
今から21年前の6月21日。
東京羽田空港から、函館行きの全日空857便が、乗員・乗客365名を乗せ、ほぼ定刻通り飛び立った。
函館空港 到着予定時刻は12時42分。
わずか1時間10分ほどのフライト。
857便の機体は上と下に分かれており…2つの階、それぞれに客席があった。
そしてコックピットは2階席の先頭部分にあった。
1階に345人、2階には5人の乗客がいた。

乗客の1人が突然、乗務員にカバンに入っている3つのビニール袋を見せ…
「これがなんだかわかるな、すべては尊師のためだ。」と言った。
男の言った「尊師」とは、オウム真理教の教祖、麻原彰光のこと。
この日から、わずか3カ月前。
その麻原率いるオウム真理教が、東京都内を走る地下鉄の車内で、死者13人、負傷者は6千人以上という、国内史上最悪のテロ事件を引き起こしていた。
乗客を襲ったのは「サリン」だった。
その毒性は青酸カリの約500倍。
常温では無色無臭の液体だが、気化しやすいという特徴がある。
犯行時、犯人たちは液体のサリンが入ったビニール袋を傘で突き破り、車内に散布した。
麻原はこの時すでに逮捕されてはいたが、まだ逃走中の信者が多数いた。
いつまた次の悲劇が引き起こされるかわからない。
世間は不安に包まれていた。

男のバッグの中にあったもの…それはまさに、オウムが犯行に使ったサリンだと思われた。
男は乗務員に、乗客全員の目と口をガムテープで塞ぎ、前方に移動させるように指示した。
2階席にいた乗客は、男を除き4名。
前方の席に移動させられると、ガムテープで目と口を塞がれた。
さらに客室の窓はすべて閉められ、瞬く間に2階は制圧された。
そして…男は機長に東京に戻るように要求した。

11時58分、機長はすぐさまハイジャック信号を発信。
その信号は自動的に地上の管制塔に伝わり、そこから直ちに関連する警察庁や国土交通省などに、連絡がいく仕組みとなっている。
機長たちは、犯人にコックピットに入られないようにドアをロック。
さらに…ネクタイを外した。
それは万が一犯人と格闘になった際、首を絞められられないようにするためだった。
そして…機長は犯人に命じられるがまま…まずは函館空港に向かった。

我々は、今回、実際にこの857便に搭乗していた乗客に話を聞く事ができた。
告井延隆
(つげい のぶたか)さん。
告井さんは当時、機体後方の席にいたという。
「突然ね『こちら機長です。当機はハイジャックされました。』というアナウンスが入ります。普通、ザワザワして何だ何だってことになると思うでしょ。自分が本当に把握できない想定外の立場に立たされた時は、声を失くすんですね。もう何が起こったかわからないから。とりあえず頭の中を整理するだけで一杯で、人と話をする暇がないんですよ。だから静かなものですよ。」

そして事件発生から26分後。
NHKの第一報を皮切りに、民放もこのニュースを一斉に報じた。
飛行機が着陸する函館空港はすぐに全面封鎖。
出発予定だった機体は離陸を見送り、着陸を予定していた機体は、別の空港への振替を余儀なくされた。

事件発生から27分後。
函館空港から6kmのところにある北海道警察函館方面本部には、総合対策本部が設置された。
現場の総指揮をとることになったのは、警察庁を経て、当時、北海道警察本部長となっていた伊達 興治
(だて おきはる)さん。
伊達さんは、警察庁長官からの要請で、急遽ヘリコプターで函館に向かった。
函館の総合対策本部にも、機長からの無線連絡を受けられる体制が整えられた。
航空評論家の高野開さんによると、無線を特定の周波数に固定し、その周波数によって操縦室と管制塔と、それをモニターする警察の3方向で通話ができるようになるという。

