7月9日 オンエア
東京郊外で起こった未曾有の大水害
 
 
photo  41年前、多摩川沿いに並ぶ住宅の一軒。 横山家で最初に異変に気づいたのは、部活の合宿で地方に出かけようとしていた大学生の長女だった。 この日は日曜日。 大学で日本史を教えている一家の主の十四男さん、高校に通う次女も家にいた。 長女の話を聞いて少し気になった母・理子さんが二階から多摩川を見てみると、確かに水量が多かった。
 横山さんの家は東京都狛江市の多摩川沿いに建てられていた。 ちょうど川に背を向けるように玄関があり、家の背後には、本堤防と呼ばれる高さ3メートルほどの土で出来た堤防があった。
 そして、テニスコートなどが広がる河川敷を挟んで、内堤防が設けられており、その先に多摩川があった。 川沿いの家はこの、本堤防と内堤防、二つの堤防にって洪水から守られていた。
 
 
photo  普段、多摩川は この宿河原堰で、ある程度水の流れをせき止められている。 これにより用水路に水を導き、農業用水や工業用水として利用するのだ。 だがこの日は…堰を乗り越える水の量が、いつもより多かった。 しかし、台風の季節などには良くあることであり、特に珍しいことではなかった。
 一家がこの地に住むようになって18年。 土手の向こう側には河川敷が広がり、公園やテニスコートがある。 子供を育てるならこんなところがいいと、当時、ローンを組んで購入した。 そんな中で子供たちはすくすくと成長。 主の十四男さんも…静かな環境の中、自らの足で20年以上にわたって、膨大な資料を集め、日本史の研究に没頭してきた。 だが この時すでに、最悪のときは刻一刻と迫っていたのである。
 
 
photo  その日、夫婦が近隣の集まりから帰ってくると…そこには驚きの光景が広がっていた。 川と河川敷の間に設けられた、内堤防の一部が壊れて、水が公園やテニスコートのある河川敷に流れ込んでいたのだ!
 実は、台風の影響で、関東の山間部で集中豪雨が発生。 大量の雨水が、上流にある小河内ダムに一気に流れ込み、そこから溢れた水が 多摩川を増水させていたのである。 そして横山さんの家近くにある、宿河原堰で止められた水が左右に分離、内堤防を直撃して破壊したのだ! しかも、水量はこれからますます 増していくものと思われた。
 
 
photo  午後2時、多摩川の監視警戒班が異変に気づき、消防署に連絡。 現場に駆けつけた消防署員は、すぐさま 木流し工法と呼ばれる作業に着手した。 木流し工法とは、伐採した木に土嚢をくくりつけ、それを杭とロープで岸に固定。 氾濫する河川に流すという方法。 急流をゆるやかにし、岸が崩れるのを防ぐ効果がある。 幾つもの水害で実績があったため、消防はこれで食い止められると確信していた。
 だが、市の広報車による、避難指示が出された。 事態は悪化していたのだ! 実は、木流し工法では濁流に対抗できず、河川敷の浸食を食い止められずにいたのである!
 
 
photo  横山さん一家は、すぐに帰って来られるからと、ペットを残し、避難することにした。 実は、十年ほど前にも 増水した濁流で内堤防の一部が壊れたことがあった。 しかしその時は、一旦は避難したが 被害が出ることもなく、家に帰ることができた。 今回もその程度で済むと思っていたのだ。 横山さん一家は、とりあえず通帳などの貴重品や、避難所で必要そうなものを持つと 家を出た。
 
 
photo  同じ頃、横山家の近くの辰巳さんの家でも、ペットに関する騒動が起こっていた。 娘たちが、避難所に犬を連れて行くと聞かなかったのだ。
 音楽関係の会社に勤めていた辰巳さんは、娘たちにも音楽の楽しさを知ってもらおうと、バイオリンを習わせていた。 父の想いは、確実に娘たちに伝わっていた。 何より嬉しかったのは、バイオリンを弾くとき、娘たちが一番の笑顔を見せてくれることだった。 こうして辰巳さん一家も、避難所に向かった。
 
 
photo  横山さん一家が避難したのは、近くの小学校だった。 避難所には、比較的和やかな空気が漂っていた。 だが…その時!ラジオからニュースが流れて来た。
「台風16号の影響で多摩川の下流、東京狛江市の本堤防が崩れている模様です。現場は非常に危険な状態になっているとのことです。」
実はこの時、本堤防では想像を絶する事態が発生していたのである!
 消防は、木流し工法で 堤防の決壊を食い止める作業を続けていたのだが… これまでの常識は通用しなかった。 濁流が かつてない勢いで河川敷を直撃、木を固定していたロープを次々と引きちぎったのだ! これにより浸食がどんどん広がり、ついに、安全だと思われていた本堤防を 土台から崩したのだ!
 
