
今から45年前の1971年、3月8日。
アメリカ連邦警察・FBIの小さな事務所に窃盗団が入った。
それ自体は、大したニュースではなかったのだが…
3週間後、この小さなニュースが全米を揺るがす大スキャンダルへと発展。
そして45年経った今、アンビリバボーは日本メディアとしては初めて犯行グループの一員のインタビューに成功!
国民の権利を守るため、あえて罪を犯し、FBIに闘いを挑んだ窃盗団。
その想いは、新聞記者たちをも動かしていく!
日本では殆ど知られていない一大事件。
貴重な証言と独自取材で迫る!

始まりは、今から46年前。
ペンシルバニア州、フィラデルフィア。
大学教授の夫ジョン・レインズと介護士をしている妻ボニー。
3人の子宝にも恵まれ、幸せな日々を送っていたが…
その頃のアメリカは、ベトナムに送られるアメリカ兵が爆発的に増え、国中が大騒動の只中にあった。

9年も前から続いていたベトナム戦争。
当時、南北に分かれていたベトナムの統一を巡り、資本主義のアメリカと共産主義のソ連が激しい戦闘を繰り広げていた。
当初アメリカ政府は国民に対し、その目的を『正義の戦い』、『自由を勝ち取るための戦い』と説明していた。
愛国心を煽り、戦場に出ることが正しい行いだと若者に思わせていたのだ。

だが、戦死したアメリカ兵士は、この時すでに5万人以上。
さらには、現地のベトナム人を虐殺した事実も報道される事態に。
戦争で家族を失った悲しみ、そして罪もないベトナム人が犠牲になっているという不条理な現実。
何十万人もの市民が反戦運動に立ち上がった。
ジョンとボニーも日々、大きな怒りを感じ、やがて運動に参加するようになった。

しかし、これらの反戦運動を許さない機関があった。
それが…FBI。
その全権を握る人物こそ、初代長官、フーバーだった。
あまりに強大な権力を持つがゆえに、大統領も彼の存在を恐れ、影の独裁者とさえ呼ばれたほどの人物である。
フーバーはこの反戦運動を政府に敵対する行動と見なし、活動家の逮捕を繰り返し指示。
時には発砲も辞さず、学生が撃たれ死亡したこともあった。
ジョンさんは当時を振り返り、こう話してくれた。
「他国では自由を訴えながら、本国では自由を剥奪する、それがアメリカという国でした。私たちは運動の戦略を変える必要があったんです。」

そんな状況下にあったある日。
ジョンたち夫婦の元をある活動仲間が訪ねてきた。
彼の名は、ビル・ダビドン。
大学で物理を教えながら平和運動を続けてきた人物だった。
ビルは、ジョン夫妻に驚くべき作戦を打ち明けた。
それは…FBIが不正な手段で反戦運動を弾圧しているという証拠を盗み出し、世間に知らしめるという大胆なものだった。
政府機関に侵入し、機密情報を盗むというのは、国家への反逆行為である。
当然、ただの窃盗罪で済むはずがなかった。
FBIの裁量ひとつで一生社会に復帰できない可能性もある。
そうなれば、子供たちの成長を見守る事もできない…。
ジョン夫妻は迷った。

そんな夫妻にビルは、FBIは戦争を続けるために反対意見をなくそうと弾圧している。
それを正すためなら方を犯すことも時に必要だと、夫妻を説得。
こうして、史上空前の作戦が動き始めた…。
この他にもメンバーを募り、ビルをリーダーにジョン、ボニー夫婦の他、タクシー運転手のキース、公務員のボブ、ビルが信頼する仲間、総勢9名で窃盗団は結成された。
みな、名もなき一般人である。

彼らが狙いを付けた場所は、フィラデルフィア郊外にある小さな町、メディア。
ここの雑居ビルの2階に小さな「FBI支局」があったのだ。
しかし、こんな小さな支局に押し入る意味があるのか? という意見もあった。
ビルは、支局である以上、本部がからの指示が書かれた文書が届き、一定期間は保管されるはずだと主張。
まずは、侵入可能かどうか調べることになった。
それを買って出たのが、キース。
タクシー運転手として自由に動ける彼は、この役にうってつけだった。

