5月19日 オンエア
10年間身体に閉じ込められた男
 
 
photo  今から40年前、マーティン・ピストリウスは、南アフリカの大都市、ヨハネスブルグに生まれた。 機械技師の父ロドニーと、レントゲン技師の母・ジョアン、そして2人の妹弟と共にマーティンは何不自由ない生活を送っていた。 だが、幸福な日々は長くは続かなかった。
 
 
photo  12歳になったマーティンは、突如、激しい喉の痛みに襲われる。 ただの風邪かと思われたのだが…徐々に食事が食べられなくり、日中に何時間も眠ったり…歩くと足に激痛が走ったり…時々、人の顔がぼやけて見えたりするなど、奇妙な症状が発現。 さらに、思考力や記憶力までもが徐々に失われていった。 両親は国中の病院を渡り歩き、いくつも検査を受けさせ、さらには遠くイギリスやアメリカなどの専門医に見解を求めたが…病名と治療法は判明しなかった。
 
 
photo  そして、発病から1年が経った頃… ついにマーティンは、目を開いてはいるが完全に意識を失い、両親の呼びかけに応えなくなってしまった。 以来、食べ物を口に運べば無意識に飲み込むほか、生体反応として眼球が動き、瞬きはするものの…外部からのどんな刺激にも反応を示す事は一切なくなった。
 両親は藁にもすがる思いで、いくつもの専門機関で、マーティンの精密検査を行った。 だが…原因も病名もわからず、治療法もないため、病気は自然の成り行きに任せるしかないという。 それは意識が戻る可能性はないという、最後通告に等しかった。
 
 
photo  母のジョアンは、レントゲン技師の仕事を退職。 1日中、自宅でつきっきりで世話をした…息子の回復を信じて。 だが…意識が途絶えてから1年がたっても、回復のきざしさえ見られなかった。
 
 
photo  さらに、2年が過ぎ、3年がすぎた。 そんなある日…マーティンは意識を取り戻したのだ! だが…大きな声で叫び、手を動かしてるつもりが、実際は舌も手もピクリとも動いていなかった。
 一体、どういうことなのか? 実はこの時、マーティンは、閉じ込め症候群と呼ばれる状態にあったと思われる。
 
 
photo  閉じ込め症候群とは、脳幹へ血液を送る太い血管がつまることで、近くにある運動神経の束が全て破壊され、手足が痲痺。 その一方で、運動神経とは関係のない、触覚、味覚、嗅覚などは健常者と変わらず、なおかつ大脳の動きも正常な状態のこと。 意識があるにも関わらず、手足を使ったり、声を出したりして意思表示をする事ができない。 患者は自分の肉体に意識が閉じ込められているように感じるため、こう呼ばれるのだ。
 
 
photo  唯一、自らの意思で動かせるのは眼球と瞼だけ。 症例が少なく、現在でも有効な治療法はない。
 さらに、通常 閉じ込め症候群の判定は、患者に簡単な質問をし、イエスは1回、ノーは2回、瞼を閉じるというテストで意識があるかどうかを判断する。 だが、まぶたや眼球はたとえ意識がなくても動いてしまうため、その判定は極めて難しかった。
 
 
photo  16歳で意識を取り戻したマーティンは、徐々に思考能力も回復。 3年後の19歳になると、自分が置かれた状況を完全に把握できるようになっていた。 だが、彼が意識を取り戻したことに気づくものは、誰ひとりいなかったのである!
 僅かに動かせるのは、眼球と瞼だけ。 だがそれが意思によるものなのか、単なる反射なのか、周りの者には区別がつかなかった。 食べ物は流動食なら飲み込みはするものの、おむつが必要。 状態は意識が戻る前とほとんど変わらなかった。 それはまさに、地獄のような日々の始まりだった。
 
 
photo  痛みは感じ、意識はあるのに、誰にも伝えられない。 どれほど苦痛を感じても、気づいてもらうすべはないのだ。
 しかもそれだけではない。 膨大な時間を潰すために、マーティンが出来る事はただひたすら数を数える事くらい。 気がどうにかなりそうなのを必死で耐える日々。
 
