10月6日 オンエア
かりゆし58 アンマー誕生秘話
 
 
photo  どうしようもないほどにおちぶれた不良。 それが自他共に認める彼、だった。 酒に溺れ、ケンカに明け暮れる日々、24歳になっても職にもつかない。 だが…「母」という1人の女性の生き様が彼の心を動かし、やがて日本中を感動の渦に巻き込む奇跡を起こすことになる。
 沖縄本当の最南端に位置する島尻郡八重瀬町。 今から35年前、前川真悟は3人兄弟の末っ子に生まれた。 仕事の関係で父は留守がち。 母・正枝が看護師として働きながら、3人の子供を育てていたが…生活は苦しかった。 ある日のこと…自転車が欲しいと駄々をこねる真悟を、母は叱るわけでもなく、いつも買ってやれないことを謝っていた。
 
 
photo  小学校を卒業すると真悟は、長崎の全寮制の中学に入学。 進学校としても知られる私立の学校だった。 生活がどれだけ苦しくても、子供にはいい教育を受けさせてやりたい。 できれば安定した収入の得られる医者になってほしい。 そんな思いで、真悟の母は自分の洋服さえ買わず、学費を工面してくれたのだ。
 
 
photo  だが、入学から1年が経った頃、学校で2度の暴力事件を起こした真悟は退学となり、沖縄に送り返されてしまった。 その行動には、ある理由があった。 実は、いじめられている同級生を守るために殴ったのだが、思春期ということもあり、家族にはそれを説明しなかったという。
 その後、地元の中学に編入した真悟。 しかしそこは、荒れた学校だった。 次第に不良仲間とつるむようになり…なんとか高校へは進学したが、勉強そっちのけでバンドに熱中。 音楽以外は、ケンカに夜遊びとすさんだ生活を送っていた。
 警察の厄介になるのも日常茶飯事。 そんな時、母の正枝は仕事で忙しいにもかかわらず、いつも駆けつけてくれた。 母はいつも「真悟は大丈夫だって信じてるから」と言ってくれていた。
 
 
photo  どうにか高校を卒業した真悟。 だが、やりたいことも見つからず、なかなか職にも就けない日々が続いていた。 その憂さを晴らすように、夜毎酒に溺れ…たまに自宅に帰ってくるのは、金が無くなりどうしようもなくなった夜明けのこどだった。
 この日も久々の帰宅だったのだが… 母はいつ帰って来るとも分からない真悟のために、毎日欠かさず夕食を作り置きしてくれていた。
 
 
photo  早朝から働きにでる母を見送る飲んだくれの自分。 言われなくてもわかっていた。誰からも愛想をつかされて当たり前のクズだと。 このままでは自分はダメになる…それだけは確かだった。
 そして真悟は、ある決意をする。 唯一、彼が好きだったもの…それは音楽。 当時、バンドは解散していたため、サウンドエンジニアを目指すことに。 専門学校の学費を稼ぐために、愛知県でトラックドライバーとして3年間働き続けた。
 
 
photo  お金が貯まり、沖縄へ戻ると… 真悟は母と姉に、もう一度音楽で勝負がしたいから専門学校に行くのはやめたと報告したのだ。 姉は激怒し、猛反対した。
 しかし、その翌日のこと。 母は、真悟に新しいギターを手渡し、「真悟は初めて本気でやりたいと思ったことなんでしょ?やってみたらいいさぁ」と言ったのだ。 母は反対するどころか、またしても真悟を無条件に信じてくれたのだ。
 
 
photo  母の後押しを受け、真悟は地元沖縄の仲間と共にバンドを結成。 1年間どこにもひっかからなければやめる。 その覚悟でデモテープを様々なレコード会社に送り続けた。
 すると、ようやく1人のインディーズ・レーベルのプロデューサーが声をかけてくれたのだ。 2005年2月、ついにバンドはミニアルバム「恋人よ」をリリース。 CDデビューを果たした。
 だが、2000枚刷ったにもかかわらず、売り上げたのはたったの700枚。 もし次も売れなかったら、最後になると通告されてしまった。
 
 
photo  真悟は取り憑かれたように曲を作り始めた。 作っては直しの繰り返し。 それほどまでに書きたい曲だったのだ。 そして…数日後、最後になるかもしれないCDがついに完成した。
 真悟は母に手渡すのは恥ずかしいと思い、自宅のテーブルの上に最後の曲を置いておくことしかできなかった。 そのため、母が曲を聴いてくれたかどうか分からないままであった。
 
 
photo  2006年7月にこの曲はリリースされた。 すると、窮地に追い込まれていた真悟たちの現状を一変するような出来事が起こった。 まずは、地元沖縄の有線やラジオでこの曲のリクエストが殺到! 一気に県内に広まっていく。
 その流れはじわじわと全国に飛び火。絶賛の声が各地で相次いだ。 そして真悟のバンドは、ついにこの年の『日本有線大賞』の新人賞を受賞! その後も、毎年のように全国ツアーを行い、ドラマの主題歌にも抜擢されるなど、注目を集め続けた。 しかし、なぜブレイクのきっかけとなったあの曲が、それほどまでに人々の心を捉えたのだろうか?
 
 
photo  真悟がメモと共にCDをテーブルに置いてから数日後のこと。 真悟が母の車を借りて出かけた時のことだった。 その時、セットしてあるCDが動き出し、ある曲が流れてきた。 それは…テーブルにメモと共に置いたあの曲。 しかも、曲が終わるとまた流れ出す…見るとリピート設定になっていた。 そう、母はCDが置かれていた次の日から繰り返し、この曲を聴いていてくれていたのだ。
 真悟が自身のバンド『かりゆし58』の最後のナンバーとして作りたかった曲、『アンマー』。 沖縄の方言で『母』という意味である…
 
 
photo  母への感謝を綴った曲『アンマー』の発表から10年。 今は東京で暮らす真悟さん。 時間があるとこうして沖縄に帰って来るという。
 真悟さんのために母・正枝さんが用意したのは、おふくろの味。 正枝さんはこう話してくれた。
「子供にしてあげられる母親の大きな役割といえば、美味しいものを食べさせてあげること。美味しいものを食べていれば、怒った顔も笑顔になる。」