計画のためには、職員の行動パターンやセキュリティを把握する必要があった。
キースは、まずFBI支局を偵察、警備が24時間体制でない事を確認した。
さらに監視カメラのなかったこの時代。
最大のセキュリティは警報装置だったが…入り口には警報装置は付いていなかった。
そしてキースはそのまま…支局がある2階へ。
FBI支局のドアのカギは…ごく一般的なもの。
これならピッキングが可能だった。

FBI局員が全員帰った夜に、関係者を装って雑居ビルに入り、カギをこじ開け書類を盗むことは可能だと思われた。
だが、部屋の中に警報装置があれば、見つかってしまう。
しかし、確かめるためには部屋に入るしかない。
その役目はボニーが買って出た。

ボニーは近所の大学生になりすまして、「女性を雇用する気があるかどうか話を聞きたい」とFBIに連絡。
こうして、FBIの室内に潜入に成功した。
室内に、警報装置は見当たらなかった。
さらに、事務所の責任者がキャビネットを開けた時、中を観察。
たくさんの書類が詰まっていることを確認した。

あとは、計画を実行に移すだけ…。
だが、懸念材料がもう一つあった。
2階の『FBI支局』は一階の『管理人室』のちょうど真上なのだ!
物音を立てて怪しまれたら計画は台無しだった。
そこで、ジョンはあることを思いつく。
1971年3月8日…その日は、ボクシング界のスター、モハメド・アリが世界王者ジョー・フライヤーに挑戦、世紀の一戦と呼ばれる試合が行われる日。
誰もがTVの前に釘付けになるのは間違いなかった。
そこで…TV中継が始まる19時に作戦を決行することにした。

これで不安材料は消えた。
誰もがそう思っていたのだが…
決行日の数日前…メンバーの1人がジョンの元を訪れた。
彼はメンバーから抜けたいと言い出したのだ。
彼はメンバーたちの素性も計画も知っている…もしFBIに情報を提供されたら、メンバーは刑務所行きは確実だった。
だが結局、引き止めることはできず、彼は去って行った。
それでも、彼らの中に「計画中止」の言葉はなかった。

そしてついに…決行当日。
その計画は、まずタクシー運転手のキースがFBI支局のカギをピッキング。
他のメンバーは、近くのホテルで待機。
キースから鍵が開いたとの連絡が入り次第、車で駆けつけ書類を盗み出し…そのまま逃走するというシンプルなものだった。
だが、キースからの連絡がこない。
実は、下見の時から鍵が変わっていたのだ。
用意したモノではピッキングは不可能で、特別な道具が必要だった。

もしかして、計画がバレているのか…?
計画を中止すべきだという空気が漂う…だがその時、ボニーが1つだけ確認したいことがあると言い出した。
FBIの支局には部屋が2つあり、それぞれの部屋を仕切るドアに鍵がないことをボニーは確認していたのだ。
さらに彼女は、迷ったフリをして隣の部屋の様子を探り、ドアのすぐ内側にキャビネットが置かれ、廊下に出入りできなくなっているのを見ていた。
使わない扉なら、鍵をわざわざ替えていないかもしれない。
ボニーの記憶を頼りに、隣の部屋の鍵穴を確認すると…案の定、そのドアのカギは旧式のままだった!