緊迫した機内で、犯人から初めての指示が出された。
それは、乗客にトイレに行かせることだった。
そして…これ以降、席から立ち上がることは一切禁止された。
さらに犯人は…プラスチック爆弾を持っていた。
プラスティック爆弾とは、火薬とゴムを練り合わせたモノ。
内部の起爆装置を作動させることによって爆発する。
さらに、機内に仲間がおり、仲間も同じものを持っていると言い、着陸後は機体に誰も近づかないように要求した。
要求を飲まなければ、爆弾を起爆するというのだ。

ハイジャック犯がオウム信者であれば、仲間が空港付近に来ている可能性がある。
よって周辺では大規模な交通規制と徹底した検問が行われた。
さらに対策本部は、警備をする上で函館空港の管制官に対し、確認しなければならないことがあった。
それは、飛行機をどこにどこに駐機させるかということ。
空港によって非常事態の時にどこに駐機させるか、あらかじめ決められている場合もあるし、管制から指示をする場合もある。
その場所は危難が発生したり爆発などがあっても、他に影響しない場所であったり、外部からその飛行機を監視しやすいなど、色々な条件を汲んで場所が決められているのだ。

そしてついに事件発生から44分後の、12時42分。
凶悪なハイジャック犯と何の罪もない人質、さらにサリン、プラスティック爆弾という殺戮兵器を乗せた機体が、函館空港に着陸した。
対策本部は空港に警察官約800人を配備。
しかし「機体に近づくな」との要求が出ている以上、遠くからその様子を見守ることしかできなかった。
一方その頃、機内では…犯人が乗務員に次の指示を出していた。
乗務員は犯人に命じられるがまま、機体前方に座っていた乗客たちを後方の席へと移動させた。
そして…2階同様、すべての窓を閉める一方、乗客全員に目と口を粘着テープで塞ぐよう頼んだ。

乗客に目と口を粘着テープで塞がせてから間もなく…ついに、犯人と思しき男の1人が、1階の客席に姿を現した。
目隠しをした乗客たちは当然、その姿を見ることはできなかった。
だが、告井さんは、テープを軽くしか貼っていなかった。
そして、こっそり犯人のことを盗み見た。
犯人はピンクのポロシャツを着ていた。
そして、携帯電話をかざしていた。告井さんは他のメンバーと連絡を取っていると思ったという。

一方、対策本部では…会議が行われていた。
現在分かっている状況は、オウム真理教の信者である可能性があること、武器はサリン、プラスチック爆弾を持っている可能性があること。
万が一、サリンが本物だった時のことを考えて、解毒剤を東京から空輸する手配をした。

一方、1階客室では…告井さんの他にも、テープの隙間から犯人を見ていた乗客がいた。
彼らは犯人は1人だと思い、みんなで襲いかかれば取り押さえられそうだと相談していた。
だが!次に犯人が現れた時には、犯人の服装が違っていたのだ!
犯人は1人ではない。
さらに…次に見回りに来た時にも違う人物だったのだ。
犯人たちはどこに潜み、いつ現れるかわからない。
それは乗客たちにとって、恐怖以外の何ものでもなかった。

事件発生から約1時間半。
相変わらずこう着状態が続いていた。
犯人は乗務員を使い、要求を続けた。
犯人の要求は、東京に戻るための給油を急ぐこと。
警察は、犯人に乗員乗客の解放を要求。
解放されれば、犯人の要求に応じる考えがあると、機長を通じて交渉していた。

ハイジャック発生から2時間半。
対策本部は、今回の事件で直接指揮を執る、伊達の到着を待つため、時間稼ぎをする必要があった。
またその一方で、857便の乗客名簿をしらみつぶしに当たっていた。
記載された名前や年齢、連絡先などの情報から、犯人の身元を特定し、犯行の目的を探れないか?
また、偽名や確認の取れない人物をチェック、犯人たちの人数を割り出そうとしていた。
そして、警察はオウム真理教に連絡を取ったが、教団は関与を否定。

