役の座を自ら捨てたのだ。
 
 
photo  そして遂に、パトリックとメーガンの臨床試験がスタート。 薬を投与することで、衰える一方だった筋肉の働きに回復が見込まれるのである。
 4ヶ月後、メーガンの体に変化が現れていた。 それまで病気のため、通常の2倍にも腫れていた心臓が正常なサイズに戻り、薬の効果が確実に現れ始めた。 2人に未来への希望が生まれた。
 
 
photo  あの放送から7年、長女メーガンと次男パトリックは… 命の期限からはすでに15年以上…パトリックは今も元気に暮らしていた。 薬の投与は続いているが、19歳の青年となった。 しかし、臨床試験開始の時点で命の期限を迎えていた長女メーガンの姿はない…果たして。
 
 
photo  メーガンは現在、20歳。 大学生となっていた。 友人とともにキャンパスライフを楽しんでいる。 父の愛が起こした奇跡は、今も続いている。
 ジョンは今、新たな製薬会社のCEOとして、様々な難病の薬の開発に成功。 ポンペ病の新薬も開発中である。
 
 
 アンビリバボーな人々のアンビリバボーなその後。 月日が流れ、成長し、そして未来へ、新たな希望を抱く彼ら。 人の数だけ人生がある。 それがある限り、アンビリバボーはこれからも世界中から奇跡を伝え続けていく。