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コラム

vol.11

提供=産経新聞社

2016年8月31日

【月刊パラスポーツ】

水泳との“二刀流”で腕磨く ボート混合ダブルスカル・駒崎茂 “親子”ペアがリオに挑む

戸田漕艇場で練習に励む駒崎(左)、有吉ペア=埼玉県戸田市(蔵賢斗撮影)

戸田漕艇場で練習に励む駒崎(左)、有吉ペア=埼玉県戸田市(蔵賢斗撮影)

リオデジャネイロ・パラリンピックのボート混合ダブルスカル(運動機能障害)に、親子ほど年齢の離れた男女ペアがこの競技唯一の日本代表として出場する。昨年2月にペアを結成した53歳の駒崎茂(総和中央病院)と36歳の有吉利枝(あんしん財団)。ともにバイク事故で足を切断し、義足で戦うペアは12チーム中6チームで争う決勝進出を目指し、調整に励んでいる。(奥村信哉)

「ペアを組んで間もないので、伸びしろはまだまだある。コーチを信じて一生懸命練習している」。にこやかな表情で語る駒崎はボート歴5年。水泳で鍛えた腕力と肺活量を武器に、昨年からオールを握り始めた有吉を引っ張る。

2003年7月、バイクを運転中にダンプカーと衝突。一命は取り留めたが、右足は膝上、左足は膝下の切断を余儀なくされた。運動不足を解消するため、翌年から始めたのが水泳。当初は不自由な体で人前で泳ぐことに抵抗もあったが、自身が10段階で3番目に軽いクラスに区分されることを知り、「自分は障害が重いと思っていたが、軽いと思うようになった」。前向きな姿勢で練習に励んだ結果、初出場した06年の全国障害者スポーツ大会で50メートル平泳ぎと50メートル自由形を制する実力者となった。

08年北京パラリンピック出場を逃し、水泳での再挑戦は年齢的に厳しいと感じていたとき、誘われたのがボート。“二刀流”に励んだ結果、14年仁川アジアパラ競技大会で銀メダルを獲得。リオ・パラリンピックは大陸枠で出場権を得た。

励みは周囲の支えだ。勤務先の病院はトレーナーやリハビリ室も提供して練習を支えるほか、リオ出場決定後は準備期間として3カ月の休暇を認めた。事故当時、中学1年だった長女のひかりさん(25)は父親を支えようと、看護師になった。「最初は事故のことを友人にも話せなかったが、父は義足で人前に出るのをいやがらなかった。本当に明るかったので受け入れられた」。ひかりさんはそう話す。

「たくさんの方に支えられてここまできた。感謝の気持ちを忘れず、リオでは精いっぱいの力を出したい」。情熱は衰える気配もなく、4年後の東京パラリンピックも「体に鞭を打ってでも出たい」と笑う。

「水」に惹かれ、ボート選んだ有吉利枝

競技歴1年半でのパラリンピック出場に「実感がわかない」と苦笑する有吉。「中学生のころからイルカやクジラが好き。どうせなら海の上で働きたいと思っていた」。航海士を目指して東京商船大(現東京海洋大)に進み、船舶の航行を支援する会社に務めていた2005年、事故で右足を切断し、左足にもまひが残った。

もともとスポーツが好きで、小学校では走り幅跳びで徳島県大会出場経験もある。高校でバドミントン、大学ではバレーボールを経験。片足を失ってもスポーツへの情熱は衰えず、車いすバスケットやシッティングバレーにも挑戦したが、「見学に行ったら抜けられなくなった。水上も好きだし、自分を追い込める競技」とボートのとりこに。過酷な練習に加え、改善を求められる食の細さも悩みのタネだが、「『おとうさん』の背中を見て頑張っています」。気の置けないパートナーと奮闘を続ける。