 
photo  だが、彼にとって最悪の地獄はそれだけではなかった。 実は、マーティンが意識を失っていた3年の間に、家庭は見るも無残に崩壊していたのだ。
 意識を失ってから1年後、母ジョアンは看病疲れと、マーティンを救えなかったという自責の念が限界に達し、自殺を計ったのだ。 辛うじて一命をとりとめた彼女は、精神科の医師のすすめで仕事に復帰。 息子の世話から一切手をひいた。
 
 
photo  代わりにマーティンの面倒を引き受けたのは、父・ロドニーだった。 だが、仕事があるため昼間は介護施設に預けるしかなかった。 出勤前に預け、夕方迎えに行き、眠るまで世話をする。 施設が休みの日は、一人でマーティンの面倒を見た。
 前途有望な技師だった父ロドニーは、残業をやめ、夕方5時までの勤務に変更。 息子の為にキャリアを諦めたのだ。
 
 
photo  だが…母・ジョアンは、マーティンの世話を続ける父・ロドニーのことを責めた。 マーティンにとって最大の苦痛。 それは、自分の存在が、家族全員の負担となっていること。 意識を取り戻したことで、厳しい現実を直視しなければならなかったのだ。
 母・ジョアンはマーティンにこう言ったこともあった。 「死になさいよ…マーティン、もう死んでちょうだい」
その時の思いをマーティンはこう記している。 「言われた通りにしたかった。人生を終えたくて仕方なかった。こんな言葉を聞くのに耐えられなかったから。」
 
 
photo  マーティンが、意識を完全に取り戻してから、1年、また1年と時は過ぎていった。 誰もその事実に気づいてくれないままに…
 だが実は、その間にマーティンの身体にある変化が起こっていた。 マーティンは、ほんのわずかながら口の端を動かすことができるようになっていたのだ。 だが…最もマーティンの回復をねがっていた父でさえ、息子の顔を正面から見ることは殆どなくなり、そのわずかな変化に気づくことができなかった。 そしてこの後、彼は想像を絶する更なる恐怖へ突き落とされることになる。
 
 
photo  その頃ロドニーは、郊外にある環境のいい施設にマーティンを時々預けることにしていた。 だが、そこはマーティンを人形のように扱う、最悪の施設だったのだ。
 そんなある日の事だった。 マーティンはその施設に3週間も預けられたのだ。 介護士の扱いは荒く、暴言を吐かれる日々。 しかし、マーティンには、虐待されている事実を伝える術はなかった。
 意識を取り戻してからおよそ10年。 25歳になったマーティンは、誰かが気づいてくれる希望を失っていた。 それどころか、生きるていること事態が絶望にほかならなかった。
 
 
photo  そんな、ある日のこと…新しい施設でアロママッサージを担当するヴァーナという女性に出会った。 彼女は、これまでの介護士とは違い、マーティンをモノのようには扱わなかった。 それどころか、まるで友人であるかのように話しかけてくれたのだ。
 わずかな希望を取り戻したマーティンは、父ともコミュニケーションを取ろうと試みたのだが… 家族の中に…マーティンを気にかけているものはいなかった。 もはや、介護士のヴァーナが、マーティンのたったひとつの心の支えとなっていた。
 
 
 そんなある日、ヴァーナは父・ロドニーに「変なことをお聞きしますけど…マーティンの弟さん、気管支炎なんですか?」と聞いた。 確かに昨日からマーティンの弟は、気管支炎で熱を出していた。 しかし、なぜ彼女がそのことを知っているのか?
photo  実は…ヴァーナは長い間、マーティンの顔を見ながら話しかけているうちに、ある疑問を持つようになっていた。 その疑問は、徐々に膨らんでいった。 そして…その日、マーティンと話している時に、わずかながら反応があることに気がついた。
「誰かが病気なの? 病気なのはお父さん? お母さん?じゃあ、弟さん?弟さん…なのね?」 「どこが悪いの? 鼻風邪?それとも中耳炎? 扁桃腺? 気管支炎? 気管支炎なのね?」
 その時、ヴァーナは気づいたのだ。 マーティンには意識があるのではないかと。
 
 
photo  マーティンはすぐさま、とある大学の重度障害者用のコミュニケーションセンターに連れて行かれた。 検査を受けるために。 そして、マーティンは意識があることが判明したのだ!
 母・ジョアンは…当時を振り返ってこう話している。 「ある日、彼に言ったの『死んでほしい』と、彼を理解する事が出来なかった。本当に申し訳ない。」
 