しかし、鍵は開いたものの、かんぬきがかかっていて、ドアが開かなかった。
ドアを開くには、かんぬきを壊すしかない。
しかし、大きな音を出せば…真下の管理人室に物音が聞こえ、気付かれてしまう…
なんとか、かんぬきを壊したキース。
今度はドアの前に置かれたキャビネットを倒さないよう、少しずつ押していく…5分ほどかかって、ようやく体が入るほどの隙間があいた!
そして、もう片方の部屋のドアの鍵を内側から開けることに成功。

ようやくキースから連絡を受けたメンバーは、ビジネスマンに扮し、現場へ向かった。
内容を吟味している余裕はない。
手当たり次第、書類を鞄に入れ…まんまと車で逃走。

アジトで改めて盗んだ書類を確認した。
それは、FBI本部から送られた秘密の捜査の指令書だった。
そこには…『大学の電話交換手に協力をあおぎ、学生の情報を内密に提供させよ』
『郵便仕分け人に手紙を開封させ、FBIが狙っていると精神的に思い込ませろ』と書かれていたのだ!
それは、FBIが人権を無視し、国民を違法に監視していたことを示す記録書類であった。
そして書類は、ジョンとビル、それぞれが務める大学でコピー。
ニューヨークタイムズ、ロサンゼルスタイムズ、ワシントンポストのアメリカ大手3紙に宛て郵送した。

ジョンたちがFBI支局で行った窃盗事件は、翌朝の新聞の片隅に小さく掲載された。
その2週間後。
ワシントンポスト紙の記者、ベティ・メッズガーは編集部宛に届いた郵便を開け、衝撃を受けた。
それは、ビルたちが盗み出したあの書類だったのだ。
この書類が本物かどうか、わからない。
そこでまず、送られてきた書類が本物かどうか、FBIを管轄する司法省に確認。
同時にライバル紙の出方も探った。

すると…司法長官から直々に電話がかかってきたのだ。
司法長官は、書類が本物だと認めうえで、公表しないように圧力をかけてきた。
書類は午後の郵便で届いた。
その内容を翌日の朝刊に載せるのであれば、夜の10時までに決断しなければならない。
ワシントンポスト紙では、会議を行った。
ベティは記事にすべきだと主張した。
しかし、FBIを敵に回すわけにはいかないという反対意見もあった。

そして、ロサンゼルスタイムズと、ニューヨークタイムズは、不正文書を掲載しないことを決めたという情報がはいってきた。
さらに、2紙は犯人から送られてきた書類をFBIに返却したというのだ!
犯人は、文書を売ろうとはせず送ってきた…金目当ではない。
にもかかわらず、法を犯してまで文書を入手した理由は…FBIの横暴から、市民をこの国を守ろうとした…刑務所に入る覚悟で。
ワシントンポスト紙の記者たちは、ジャーナリズムを貫き、真実を伝えることを決意。
この不正文書を新聞の一面にもってくることにしたのだ。

その時…ベティが送られてきた書類を破ったのだ!
実は破った書類はコピー済み。
送られてきた書類には犯人の指紋がついているかもしれない。
ベティは情報提供者を守るために、書類を破ったのだ。

こうして、ワシントンポストは、タイムリミットギリギリで掲載を決断。
最終的に発行人の許可を得て…翌朝、記事は一面を飾った。
FBIが行っていた違法な監視活動。
国民は長官フーバーに対し、怒りの声を上げた。
ワシントンポストの記事によって明らかとなった、FBIの違法捜査問題。
当のFBIは、メディアからの取材に応じない一方、発端となった窃盗団を見つけるために躍起になっていた。
中心メンバーだったジョンとボニーは、他の仲間と会うことなく静かに暮らしていた。

そんな時…FBIは窃盗事件直前に面会に訪れた女性がいたとして、似顔絵を作成、本格的な捜査を開始。
200人以上の捜査官により、住民への徹底した聞き込みが行われた。
そして…大手2紙が返却した書類から、FBIは印字の特徴を分析。
ジョンたちが使用したコピー機の機種を特定し、徹底的に調査していたのだ。
そして、ついには…ジョンが務める大学に捜査員がやって来て、コピー機を押収していった。

そして事件から3週間後、さらに彼らを追いつめる出来事が!
ジョンを、脱退したメンバーが訪ねてきたのだ。
彼は、メンバーを警察に訴えると言いだした。
盗んだ書類の中に、国家の安全に関わる情報もあり、それも公開しようとしているという噂を信じてやった来たのだ。
しかし、そんな書類は存在しなかった。
ジョンは、今回のことは「権力の横暴からアメリカを守るためだ。」と説得。
ジョンの説得で、彼は帰っていった。

