12月3日 オンエア
突然殺された最愛の息子★父のアンビリバボーな仇討ち
 
 
photo  神奈川県横浜市に暮らす市瀬朝一と、その妻・みゆき。 2人はこの日、息子・清の帰りを待っていた。 父・朝一が経営する鉄工所で働いていた清は、家業である「市瀬鉄工」の全権を託したばかりの大切は1人息子だった。
 清は夕食後はいつも、友人と近くの釣り堀に出かけていた。 この日は釣り堀で「金魚釣り」をすると言って出かけたのだが…病院から突然連絡があり、急いで駆けつけると、そこには意識不明のまま横たわる息子がいた。
 
 
photo  それは…清さんが友人と別れ、釣り上げた金魚を片手に家へと帰る途中の出来事だった。 突然、何者かに刺されたのだ。 その後、通行人によって病院へと運ばれたという。
 数時間後、清さんはなんとか意識を取り戻した。 しかし…「親父…仇を討ってくれ…頼む」と言い残し、息を引き取った。
 
 
photo  かけがえのない1人息子。 朝一にとって生きがいそのものだった。 清が生まれたのは、結婚して7年目のこと…なかなか子供ができなかった分、溺愛ぶりは相当なものだった。
 父の教えには素直で、母には優しい自慢の息子だった。 こうして大切に育てられた清は、高校を卒業すると、朝一の鉄工所を手伝うようになったのだ。 目が悪くなった父親を心配し、1日でも早く鉄工所を任せてもらえるように必死で働いた。
 そして、父の紹介でお見合いをした女性と、この年の秋に結婚することが決まっていた。 その幸せが奪われたのは、それからわずか2ヶ月後のことだった。
 
 
photo  後日逮捕された犯人は、清とは面識がない19歳の少年だった。 その犯行動機は…「会社の同僚から意気地なしだとバカにされたされた」、「いっそ人を殺して見返してやろうと思った」という、驚くべきものだった! さらに…「ただ、あいつは運が悪かっただけですよ」と言ったのだ。 清には何の落ち度もなかったのだ。
 
 
photo  事件から4ヶ月が過ぎた9月半ば。 「明日は犯人の第一回公判があります。」 事件以来、親しくしていた新聞記者からの報せだった。
 我が子を亡くしてからは無気力そのもの、ただただ犯人の死刑を望むだけの日々を送っていた朝一だったが、翌日…第一回公判に出かけた。 朝一は犯人の少年に「おい、こっちを向いてみろ。人の息子を関係もないのに殺すとはどういうことだ」と言った。 だが犯人の少年は薄ら笑いを浮かべただけ… 我が子のために仇討ちを!そうは思ったものの…その後数日間、朝一は葛藤し続けた。
 
 
photo  そして、第二回公判。
朝一は家から持ってきた包丁で犯人の少年に襲いかかった! だが……知り合いの新聞記者により、すんでのところで食い止められた。 裁判所内で刃物を振り回したなれば、逮捕は明白。
 しかし…「そんなことをしたらどうなるか、お分かりですよね? ただ私は…何も見てませんから」 という刑務官の厚意により、朝一は処罰を受けることなく、その後の公判を見届けることができた。
 
 
photo  少年に判決の言い渡しがあったのは、それからおよそ半年後のことだった。 被告人は当時19歳。 少年法により、更正・社会復帰が重視されたため刑期は5年以上10年以下という短さだった。
 
 
photo  犯人を憎み死刑を望んでいた朝一は無情な判決を聞き、ふさぎ込んでいた。 新聞を開けば、今まで気にもとめていなかった「理由なき殺人事件」の記事が次々に目に飛び込んでくる。
 そんなある日、知り合いの記者の紹介で、朝一は東京に住むある男性を訪ねていた。 朝一と同じように、理由もなく娘を殺された父親… 当時、大学生だったという娘が駅のトイレに立ち寄った時、トイレの中で待ち伏せしていた男に突然、包丁で襲われたのだ! 犯行動機は「面白くないんだよこんな世の中!だからめちゃくちゃにしてやろうと思ったんだ。誰だってよかったんだ」という身勝手なものだった。 しかし、判決は…死刑でも無期懲役でもなく、懲役15年…。
 
 
photo  同じような境遇の人の苦しみに直接触れたことで、今まで犯人を憎むことしかできなかった朝一の心に大きな変化が起こった。 同じような境遇の人たちと手を取り合って国へ訴えれば、何かを変えられるかもしれない…そう考えたのだ。
 その日以来、ふさぎ込んでいた朝一に大きな目標ができた。 新聞で理由なき殺人の記事を見つければ、どんなに遠くともその遺族を訪ねた。 そして、「皆で手を取り合って殺人のない世の中を!」と訴えたのだ。 しかし、理由もなく愛する家族を失ったばかりの人々の混乱した頭では、なかなか理解してもらえなかった。
 
 
photo  そこで朝一は、闇雲に訴えても何も変えられない…まずは理由なき殺人に対し、どんな法律が適用されるのかを学ぼうと考えた。 鉄工所を休業し、法律の勉強に励む一方、わずかな蓄えを切り崩しながら被害者遺族を訪ね続けた。 そこで朝一が目にしたのは、加害者から賠償も受けられず、悲惨な生活を送る遺族たちだった。 すぐさま犯罪被害者への経済的な援助、国の補償について調べてみると…朝一は驚愕した。
 
 
photo  当時、被害者に補償を行う法律はいくつか存在した。 例えば、交通事故は法律によって被害者への補償が守られており、加害者がわからないひき逃げなどの場合には、国が損害を補償する制度がある。 他にも旅客機墜落などの事故や、炭坑の爆発などの労働災害、公共の場に安全上の不具合があり、ケガをした場合でさえ社会福祉という観点から、当の責任者や国によって保証金が支払われる。
 
 
photo  だが当時、殺人など犯罪に関する法律は「社会秩序を守るためのもの」であり、犯人の責任追及や再犯防止を目的としたものばかり、加害者に賠償能力がない場合の補償などほとんど考えられていなかったのだ。
 それからというもの、朝一は「ある決意」を胸に被害者家族を訪ね歩くようになった。 息子の墓前で誓ったというその決意…それは、残された遺族の生活を守るため補償に関する法律を作る。 それを「新たな仇討ち」と決めたのだ!
 