 
photo  発病から13年あまり…完全に意識を取り戻してから実に10年もの時間が経っていた。 ついに、マーティンは気づいてもらう事ができたのだ! 意識がある人間としてそこに存在することに…
 だが、それは、新たな闘いの始まりでもあった。 マーティンに意識があることは分かった。 だが、今後、症状が改善を遂げるかどうかは、全くの未知数だったのだ。
 それでも母親のジョアンは仕事をやめ、1日中マーティンに付き添い、一緒にコミュニケーションの訓練や麻痺した身体のリハビリに励み始めた。 それまでの罪を償うかのように。
 
 
photo  それから15年の月日が流れた今、マーティンはどうしているのか? 我々は現在、住み慣れた南アフリカを離れ、なぜかイギリスにいるというマーティンを尋ねた。
 なんと、手を動かす事ができるようになっている! さらに…自分の口では話すことはできないが、パソコンを使って会話もできるようになっていた。
 
 
photo  いったい、何が起こったのか? 実は…リハビリ開始から1年が経った頃、母は額につけた赤外線で画面のキーボードの文字や画をポイントし、意志を伝える新たなデバイスを入手。 トレーニングを始めた。
 最初は思うように首は動かず、もどかしいほど長い時間が必要だった。 だが、それでも…2年後には赤外線を操り、会話ができるまでに回復したのだ。
 
 
photo  さらに、想像を絶する痛みに耐えながらリハビリも続けた。 その結果…リハビリ開始から5年後には、自分の手でキーボードを打ち、パソコンを使いこなせるまでに回復。
 それだけではない。 マーティンはパソコンの情報処理を専門的に学ぶために大学に入学。 そして6年前からは、フリーランスのウェブ・デザイナー、開発者として仕事もしているという。
 
 
photo  そんな彼に、かつて厳しい言葉を投げかけた母について聞いてみた。
「私は母を愛していますし、とても良い関係を保っています。責める気はありません。あの頃は家族全員にとって難しい時期でした。怒りはなく母に深い憐れみと愛情を感じます。母にとっては息子を失くしたようなものです。そんな状況にも関わらず、最善を尽くしてくれたと思います。」
 
 
photo  だが今も、マーティンの下半身は麻痺したまま、歩くことはできない。 なぜ両親のいる南アフリカから遠く離れて、生活しているのか?
 実は…マーティンは7年前に結婚していたのだ! 彼女はソーシャルワーカーをしているジョアンナさん。 イギリスにいるマーティンの妹の同僚だ。
 
 
photo  その日から、2人はメールやフェイスブックで親交を深めていった。 数ヶ月後、ジョアンナは初めて南アフリカのマーティンのもと元へ向かった。
 2人が空港で出会った瞬間の写真がある。 手を触れる事も出来なかった彼女をマーティンが思い切り抱きしめた。
 
 
photo  そして…パソコンで打った音声メッセージを携帯電話に録音。 二人で気球に乗った時、タイミングを見計らってジョアンナにヘッドフォンを渡し再生…プロポーズした。 ジョアンナの応えは、YESだった。 そして、出会ってから1年あまり経った、2009年6月、2人は結婚式をあげた。
 今では特別に改良した車をマーティン自ら運転。 愛するジョアンナと共にドライブするのが、最大の楽しみだという。
 
 
photo  しかし、10年間、意識があることに気づいて貰えなかったマーティン。 気づいてもらったとき、いったいどんな気持ちだったのか? マーティンはこう話す。
「言葉では言い表せません。コミュニケーションというのは、出来なくなるまでその重要性に気づかないもの。コミュニケーションが僕の人生の全てを変えてくれました。意志を伝えられるというのは本当に素晴らしい事です。」
 
 
photo  10年もの間、動かぬ肉体に意識を閉じ込められ、深い孤独を耐えぬいたマーティン。 彼には今、その数奇な経験から学び、世界中の人々に伝えたいことがあるという。
「どんなに小さくても常に希望はあると思っています。他人の人間性を認め自分自身を信じて下さい。誰にでも親切に思いやりと尊敬の念を持って接して下さい。愛と信頼の大切さを決して過小評価せず、夢を見続けて下さい。」