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コラム

vol.4

提供=産経新聞社

2016年6月14日

【月刊パラスポーツ】

成田真由美(45) レジェンドが再び挑む大舞台、リオでは「自分らしい大きなストロークで泳ぎたい」

女子50メートル自由形でリオ・パラリンピックの派遣標準記録を切る好タイムにガッツポーズする成田真由美。代表に決定した=静岡県富士水泳場

女子50メートル自由形でリオ・パラリンピックの派遣標準記録を切る好タイムにガッツポーズする成田真由美。代表に決定した=静岡県富士水泳場(写真提供:共同通信社)

パラリンピック競泳で通算15個の金メダルを獲得し、昨年7年ぶりに競技復帰した成田真由美(横浜サクラ)が、5度目の舞台となるリオデジャネイロ大会に挑む。3月に静岡県富士水泳場で行われた代表選考会で、派遣標準記録を突破し、代表に決まった。視線の先に2020年東京大会も見据えており、リオでの16個目の金メダル獲得はもちろん、パラリンピックの楽しさを「たくさんの人に伝えたい」と意欲的だ。経験豊富な“レジェンド”が、若手選手たちを率い、リオでどんな活躍を見せるか-。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで競技者としての時計が再び動き始めた。

13年9月。成田は20年五輪・パラリンピックの東京開催が決定した国際オリンピック委員会(IOC)総会を、大会招致委員会理事(現組織委理事)として現地で見届けた。

「大会を盛り上げるために選手の発掘は必要。自分には何ができるだろうかと考えたら、泳ぐしかないと。原点に戻りました」

中学1年のとき、脊髄炎を発症して下半身が動かなくなった。それでもひたむきに水泳に打ち込み、1996年アトランタ大会から4大会続けて出場し、15個の金メダルを含む計20個のメダルを獲得。08年北京大会は障害のクラスが変更になった影響もあってメダルなしに終わり、その後、故障もあって第一線から退いていた。

しかし、五輪・パラリンピックの招致活動に携わる中で、再びプールが恋しくなってきた。母国開催が決まったのはそんな時期。現役復帰を決心するまでに時間はそうかからなかった。

練習を再開したのはおととし11月。ブランクについて「自分はただただ水の中で泳ぐのがうれしくて」と意に介さなかった。実際、昨年9月の大会で自己ベストを更新すると、3月の選考会でリオ行きを決めた。

45歳。「年齢は関係ないということ」と胸を張る。今回のパラリンピック競泳代表には10代の選手もいる。「お母さんと言われてもおかしくない。彼女たち、彼らが自分たちの力を120%出せる雰囲気を先輩としてつくっていかないと」と決意を胸に秘める。

再び大舞台に挑む“水の女王”。16個目の金メダルへ「成田らしい大きなストロークで泳ぎたい」と誓うとともに、リオの先にある東京に向けて、障害者スポーツに注目が集まる現状を冷静に受け止める。「だからこそ私たちはみなさんの支援に感謝して結果を出さないといけない」と力を込めた。(藤原翔)

障害の種類・程度でクラス分け
障害の種類や程度、運動機能によってクラス分けされた選手が自由形や平泳ぎ、背泳ぎなどの泳法でタイムを競う。S(クロール、背泳ぎ、バタフライ)や、SM(個人メドレー)などアルファベットは泳法を意味する。数字は障害の程度をあらわし、小さい方が重度。1〜10は肢体不自由、11〜13は視覚障害、14は知的障害。5度目のパラリンピックを戦う成田は50メートル自由形「S5」で派遣標準記録を切った。

パラリンピック競泳の日本代表は2012年ロンドン大会で金2個を含む8個のメダルを獲得。全メダル数の半分を占め、日本勢が得意とする競技だ。

リオデジャネイロ大会には男子12人、女子7人が出場する予定。