7月9日 オンエア
国内史上最悪と言われたビル火災
 
 
photo  国内史上最大の大惨事と言われる火災がある。 千日デパート火災。 閉店後の商業ビルで起こった悲劇。 ビル火災としては国内史上最悪、118名の犠牲者を出した。
 この忌まわしい火災事故は、一体なぜ起こったのか? 閉店後、客のいないデパートにもかかわらず、なぜ、これほどまでの犠牲者が出てしまったのか? 一瞬のうちに燃え広がる炎、容赦なく襲いかかる黒い煙。 未曾有の大火災で、生と死を分けたものとは?
 
 
photo  大阪市中央区千日前。 通称ミナミの繁華街と呼ばれる、その一角に… 悲劇の舞台となった、千日デパートはあった。
 デパートとはいえ実質は、各階のフロアを細かく区切り、商店などに貸し出す形の雑居ビル。 1階から5階は、食料品店や雑貨屋など、様々なテナントが入っていた。
 また6階にはゲームセンター。 さらに、屋上には当時としては珍しい、観覧車が設置されていた。
 
 しかし今から43年前の5月。 その巨大施設が、前代未聞の大火災に巻き込まれることになる。 火災当日、デパートはいつもどおり定時の午後9時に閉店した。 閉店後は、ビル1階の保安室に待機する、保安係2名がデパート内を巡回していた。 客のいなくなったデパートは不気味なくらい静まり返っていた。
 
photo  だが、実はこのビルの中で、閉店以降も一軒だけ営業している店があった。 ビルの最上階、7階にある キャバレー “プレイタウン” だ。 当時のキャバレーは今とは異なり、生バンドの演奏をバックにダンスをしたり、有名歌手の演奏を聴きながらお酒を飲んだりと、粋な大人が楽しむための空間だった。 週休二日制など考えられなかった時代。 サラリーマンたちにとって、土曜日の夜は、唯一羽が伸ばせる時だった。
 
 
photo  午後10時20分。 通常 千日デパートには、1階の保安室と唯一賑わう7階のキャバレー、閉店後は この1階と7階、2つのフロアを除いて人はいないはずだった。 だが、この日は、違った。
 デパートの3階にある婦人服売り場では、この夜、電気配管工事が行なわれていたのだ。 作業員は現場監督を含めて3人。 夜を徹しての作業だった。
 
 
photo  しかし、午後10時30分頃のこと。 舞い上がる炎に、作業員が気づいた。 現場監督は、すぐさま3階にある火災報知器のボタンを押すと、急いで1階の保安室へと向かった。 そして、連絡を受けた保安係2名は、すぐさま現場へと急行。 この間わずか3分程度。 しかし…保安係が現場についた時には、すでに煙は充満。 炎は消火器では手に負えないほど、燃え広がっていたのだ!
 部下の報告を受けた係長が、すぐさま119番に通報。 その後、係長自らも現場へと急行した。
 
 
photo  しかし、彼はこの時、気が動転していたのか、ある重要なことを忘れていた。 そう、7階に火災発生の連絡をしなかったのだ。 さらに…7階を含め千日デパートのすべてのフロアには、火災報知器が備え付けられていたが、それらはみな保安室に連絡するためのものだった。
 もし、火災発生の一報が入ったら、保安室から全館一斉に放送を流し非難を促すという手筈になっていた。 ところが、7階だけがその仕組みが整備されていなかった。 つまり、保安員が電話しなければ、プレイタウンにいる人は火災に気づくことができなかったのだ。
 その頃、7階のプレイタウンには…客が57人。 ホステスが78人。 バンドマン、ダンサーらが11人。 そして、ボーイら従業員を含めて、合計181人がフロアにいた。 火事が起きた午後10時30分。 プレイタウンではお客が土曜日の夜を満喫していた。
 
 
photo  ホステスのあけみ(仮名)は、数年前に夫と離婚。 その後、一人娘を育てるために、この仕事を始めた。 当時、キャバレーで働くホステスには、あけみと同じくシングルマザーの女性や、夫の稼ぎだけでは生活が苦しい主婦が多かったという。 つまり、ホステスのほとんどが子供を持つ “母親” だったのだ。
 奇しくも火災があったのは、母の日の前日だった。 千日デパートビルにはそのことを知らせる、大きな垂れ幕が掛かっていた。
 プレイタウンの各テーブルでは、客とホステスが大いに盛り上がっていた。 だが、この時…魔の手は確実に迫っていたのである。 恐怖の兆しに最初に気づいたのは、私用のため下の階に降りようとしていた1人のホステスだった。 最初は白い煙だった。 ホステスは、またボヤがあったのだと思ったという。
 実は、同じエレベーターの地下1階には、喫煙者のために灰皿が設置されていた。 以前、タバコの不始末で この灰皿から火が燃え上がり、7階のエレベーター付近にまで煙がきたことがあったのだ。 その時はボヤ騒ぎ程度で収まったのだが… そこで彼女は偶然居合わせた客と、見送りにきたホステスとともに、地下1階へと向かった。
 
