レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#79(03/06/18)インタビュー
×藤井フミヤ
2003年5月25日
『HEY!HEY!HEY!』収録のあと
砧 東京メディアシティ 楽屋でインタビュー

きくち
曲のサイズが短くてごめんね。本当は今日みたいなのは生演奏でやってほしいんだけど…。
藤井
生演奏こだわるよね。でも『HEY!HEY!HEY!』は無理でしょ?
きくち
わたしの番組は基本生演奏なんだけど、これだけはあきらめてます(笑)。でも次は絶対、生で。
藤井
こだわるね、生(笑)。確かに、俺ぐらいの年齢になると生演奏の方が面白いな。楽曲にもよると思うけど。
きくち
お金の問題もあるし、カラオケのクオリティが高いのもわかるの。でも『夜のヒットスタジオ』で鍛えられたわたしとしては、やっぱり生。
藤井
デジタル系の音楽だと難しいかな。コンピュータ持ってくればいいんだけど、そこまでやる必要性も…ね。
きくち
フミヤさんも曲はコンピュータで作るんでしょ?
藤井
いや、ギター1本だよ。
きくち
意外。CGとか作ってるし、コンピュータだと思ってた。
藤井
あれなんか500分の1の機能くらいしか使ってないから。もうついていけなくて…。俺はあんまりコンピュータを必要としない生き方を選んでいきそうよ。全 然アナログな。
きくち
本当はそうやって曲を作る方がいいのかも。鼻唄で作る人もいるし、久保田利伸さんとか。
藤井
そうだね。でも俺の場合、鼻唄だけで作ると、曲の感じが似てきちゃうんだよね。コードから生まれるメロディがあるというか。ただ、あんまりコードを知りす ぎても複雑な曲になっちゃうし、その辺のさじ加減がね。
きくち
単純なメロディの方が強いよね。チェッカーズの頃の曲は、単純なコードが多かった?
藤井
シングルに関しては、ずっと単純なコードだったかな。
きくち
当時は曲もそうだけど、髪形や衣装とかもめちゃくちゃ流行って。
藤井
社会現象だったよね、あれは。チェッカーズはエンタテイメント性が高かったからね。だけど、完全にミュージシャンというわけではなかった。
きくち
スーパーアイドル歌手、アイドル文化の中で、ここから上手にアーチストになったね?
藤井
そう、上手い具合に20年生きてる(笑)。まあアイドルをやったけど、その時代を捨てたわけじゃなくて、きれいに生きてるつもり。青春時代は一般人で、バ イクに乗ったり恋愛したり、普通のこともいっぱいあったし。
きくち
その経験もまた生きてる。
藤井
そう、普通だったときもアイドル時代も全部含めて、ちゃんと生きてるというか。逆に今もアイドルって呼ばれてもいい感じなんだけどね、なかなか言ってくれ なくてさ(笑)。
きくち
でも今日も扉が開いた瞬間に「キャーッ」て、言われたよ。
藤井
いつまで言われるかだよね。
きくち
顔も年齢感もさることながら、なんかその…(苦笑)。
藤井
そんなことない、俺も老けたよ。ミック・ジャガーとか見てるとやっぱりすごいと思う。ああいうタイプの日本人はいないよね。
きくち
フミヤさんだってチェッカーズから20年、すごいことだと思う。で、今もコンスタントにいっしょにお仕事できて、コンサートも…キャロルの曲で構成したこ の間のライブなんかすごくて。
藤井
キャロルおもしろかったね。
きくち
おもしろかった。そんなコンサートやリリースだけじゃなくて、テレビとも上手に付き合ってるね。
藤井
それはやっぱりポップスだから。俺はロックもやるけど、これはもう一生ポップスで生きて行かないと。自分のやってきた過去に恥はかけないよ。
きくち
なるほど。
藤井
俺らの年代はこれから厳しくなっていくと思う。それでも俺みたいなのが頑張っていかないと、下もね。
きくち
そうね、ついてくる世代もちゃんといるわけだし。
藤井
そうそう。それにミュージシャンって息が短いんだと思われるのも…。だから歌えるうちは、俺は歌うよ。

-- 戻る --

コピー禁止 このページに掲載されている写真はすべて著作権管理ソフトで保護され、掲載期限を過ぎたものについては削除されます。無断で転載、加工などを行うと、著作権に基づく処罰の対象になる場合もあります。なお、『フジテレビホームページをご利用される方へ』もご覧下さい。
著作権について