犯人は、給油が終わらない限り、乗員乗客の解放はしないという。
そこで警察は、機体に給油車を送ることにした。
しかし、給油はしないように指示。
あくまでも、警察も対処しているという動きを犯人に見せるためだった。

午後3時すぎ、総合対策本部に本件における全決定権を持つ、総指揮官・伊達興治が到着。
ハイジャック発生から3時間以上が経過。
犯人は警察と直接交渉しようとはせず、機長を通じて一方的に要求を送ってくるのみ。
もし肉声を聞くことができれば、声や話し方から、年齢や出身地を特定するヒントが得られる。
それができないというのは、犯人像を探る上で大きな障害となっていた。
伊達はより冷静な判断を下したいという思いから、捜査員が大勢いる部屋ではなく、別室で神経を集中させた。
伊達が知りたかったことは、ハイジャックが組織的なものであるのか…オウムとのつながりはあるのかということ。
オウムではなかったとしても、犯人の人数、凶器として何を持っているのか…特に心配だったのが銃器を持っているかどうかだった。

機体の窓は全面閉められていたため、外からは中の様子をうかがい知ることはできない。
頼みの綱は乗務員しかいないのだが…実はこの時、すでに機内では、とんでもないことが起こっていたのである。
実は、1階の乗客たちの目と口を塞いでから間もなく…犯人は機長との連絡係として1人を残し、他の乗務員たちの目と口も塞いでいた。
それだけではない…手足を縛りあげ、身動きが取れないようにしていたのだ。
しかも、残る1人も犯人が常にその行動を監視。
機内の様子を探ることは不可能だった。

犯人は警察の要求には一切応じない、このままでは爆弾の起爆タイマーをセットしかねない。
全ての決定は総指揮官伊達に委ねられていた。
1つの判断ミスが乗員・乗客の命に直結するのだ。
伊達の決断は、給油は行わなず、絶対に東京には行かせない、函館空港で決着をつけるというものだった。
たとえ離陸を許したとしても、東京に戻るとは限らない。
空中で爆破させたり、機体ごと街に突っ込ませたりする可能性もあるのだ。
そうなれば第2第3の被害は免れない。
しかし、給油をしないという決定について、伊達はあえて機長に伝えることはしなかった。
機長は、警察と犯人との間に入っているため、警察がここで決着をつけるということが直接伝わると、さらに機長を追い詰めることになると判断したからだった。

事件発生から4時間。
その日のテレビ、ラジオは緊急報道で函館空港の戦々恐々とした状況を生中継。世間は騒然とした。
また政府内の情報も混乱、様々な憶測が飛び交った。
犯人はオウム信者であり、教祖の釈放を要求しているという情報が流れる一方、当の教団幹部は信者の関与を真っ向から否定。
犯人たちの目的も素性も一切わからない。
第2の地下鉄サリン事件に発展する可能性もある。
日本中が恐怖に包まれていた。

伊達は、犯人が説得に応じない場合、強行突入することを決断した。
強行突入を行う場合、犯人からその動きが見えにくい夜の間が最良だと考えられた。
この時、時間は午後4時を過ぎたあたり…日没までは3時間あった。
そこから日の出となる午前4時2分までに決行する必要がある。
だが…今の状況では、限りなく失敗に終わる可能性が高かった。
なぜなら、突入したとしても犯人が複数いる場合、全員を確保しなければ、凶器を使用される可能性があるからだ。
しかも服装など犯人の特徴も不明。
乗客の中に紛れていれば、確保が遅れてしまう。
情報が少ない現段階で行うには、あまりにリスクが高すぎた。