 
photo  バンドマンたちの演奏が終わりかけた10時40分頃。 ホール内でもある異変が起きていた。 バンドのメンバーが、煙が出ていることに気がついたのだ。
 バンドのリーダーだった高平さん。 彼は、一旦仲間たちを控え室に待機させ、状況を把握するため 探りに出た。
 その頃、エレベーターで地下1階に下りた男女3人は、わけがわからず立ち尽くしていた。 煙の原因だと思った灰皿には、何の異変もなかったのである。 不思議に思いながらも、ホステスらは階段で1階に向かった。
 彼らは1階で保安員に会い、3階で起きた火事のことを知らされる。 その時、保安員はプレイタウンに連絡していないことに気がついた。
 
 
photo  ちょうど その頃、7階のエレベーターホールには2人のボーイがいた。 先ほどの3人を乗せたのを最後にエレベーターが停止。 点検作業に取りかかろうとしていたのだ。
 しかし、尋常ではない煙の量に本当に故障かと疑問を持ったその時! 白かった煙が黒い煙に変わったのだ!! そこではじめて、エレベータの故障ではなく火事だと気がついた!
 ボーイが「火事 火事だ みんな早く逃げろ!」と叫ぶと、店内はたちまちパニック状態となった。 保安員がプレイタウンに連絡をいれようと試みるが…パニックになった店内で電話を受けるものなど誰もいなかった。
 
 
photo  この時、プレイタウンの事務所には、支配人の須藤(仮名)がいた。 彼は火災の際、避難誘導を行う防火管理者でもあった。 そんな彼がようやく異変に気付いたのは、店内がパニックになった直後のことだった。
 多くの客やホステスが、1階に降りるためにエレベーターホールへと殺到した。 100名を超える人々が、我先にと押し寄せる。 ところが…扉の隙間から、煙が激しく噴き出し、すでに息もできないほど立ちこめていた。 もはやエレベーターで逃げることは不可能だった。
 支配人の須藤は非常口を開け、そこから逃げるように指示を出した。 7階にあるプレイタウンから下へ降りるには、通常、2台ある専用の直通エレベーターを使用する。 だが、それが使えない今、地上へ降りるには階段を使用するほかない。 それが支配人である須藤の指示した…非常口の扉の先にあるA階段だった。 ここを通れば、7階から1階へと逃げることができる。
 
 
photo  さらに、プレイタウンがあった7階には、これ以外にも1階へと通じる階段が3つ存在していた。 ひとつは、エレベーターホール近くにあるB階段。 ここは普段、ホステスが帰宅する際に使用する階段だった。 6階〜2階の店内と接することなく、直接1階へと降りられるため、都合が良かったのだ。
 また、ホールから一番遠い場所に存在していたC階段。 さらに、ステージ脇にあるD階段。 これら4つの階段は、デパートの名物でもあった、観覧車のある屋上にも繋がっていた。
 もし、階下へと逃げられない場合は、屋上に避難することも可能だった。 しかし、プレイタウンにいたほとんどの人間が これらの階段を使用しなかった、 正確には、使用できなかったという。 一体なぜ、4つの階段は使えなかったのか、この後、プレイタウンで起きた地獄のような惨劇が明らかとなる!
 
 
photo  突如、炎と黒煙に包まれた千日デパート。 火災発生から、プレイタウンの店内がパニック状態に陥るまで、わずか15分足らずの出来事だった。 一方、保安係から通報を受けた大阪市消防局は、間髪を入れずに、各消防署に緊急指令を出していた。
 現場に近い南消防署はもちろん、市内各所から消防車が、千日前へ急行。 この時、現場に向かっていたのは、ポンプ車、はしご車、放水車などと、救急車が合わせて84台。 そして、消防隊員は実に596人。 大阪市消防局は、この未曾有の大火災に、万全の消火体制で臨んだ。
 火災発見から13分後の、10時43分。 第1陣が現場に到着。 だが、この時すでに千日デパートは、3階を中心に2階4階へと火が回り、ビル全体を黒煙が包み込んでいた。
 