 
photo  そして避難所で待機していた横山さん一家に、耳を疑う情報がもたらされる! 避難所にやって来た 警官は、横山さんの二軒隣の住民に声をかけた。
「今ならガレージから車が出せます。お宅の家が 流されるかもしれません。どうしますか?」
 実は、宿河原堰にさえぎられ 内堤防を破壊した濁流は、本堤防を崩し、住宅の土台をも削り始めていた。 住宅が流されるのも、もはや時間の問題だった…
 
 
photo  警察に声をかけられた男性は、横山さん一家の二軒隣…十四男さんと次女は、様子を見に家まで戻ることにした。 だが、家の近くまで行ってみると…住宅地は立ち入り禁止になっていた。
 それでも、次女はペットのネコを助けに家に向かおうとしたが、自衛隊員に止められた。 しかし、横山さん親子にとって、猫も あの家で一緒に暮らしてきた家族だった。
 自衛隊員に許可を貰い、家の中に入った。 付近の住宅は、すべて停電していた。 ネコの名前を呼び、家の中を捜したが…ネコはどこにもいなかった。 2人はネコは逃げたのだろうと思い、避難所に戻ることにした。
 だが その時、十四男さんはあることを思い出し、2階へ向かった。 この時、十四男さんが持ち出そうとしていたのは…20年以上にわたって自分の足で集めた資料、日本史研究者としての人生が詰まっていた。 だが…持ち出せたのはほんの一部。 迫る濁流を前に、そのほとんどを諦めるしかなかった。
 
 事態は刻一刻と悪化。 家の土台を削り始めた濁流を抑えようと、現場の消防は最後の手段に打って出る。 木流しにかえて、一つ4トン以上もあるテトラポットを投入、水の勢いを止めようとしたのだ。 しかし、凶暴なまでに流れ狂う濁流は、テトラポットをも押し流した!
 
photo  日付が変わって間もなくのこと…最悪の事態が現実となった。 ついに濁流は、苦労して手に入れたマイホームを呑み込み始めたのだ! 激しい流れに地盤を削り取られ、自らを支えきれなくなった家は 崩落…押し流された。
 最初の家が流されてから、2時間もたたないうちに、5軒の家が濁流の餌食となった。 それから間もなく…ついにそのときが来た。 横山さん一家の家が流されたのだ。
 横山さんが家を買ったのは、結婚してすぐのこと。 以来18年、家族の思い出のすべてが あの家に詰まっていた。
 
 
photo  2日目の朝。
狛江市役所の会議室では、狛江市、警視庁、消防庁、自衛隊、建設省の現場代表が顔を揃え、対策会議が開かれた。 市や建設省が提案したのは、宿河原堰の爆破だった。
 内堤防が壊れたあと、問題となったのは、堰が濁流を住宅地に導いてしまっていること。 爆破することによって、流れを変えようとしたのだ。 しかし付近の川沿いには住宅が密集し、私鉄の鉄橋も近くを通っていた。
 2日目午後1時40分。 ヘリで宿河原堰に降り立った自衛隊員たちは、破壊力のある火薬を仕掛けた。 万一のことを考え、近くを走る私鉄も止められた。
 
 
photo  そんな緊張が高まる中…一人の住民が自宅に戻った。 横山家の近くに住む、辰巳さんだった。 彼の目的は…娘が子供の頃から練習してきた、バイオリン。 たとえ家が流されても、娘たちには少しでも早く笑顔を取り戻してほしい。 だからこそ、これだけはどうしても持ち出したかった。
 堰の上では 爆弾の設置が完了。 そして…爆破は成功。 だが、一度では 流れが変わるほど堰を破壊することはできなかった。 その後…2日間に渡って爆破を繰り返す間にも、家の流失は続き…あの辰巳さんの家も 流された。
 
 
photo  そして、洪水が始まってから4日目。
実に 13回の爆破によって、ようやく水の流れが変わった。
 こうして首都・東京で起きた、未曾有の危機はようやく去ったのである。 だが、この洪水によって、結局 19軒の家が 無惨にも流されていった。 流されたのは家だけではない。 家族のアルバムや、思い出の品々。 それぞれの家に暮らした人たちの生きた証が、濁流によって葬り去られたのだ。
 
 
photo  かつてない被害をもたらした、『多摩川水害』。 いったい なぜ、被害はこんなにも拡大したのか? 最大の問題は、最初に破壊された内堤防。 その強度が十分ではなかったことである。
 しかも、多摩川を管理する国は、強度が足りないという事実を知っていたことが 後に明らかとなった。 にもかかわらず、そのまま放置していたのだ! 家を流された被災者たちは、国を相手取って裁判を起こし、その結果…全面勝訴。 賠償金が支払われた。
 一方、宿河原堰は、多摩川の増水に柔軟に対応できる構造に生まれ変わった。 水害を引き起こしたときは 固定式だったが、水量が調節できる可動式になった。 そして、実は家を流されたほとんどの家族は…その後、多摩川沿いの同じ場所に 新しく家を建て、戻っていた。
 
 
photo  横山さん一家もそうだった。 現在、主の十四男さんは90歳。 奥さんの理子さんは17年前に亡くなったが、十四男さんは今も元気だ。
 未曾有の大洪水によって家を奪われた人々。 横山さんは、その姿を思い出すと、今も胸が痛むという。 横山さん自身、雑誌のインタビューで次のように語っている。
「本当に何もない。妙に実感がわかなかったんですが、家族をどうしようということが頭に浮かびました」
 
 
photo  実は、自宅が流される直前、家族の間で こんな会話が交わされていた。
「私ね、さっき家にさよならをいってきたの。だからね。もうすぐ、うちも流されちゃうと思う。でも、過去のことをいうのはやめよう。前を向いてこう。」
この時から、家族は前を向いていたのだ。
 さらに1か月後、嬉しいことがあった。 多摩川のほとりで、いなくなった猫の一匹が見つかったのだ。 家に連れて帰り、生涯 面倒を見た。
 
 
photo 日本中を震え上がらせた多摩川水害。 我々は知らなければならない…災害が奪うのは、家や財産だけはない。 それは…けがえのない思い出までも、奪い去ってしまうということを。