さらに…北海道警の機動隊はこのような事態に慣れていない。
機体のドアを開けられるかどうかも分からなかったが、伊達はそれについは考えがあり、大丈夫だと請け負った。
しかし、乗客の疲労の限界を考えれば、遅くとも夜明けまでには決着をつけなければならない。
そのためには、何としても乗客の情報を探る必要があった。
一方、857便の機内では…犯人が「給油をすぐに行わなければ…乗員に危害を加える」と言い出していた。
機長は警察にそのことを伝えたが、「こちらも対応を急いでおります」という返答ばかり。
機長たちは警察が本当に動いてくれているのか不安にかられていた。

事件発生から約5時間。
対策本部は強行突入も辞さない覚悟で準備を進めていた。
そんな中、機内では、後の展開を左右する出来事が密かにはじまろうとしていた。
その主役となったのが、あの告井延隆さんだ!
実は告井さんは「100万本のバラ」などで知られる歌手、加藤登紀子さんのバンドメンバー。
この日、北海道公演に向かうため加藤さんとともに、飛行機に乗っていた。
周りを見渡すと前方に座る男以外、みな目と口をふさがれ立ち上がっている者もいなかった。

告井さんは通路を挟んで隣に座っていた、加藤登紀子さんのマネージャーに声をかけた。
告井さんはマネージャーが携帯電話を持っていたことを思い出した。
そして、犯人の目を盗み、マネージャーから携帯電話を受け取った。
当然、男に気付かれないように連絡しなければならない。
それが可能な場所は…機体後方にあるトイレの中だけだった。

告井さんの座席は機体のかなり後方だった。
そのため彼らの動きを注意深く観察し続けることで、後ろに犯人がいるかどうかだけは把握することができた。
犯人が前方に移動したことを確認すると…そっとトイレに移動した!
だが…当時まだ携帯電話は一般に普及し始めたばかり。
使ったことのなかった告井さんは、操作の仕方がわからなかった。

だが何とか電話をかけることができた。
告井さんは110番したという。
しかし「ハイジャックされた機内から電話をかけています。」といったものの、警察から聞かれたのは住所氏名のみ、状況は聞こうとしれくれなかったという。
実はこの時、同様のいたずら電話が警察宛に多く寄せられていたため、信じてもらえなかったのだ。
本当の恐怖はここからだった。
男の動きが全く見えないため、トイレから外に出る時の方が、見つかる可能性は遥かに高い。
なんとか犯人に見つからずに、席に戻ることができたが…決死の覚悟を決めたにも関わらず、電話は失敗に終わってしまった。

そんな最中、機内では恐れていた事態が発生。
乗客の1人が体調を崩し、苦しみだした。
乗務員が乗客の中に医者がいないか訊ねたところ、1人の女性が手を挙げた。
彼女は函館市内の病院に勤める看護師だった。
機内の医療器具による懸命の処置が行われた。
男性客は心臓に持病があり、極度の緊張とストレスにより症状が悪化。
なんとか容態は安定したが、予断は許されなかった。

一方…告井さんは次の電話のチャンスを窺い続けていた。
2回目に電話をした時には、警察から自宅に連絡がいっており、告井さんが機内に入ることを警察も把握していた。
告井さんは、犯人の服の特徴や機内の状況…さらに飲食、トイレなどが禁止されていることを伝えた。
初めて明らかとなった犯人の情報。
それは対策本部にとって、まさに喉から手が出るほど求めていたものだった。
対策本部は病人を病院に搬送することと、食事と水の差し入れを犯人に要求した。
だが、犯人はこれを拒否。
ハイジャック事件は、一向に先が見えなかった。

緊迫した状況が続く中、告井さんは機内の様子を警察に伝えるべく、見回りに来る犯人たちの特徴をつぶさに観察し続けていた。
再び、新たに見た男の服装を警察に連絡。
さらに…犯人が見回りの時以外は、一番前の座席に座っていることも伝えた。
対策本部は、告井さんからの情報をもとに、犯人は複数いると推察。
名簿に記載された名前や連絡先から、怪しい人物がいないか徹底的に洗っていたのだが…犯人につながる人物を特定できないでいた。