 プレイタウンの支配人須藤は、煙が充満したエレベーターホール脇の非常口、その扉の先にあるA階段から、みなを避難させようとしていた。 しかし、非常口は…無銭飲食などを防ぐために、普段から鍵がかけられていた。 非常口を開けるために必要な鍵…それは、クロークの中に保管してあった。 だが…凄まじい熱と大量の煙でクロークに行くことができなかった。
 
photo  時を同じくして、クロークの先にあるB階段へと向うグループがあった。 あけみを含むホステスたちだ。 普段から使っていたB階段で地上を目指そうとしていた。 だが、彼女たちは知らなかった、すでにそこは熱と煙が充満した…地獄と化していることを。 煙の勢いは増すばかり…彼女たちは慌てて近くのトイレへ逃げ込むしかなかった。
 火災発見からわずか15分程度。
エレベーター、A階段、B階段、店内にいた人たちは、この時すでに脱出ルートを3つも失っていた。
 
 
photo  仲間のバンドマンらを控室に移動させ、様子を見に行っていた高平さん。 彼はこの時、事務所前の通路に向かっていた。 なぜなら、その先には煙が噴き出すエレベーターホールから最も離れた、C階段が存在したからだ。
もしその階段が使えるのであれば、仲間たちと避難できる、高平さんはそう考えていた。
 しかし…行く手を阻むように、換気ダクトから黒煙が猛烈に噴き出していた。 それだけではない。 ダクトから凄まじい熱が溢れ出していたのだ!
 
 襲いかかる熱気や煙から逃れるため、高平さんはボーイやホステスに退去を指示した。 すると…ボーイが「こっちだ こっちにベニヤの仕切りがある。それを破れば逃げられるはずです」と言った。
 当時プレイタウンの隣では、劇場を改装してボ―リング場を作る工事が行われていた。
 
photo その為、両者がベニヤ板で仕切られている箇所があったのだ。 板を破れば、ボーリング場側に避難することができるかもしれない、ボーイはそう考えたのである。
 ところが…ベニヤ板だったはずの仕切りが、いつの間にか工事が進み、コンクリートに変わっていたのだ! この状態では、どんなにあがいても、ボーリング場への避難は不可能。 だが…すでに冷静な判断力を失っていた人々は、壁を叩き始めた。 こうして、4つあった階段のうち3つが塞がれた。
 
 
photo  その頃、ホール内に残っていた支配人や、客、ホステスらは、残るひとつの脱出ルートから逃げようとしていた。 そう、ステージ裏手にある最後の脱出ルート、D階段である。 螺旋状のD階段は、プレイタウンのフロアを突き抜けるように、1階から屋上へと繋がっていた。
 そのため、観覧車を利用する家族連れが 誤って入ってこられないよう、普段は鉄製のシャッターが下ろされていた。 そこで開閉ボタンを押し、シャッターが開こうとしたその時…歓喜の声は、悲鳴へと変わった。 シャッターの隙間から、黒い煙が噴き込んできたのだ!
 煙は上へ上へとのぼっていく。 火災により、3階に充満した黒煙は エレベーターの隙間や換気ダクトだけでなく、店内を通る階段を伝って…凄まじい勢いでプレイタウンへと流れ込んできたのだ。
 容赦なく流れ込む黒煙…その場にいた人々は一目散に逃げ出した。 キャバレー・プレイタウンは一瞬にして、猛毒のガス室へと変貌。 それは同時に、全ての脱出ルートが奪われたことを意味していた。
 
 
photo  さらに、火災発見からおよそ20分後の午後10時49分…プレイタウン、停電。 店内は地獄絵図と化した。 だがそれも長くは 続かなかった。 大声を上げて、息を吸い込んだ瞬間、一酸化炭素の魔の手が彼らを襲い、皆 その場で倒れていったのである。
 そんな中…全ての出口が塞がれても尚、希望を捨てず生還した者たちがいた。 一体 彼らは、どうやってこの過酷な状況を脱したのか? そして、この大惨事をもたらした、そもそもの原因は何だったのか? さらに一体なぜ、最初は小さな炎だったにも関わらず、わずか数分で大量の煙が7階を襲う結果となったのか? そこで起こった、恐るべき現象とは?
 