そんな頃だった…ワシントンポストが火をつけた不正を暴く動きを受け継ぎ、更なる大役を果たす人物が現れる。
大手テレビネットワーク、NBCのリポーター、カール・スターン。
これまで反政府的な人物に対し、FBIは自宅の電話を盗聴したり、手紙を開封し中を盗み見たりするなどしていたことが明らかとなっていた。
しかし本当にそれだけなのか?
カールは疑問に思っていたのだ。

そこで…彼は、アメリカの情報公開法に基づき、FBIが属する司法省に情報開示を求めた。
だが、数ヶ月かけて何度も請求したが、司法省は開示を拒否し続けた。
そして、カールはついに裁判を起こした。
判事は、文書を見て司法省に情報開示を指示。
そしてFBIがこれまで隠し続けてきた、衝撃の事実が明らかになったのである!
実は、FBIは自らが敵視する思想を持つ人物や団体に対し、信用を失墜させるような活動を意図的に行っていた。
内部に危険分子がいると噂を流したり、恥になる情報を掴んで脅したり、それを20年以上に渡って続けていたというのだ。

中でも最も恐るべきものの1つが…黒人の差別をなくすために闘い、反戦運動にも積極的だったキング牧師に対するものだった。
FBI長官フーバー、彼は人種差別主義者であり、黒人に対し嫌悪感を抱いていた。
そこで…FBIはキング牧師と妻に匿名の手紙を送り、自殺をするように脅迫してきたのだ。
結局、キング牧師は手紙の4年後、FBIとは全く関係のない人物により暗殺された。
しかしこの手紙によって、FBIの常軌を逸した活動の内容が明らかとなったのである。

そして、不正文書が公表されてから2年後の1973年。
アメリカがベトナム戦争からの全面撤退を発表。
平和を願う、市民の勝利だった。

さらに、これまでFBIの資料を市民が見ることはできなかった。
しかしこの一件以降、FBIが暴走しないよう、その要求に応じてほとんどの資料が閲覧できるよう制度が改定された。
そして、事の発端から5年後の1976年3月。
FBIは文書窃盗事件に関わる、すべての捜査を打ち切った。
そして、事件から40年以上が経った一昨年1月。
1冊の書籍で犯人グループのうちの数人が、犯行を告白、事件のすべてを語った。
ジョン、ボニー、キース、そしてリーダーのビル。
さらに書籍の著者は、ワシントンポストの記者だったベティ。

40年以上経った今、突如名乗り出た、その理由について、キースはこう話す。
「リーダーだったビルの容態がとても悪く、インタビューに応える事すらできませんでした。事件のことが公になるなら、彼がまだ生きている間にするべきだと思ったんです。」
しかし、書籍刊行を待たずに、ビルは静かにその生涯の幕を閉じた。
パーキンソン病だった。

そして、このタイミングで告白したのには、もう一つ理由があった。
中心メンバーだったボニーはこう話してくれた。
「重要なのは全て一般市民が起こした行動だったということです。立ち上がることで社会は変る。この価値ある事実を子どもたちや孫の世代に残したい。世界中の人々にも、未来の世代に伝えてほしいと思います」
そして、ジョンは…「平和への努力は正義への努力です。そして正義への努力に終わりはありません。この国でも、もちろん日本でも。」

自由の国アメリカ、その権利を守り続けるために闘い、国を大きく動かした8人の名もなき市民たち。
事件当時、まだ幼かったジョンとボニーの子どもたちは今、両親の行動を、知り何を思うのか?
長男のネイサンはこう話してくれた。
「ある意味ショックでした。でも誇らしいとも思えました。両親たちは、アメリカ社会の何かが間違っていると感じたんです。私は犯罪だと思っていません。公開されるべき情報を公開したまでだと思います。彼らの行動はアメリカの市民の有るべき姿を代表したものだと思います。」