一方機内では、我慢できずに1人の乗客がトイレへ…
しかし、トイレから出たところを犯人に見つかり、肩を刺されてしまったのだ!
犯人が乗客を襲ったことはすぐに対策本部にも伝わった。
しかし、怪我人の病院への搬送、食事の差し入れは、やはり拒否された。

さらに、最悪の状況は加速していく。
午後10時すぎ…機長がこのままでは、乗客、乗務員が危険にさらされるため、離陸すると言いだした。
機長を必要以上に追い詰めないよう、給油しないことを伝えていなかったことが予期せぬ事態を招いた。
だが、絶対に離陸させてはならなかった。理由は、犯人が持っているというプラスティック爆弾。
上空で爆弾が爆破されれば、大変なことになる。
対策本部の必死の説得により、機長は落ち着きを取り戻したが精神的には限界を迎えていた。

その時、対策本部にマスコミからある情報が入った。
犯人は事件がどう報道されているのかを気にしており、常にテレビやラジオでニュースをチェックしていた。
その内容が事実と違うと激怒。
自らの携帯電話を乗務員に使わせて、直接あるテレビ局に対して怒りの連絡を入れてきたのだ。
それは…「犯人はオウム信者」という報道についてだった。
確かに、犯人は「尊師のために」とは言ったが、「オウム信者である」とは言っていなかった。
しかし相手はハイジャック犯…信者ではないと結論付けるわけにもいかない。

そんな中、ついに…乗客全員の調査結果がでた。
名前、住所の確認が取れなかったのは2名。
しかし、告井さんの情報では、服装から少なくとも4人はいる可能性があった。
もし、裏が取れている乗客の中に協力者がいれば、乗客全員が容疑者となる。
だがこの時、総指揮官の伊達はあることに気がついた!
それは…犯人が履いている靴。
確かに服装は違うが、靴は全て白いスニカーだったのだ。
そこのことから、同一人物が服装を変え、複数に見せている可能性が考えられる。
犯人が複数を装わなければならない理由はひとつ…単独犯だからだ!

深夜0時24分、主要幹部が集められ、最高作戦会議が開かれた。
伊達は犯人は単独犯だと判断。
しかもこれまでオウム信者が単独で犯行を犯したことはなかった。
よって、犯人はオウム信者ではない。
つまり…持っているサリン、プラスティック爆弾はダミーの可能性が高くなった!
そしてついに…日本で初となる、ハイジャック事件での強行突入が決断された。
しかし、強行突入には機体の搭乗口を解錠するなど、特殊な技術が必要になる。
だが、北海道警の機動隊にはその技術がなかった。
その時、警視庁第六機動隊の準備ができたとの連絡が入ったのだ。

「警視庁第六機動隊」
主な任務はハイジャックなど重大なテロ事件に対し、被害者の安全を確保しつつ、事態を鎮圧し犯人を逮捕すること。
1995年当時、まだその存在が公にされていない、完全機密部隊であった。
警察内部でもそれを知るのはほんの一握り。
かつて警視庁の幹部だった伊達だからこそ知りえた存在だった。
この部隊はのちにSATと呼ばれる。
あの時、伊達が言った「考え」とは、この第六機動隊のことだった。
事件発生後間もなく出動を要請、東京から呼び寄せていたのだ。

さらに…突入を目前にして、北海道警察の機動隊の準備も着々と進められていた。
隊員たちは命がけの任務に、自ら志願した。
そして北海道警察機動隊、警視庁第六機動隊の両部隊が集められ、作戦会議が開かれた。
まず第六機動隊が死角となる機体後方から接近、3つのドアにハシゴをかけ、解錠。
ドアが開き次第、北海道警察機動隊が突入。前2つのドアから入った隊員が犯人を挟み撃ちし、そして…後方のドアから入る隊員が、壁を作るように並び、乗客の安全を確保することとなった。