 
photo  ビル火災として国内史上最大の犠牲者を出した “千日デパート火災” 。 この大惨事をもたらした原因は定かではないが…事故当日、3階で電気工事をしていた作業員らのタバコの不始末ではないかと言われている。 だが、消火後に行われた大がかりな現場検証でも、そのことを決定付ける証拠は見つからず、結局、未曾有の火災事故の出火原因は、未だ不明のままである。 しかし、原因が解明できなかったにしても、これほどの大きな被害を出した背景には…火災が起きるまで明るみに出なかった、防火体制の不手際があった。
 実は 千日デパートは本来、スプリンクラーなど、自動消火設備を設置していなければならない規模の建物だった。 にも関わらず、それがなかった。 設置を義務づける法律が施行される前に建設された建物だったのだ。 そのため、違法ではなかったが、当然 火災の前から危険を指摘する声はあった。 しかし、そのまま放置されていたのだ。
 
 
photo  さらに、デパートの各階には火災があった際、フロアを幾つかに仕切って延焼や煙の流出を防ぐ、防火区画シャッターが備え付けられていた。 しかし、火災当日、そのシャッターのほとんどは閉められることなく解放状態だった! 結果、3階で発生した火災はあっという間に、2階、4階へと燃え広がって行ったのである。 しかも、火災が広がるスピードは、尋常ではないくらい速かった。
 事実、作業員が最初に火災を発見したときには、炎は幅40㎝、高さ70㎝位のものだった。 しかし、火災発見からわずか7〜8分で、煙は7階に達し、瞬く間にフロア全体を猛毒のガス室へと変えた。 一体なぜ、煙は凄まじいスピードで7階へと到達したのか? そこには、ある恐るべき理由があった。
 
 
photo  あの時、千日デパートの3階では、フラッシュオーバー現象が起きていたと言われている。 フラッシュオーバーとは、室内で発生した小さな火災が、ある瞬間、一気に部屋全体へと燃え広がる現象のこと。
 千日デパートの場合、火元の3階には、ガスが発生しやすい化学繊維で出来た服が大量にあった。 結果、わずかな時間で大爆発を引き起こしたのだ。
 
 
photo  行き場を失った煙は、エレベーターの昇降路やビル内にある階段、換気ダクトなどを通って、一気にプレイタウンのある7階まで押し寄せた。 これにより、わずか数分で 脱出ルートはすべて失われた。 しかしそんな万が一の事態に備え、プレイタウンには、ある防火対策が施されていた。 ステージのすぐ脇にある、窓。 ここに、避難器具である救助袋が備え付けられていた。
 救助袋は、長い袋状になった非難器具。 袋にもぐり込むと、そのまま滑り台のように中を滑り、地上に到達できる仕組みになっていた。 停電が起き、真っ暗になった店内では…その存在を知るボーイとともに、ホステスや客が煙から逃れるように、救助袋のある窓に押し寄せていた。
 
 
photo  しかし…窓から投げ出された救助袋は、なぜか地上まで届くことなく、ユラユラとはためき 2階のネオンサインに引っかかったのだ! 実は、救助袋の先端部分には、通常、砂袋が括り付けられている。 それを投げ下ろし、下にいる人に引っ張ってもらい設置するのだ。
 だが、このとき砂袋は救助袋から外れていた。 点検をしていなかったがために起きた、重大なミスだった。 さらに、救助袋の入り口を開くにも手順があったのだが、やり方をボーイは知らなかった。 そのため、中に潜り込むことさえ、出来なかったのだ。
 
 
photo  これでは、せっかくの救助袋もただの布である。 しかし…それでも煙にまかれている人々にとっては、これが唯一の命綱だった。 男性客は救助袋にしがみつき、地上を目指した。
 しかし、固く厚みのある救助袋を掴み、握力だけで体重を支え続けるのは想像以上に難しい。 ゆえに、試みた人のほとんどが、数メートル下ったところで力つき落下、命を落とした。
 
 
photo  一方、その頃…高平さんの指示に従い、バンドマンたちは控室でじっと待機していた。 高平さんが控え室に戻り、状況を説明した。 その時、控え室にも煙が充満し始めた。 扉の隙間にタオルなどを挟み、煙を食い止める。 しかし、これも時間の問題…
 控室には、窓が備え付けられていたが、開閉できない仕組みになっていた。 しかし、命の危機が迫っている今、この窓を打ち破る以外方法はなかった。 高平さんはロッカーからバットを取り出し、窓のガラスを割った。 実は、高平さんらバンドマンたちは大の野球好き。 仕事が休みの時は、プレイタウンのボーイたちと楽しむために、控室に道具を一式用意していたのだ。
 