 
photo  そして、息子の一周忌を迎えた頃には、全国の被害者遺族の協力者らと共に「遺族会」を発足させた。 加害者から賠償が受けられず、泣き寝入りする遺族に補償を! 賛同し、署名してくれた人は、実に2万8926人。
 遺族会発足から半年後。 朝一らは被害者遺族の補償を求める請願書を国会へと送った。 しかし、国からの返事は…「慎重に検討したい」というものだった。 つまり、ご意見だけは伺っておきましょうという無情なものだったのだ。
 
 
photo  悲願の訴えは無視されたも同然だったが、朝一はさらなる協力者を集めるために再び全国行脚を始めた。 ほぼ毎日、各地の遺族のもとを訪問。 息子との思い出が詰まった鉄工所は、全国を回る交通費に当てるべく、断腸の思いで売却した。
 悲惨な生活を送る被害者遺族のために、1日も早く補償制度を作らなければ… 焦りや苛立ち…様々な想いを胸に続けた訪問は、6年で1000軒にも達していた。 中には…愛する人の命を金に変えるのか、と中傷を受けることもあった。
 
 
photo  そんな矢先、気づかぬうちに進行していた緑内障が過労から急激に悪化。 両目の視力をほぼ失ってしまったのだ。
 弱気になり、法律を作ることを諦めかけた朝一に喝を入れたのは妻・みゆきだった。 みゆきは朝一の杖になとなって全国をまわることを決意。 こうして全国の遺族を巡る旅は夫婦二人三脚で続けられることになった。
 
 
photo  だがそのおよそ2年後。 犯罪史上に残る大事件が勃発する…それが、過激派による三菱重工ビル爆破事件。 大企業の本社を狙った爆弾テロは、社員や通行人ら何の罪のない人々を巻き込み、8名の尊い命を奪った。
 非道の限りを尽くした惨事に胸を痛めた朝一だったが、皮肉にもこの事件が活動を大きく後押しすることになった。 2人はこの事件の被害者や遺族の元へも通い、被害者補償の重要性を訴えた。 すると、朝一が訪ねた被害者らを中心に会を結成する動きが出始め、世間の注目が一気に高まったのだ。
 
 
photo  さらに半年後には、当時の法務大臣が補償制度の立法化を目指すと明言したのだ! それから5ヶ月後、ついに国会で「犯罪被害者補償問題」が取り上げられた。 この時、立法化への参考意見を聞くために呼ばれたのが朝一だった。
 大切な1人息子を失ってから9年。 一度は無視された国から…意見を聞かせてほしいと頼まれた。 想いの限りを語った言葉が国会の議事録に残されている。
「いろいろな体験をして、いろいろな方とお会いして、本当にみじめな家庭を見てきているのでございます。私の考えますのには、1日も早くこの制度をこしらえていただきたい。これが今の私の切なるお願いでございます。」
 
 
photo  それから、およそ1年。 その後も老体に鞭打って活動を続けた朝一は、過度の疲労から心臓病を患い、入院生活を送っていた。
 だが入院中も、自らの病状より被害者遺族のことを心配し続けた。 日本中を震撼させた無差別殺人、青酸コーラ事件には特に心を痛め…妻のみゆきさんに頼み、激励の手紙を送った。
 
 
photo  そして…立法化は近いと感じていた朝一だったが、1977年1月16日、息を引き取った。 国が立法化へ向けて予算を組み、本格的に動き出したのは、朝一の死からわずか3日後だった。
 身体は死しても、その想いは妻のみゆきや、遺族会の人々に受け継がれ…3年後には、被害者や遺族に補償が支払われる「犯罪被害者等 給付金支援法」がついに制定されたのだ! 制定された年より遡って、支給されることはなかったため、朝一さんら遺族会のメンバーに保証金が支払われることはなかった。 だが現在、犯罪被害者で亡くなった場合、最高でおよそ3000万円の給付金が受けられることになっている。
 
 
photo  2007年には、みゆきさんも他界し、現在は横浜の墓地で家族3人、静かに眠っている。 一家の地は途絶えてしまったが、父の敵討ちは今も法として、世の中を見守っている。
 
 
photo  警察庁が発表している殺人事件の推移を見ると、昭和30年頃をピークに徐々に殺人事件は減りつつある。 「殺人犯罪の撲滅」を願っていた朝一さんの敵討ちはまだ続いている。
 当時、朝一さんの活動を支えた元新聞記者の飯島氏にはこう語る。
「殺人事件をおこさないためには教育の充実が必要だということはおっしゃっていましたね。若いうちに生命の尊厳、尊さ、一生一度しかない命を無駄にしてはいけない。人を殺めるという発想を絶対持たない人間を作らなくてはいけないということは、常々おっしゃってましたね。」