ついに決行される国内ハイジャック事件史上初の強行突入。
最後に1つ、やっておかなければならないことがあった。
函館空港にはテレビ、新聞、雑誌など計32社、300人もの記者やカメラマンが押し寄せていた。
北海道警の広報課長らは、ただちに空港内に各社の代表を集めマスコミに要請した。
犯人がテレビ局に連絡を入れてきた以上、機内でニュースを見ている可能性は高い。
突入を察知されないためにも、報道を自粛して欲しいと…
結果…カメラは突入部隊の動きが分からないよう、機体の全景を映さず…テレビ画面はコックピットのみの映像となった。

第六機動隊と北海道警察機動隊の合同部隊は、機体から最も近い倉庫に到着。
両部隊は犯人の死角をつき、機体の後方から接近。
午前3時33分、機体下に到着。
そして…特殊部隊が梯子を設置。
隊員が3箇所の搭乗口を開錠。

そしてついに、夜明が迫るタイミングで…強行突入!
突入から1分で犯人確保。
肩を刺された女性は軽傷、発作を起こした男性も命に別状はなかった。
犯人は捜査員によって連行された。
午後4時10分、事件発生から16時間12分。
乗客・乗員 364名の救出に成功!
事件は幸い、1人の犠牲者をも出す事なく解決した。
発生から16時間後のことだった。

事件の総指揮をとった伊達さんは…
「本当に現場の人たちには心から感謝しています。私は現場で直接指示したり、先頭に立って飛び込んだりというような立場になかったので。ただ、一つだけの決断を疑いもせずに命がけでやろうという気持ちになってくれた。」

犯人がオウム信者ではないと確信したことで、サリンやプラスティック爆弾は偽物の可能性が高いと判断した警察。
その読み通り、犯人のバッグに入っていたものは、サリンではなくただの水道水。
プラスティック爆弾は、粘土で似せただけのものだった。
さらに…警察と決して直接交渉しないこと、乗客に目隠しをし姿を見られないようにしたことは、複数犯に見せるため。
もし万が一見られたとしても、服装を変えることで別人に見えるようにしていた。
現在では先の尖った物や工具類などを機内へ持ち込む事は、厳しく制限されている。
また液体についても保安検査を強化。
二度と同様の事件が起きないよう、安全面についても万全の対策が講じられている。

前代未聞のハイジャック事件。
「尊師のため」と言っていた男だったが…実際はオウム真理教とは無関係であることがわかった。
では、犯行の目的は一体何だったのか?
男はもともと普通の会社員だったが…愛人の存在と副業が会社にバレ、社内で冷遇されるようになった。
さらに妻と愛人との二重生活により経済的にも問題を抱え始める。
そこで思いついたのが、保険金目当ての自殺。
自らが死ぬことで、愛人に金を残そうと考えたのだ。

どうせ死ぬなら、麻原彰晃を道連れにと考えたのだという。
旅客機を乗っ取り、東京に戻ったのち、超法規的措置で麻原を釈放させ、飛行機へと乗せる。
そして…麻原と刺し違えて死ぬ。それが男の計画だった。
完遂すれば、国民的ヒーローになれた上、保険金を愛人に残せる…あまりにも身勝手な考えだった。
だがその計画は、勇敢な乗客の行動、事件の総指揮をとった伊達の強行突入の決断。
そして突入部隊の活躍によって打ち砕かれた。
その後の裁判で男には懲役10年の判決が言い渡された。

伊達さんは我々の「決断して失敗したら?」という質問にこう答えてくれた。
「当然、自分はもう警察から離れる。本部長というのはある程度そういう時の責任を取るために、存在するような面がありますから。私の方針は現場の仕事には口を挟まない。できるだけ気持ちよくやれるような環境を整える方向に力をいれようと。ただ、県だとか国だとかを揺るがすような、耳目を引くような大きな事件が起きた時だけは、自分一人で判断してその時は責任を取る覚悟でやらなくてはいけない。それが自分としての心得ですね。」