 
photo  窓から顔を出すと、すでに多くの消防車や救急車が駆けつけていた。 また、周囲を見渡すと、7階にあるいくつかの窓から助けを求め、手を振る人がいた。 中には、停電になったフロアから辛うじて逃げ出した、支配人や、必死に自分の子供の名前を叫ぶ ホステスの姿もあった。 何とか生き残り、窓際まで避難してきた人たち…全員が我先にと助けを求めていた。
 ハシゴ車が配置され、一番近い窓から救助が行われていく。 しかし、それを待ちきれず、熱さと煙から逃れるために、飛び降りる人も続出。 ここは、地上から25メートルの7階。 地面に衝突すれば、助かる確率は皆無に等しい。 迫りくる、熱さと煙…一刻も早く、逃れたい衝動。 その想いが、実際の高さを狂わせ、飛び降りても助かるのではないか…ありえない期待が、窓枠を乗り越えさせようとした。
 
 
photo  だが…高平さんら、バンドマンたちはその衝動に打ち勝った。 迫り来る熱気と恐怖から救い出されたのだ! 火災発見から29分、午後10時59分のことだった。
 高平さんらバンドマンたち以外にも、ハシゴ車によって男性客やホステス、従業員ら50名の人たちが救出された。 さらに、煙や熱気に耐え切れず、窓から飛び降りた人たちの中にも、偶然 電線に引っかかって軽傷で済んだ者や、住民らが協力し合い 広げたシートに墜落して助かった者などもいた。
 あの大惨事の中、合計63名の人たちが救われたのだ。 しかし、犠牲になったのはその2倍近い、118名にも及んだ。
 
 
photo  これはのちに作成された、調査報告書である。 そこには生存者からの聞き取り調査により、次のような事実が記されている。
 同僚のホステスが「あかん」と止めても、「先に行くわ」と言い残して飛び降りていった。 その後からも客の男やホステスが、苦しさから逃れるように次々と飛び降りていった。 実際に、22名もの人々が、7階から飛び降り、亡くなっている。 しかし犠牲者の死因でもっとも多かったのは、煙による一酸化炭素中毒。 その数は、実に93人にものぼった。
 
 
photo  事故報告書では、発見された遺体の状況から、亡くなった方々の最期の瞬間を以下のように推定している。 あの時、コンクリートを蹴り続けた人々は…懸命に壁を破ろうとしたが、厚さ27センチのコンクリートブロックはびくともしない。 それも長くは続かず、ますます激しさを増す煙に、10数人が折り重なるように倒れていった。
 あの時、必死の思いで避難したホステスたちは…外部に面した窓を持たないトイレへ入った者は、煙に追い詰められて動けなくなり、苦しさから嘔吐したり、また狭いロッカーに身を入れようとするホステスもいたが、皆な早いうちに倒れていった。 あの日、かろうじて生還した高平さん、キーボード担当の滝川さんは、火事は火より煙が怖いということを痛感したという。
 
 
photo  火災後、責任を問われたのは、千日デパートビルのオーナー会社で、管理課長を勤める人物。 キャバレー・プレイタウンを経営していた会社の代表取締役。 そして、あの火災の中、生還した支配人の3人。
 彼らは防火区画シャッターの閉鎖について注意を怠ったこと、火災発生の際の連絡手段の不備、救助袋の取り替え、補修を放置していたこと。 6階以下の出火を想定した避難訓練をしていなかったことなどの過失を問われ、業務上過失致死罪で有罪となった。 また、この火災は、それまでの消防法を改善する大きなきっかけにもなった。
 
 
photo  あの事故から43年、高平さんにはどうしても忘れられない光景があるという。 窓際で折り重なるように倒れていた女性…亡くなったホステスは65人に及んだ。 ロッカーで力つきた女性もいた。 その大半は子を持つ母親だったという。 苦しさのあまり、トイレの便器に顔を突っ込み亡くなっていた女性。 彼女の手には映画のチケットが2枚、しっかりと握られていたという。
 奇しくも、母の日の前日に起こった悲劇。 翌日の新聞には、遺された子供が母の棺に、カーネーションを捧げる様子が報じられていた。 一度に118人の命を奪った火災。 我々はこの悲劇を教訓としていかなければならない。