KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#70+(77行/long ver.)


生演奏ということ。生放送ということ。

 このコラムも70回。せっかくだから100回を迎えられるよう、本業をがんばりますが、その本業のほうも足かけ19年。入社して最初についた番組が、毎週水曜日21時から2時間の生放送『夜のヒットスタジオデラックス』という番組で、海外アーティストなどのごく例外をのぞいては、出演ゲスト11組が基本的に生演奏でパフォーマンスする、根っからの「歌番組」でした。

 そのころ『Mステ』はまだなくて、TBSの『ザ・ベストテン』と日テレの『トップテン』と、そして『夜ヒット』ががんばっていた時代で、どの番組にも専属のハウスバンドがいて、マネジャーさんが持ってくる譜面がくばられて、スタジオでは五木ひろしさんから小泉今日子さんまで、みんなが同じバンドの生演奏でうたいました。しかも3番組とも生放送。

 けれどその後、歌番組の視聴率が低迷してそれぞれの番組が終焉を迎え、フジテレビでも90年『夜ヒット』が終了、後継の歌番組として、金曜23時からの45分『ヒットパレード90's』がみのもんたさんの司会ではじまりました。この番組は当初VTR収録で半年後生放送に変わったのですが、このころまではやっぱりふつうに生演奏でやっていました。それが1年で終了。次の歌番組はおんなじ時間で『G-STAGE』を半年、水曜21時に移行して1時間番組の『サウンドアリーナ』を半年。この辺りから徐々にカラオケもあり・になってきて、92年秋『MJ』のころにはもう半分以上がカラオケということになってしまいました。

 それも1年半で終わって、半年間フジテレビに本線の歌番組がない時代があって、そしてはじまったのが『HEY!HEY!HEY!』、俗に言われた「歌番組冬の時代」です。『ミュージックステーション』と『カウントダウンTV』だけががんばっていたそのころ、94年秋の音楽番組事情は、もう完全にカラオケ・場合によってはクチパク、が主流となっていました。

 生演奏よりも、時間をかけてレコーディングして納得いくまでミックスダウンした「カラオケ」のほうがクオリティが高い、という理屈はわかります。でもだったらばヴォーカルまでとことんつくりこんだ「クチパク」のほうがもっとクオリティが高いわけで、映像だって時間もお金もふんだんにかけた「プロモーションビデオ」のほうがクオリティが高い。それを流す番組があっても全然いいんですが、だけど生放送だったら、あるいはお客さんがはいっていたらば、もうそれはライブであるべきだと、ずっとそう考えているのです。

 それではじまった『LOVE LOVEあいしてる』生演奏への情熱とある種のトラウマ(?)で突っ走ってきました。『アヤパン』『拓郎・マチャミの夜のヒットパレード』もちろん『ayu ready?』去年もたくさん生演奏への新しいトライをしてきました。

 そんななかわたしたちの去年のベストライブは、6月8日『FACTORY』松浦亜弥さんライブドキュメント用の「LOVE涙色」、素になった3小節の緊迫感と達成感はサイコーでした。そして7月6日27時間テレビ『SATURDAY NIGHT LIVE×LIVE』での島谷ひとみさん「亜麻色の髪の乙女」、12月23日『HEY!HEY!HEY!』浜崎あゆみさんとCHEMISTRYとの「白い恋人達」。3曲ともフジ音楽班が誇る(?)天才(?)I谷ディレクターの映像作品です。

 再びやってきた音楽番組逆風の時代にひるむことなく、今年も生でがんばります。どうか視聴率で応援してやってください。

フジテレビ きくち

※註
本稿のベストというのはもちろん、スタジオでのわたしたち的なプロダクションナンバーという意味合いで、『FACTORY』での数々の名演、『堂本兄弟』『FNS歌謡祭』、幾多のライブイヴェントなど、まだまだ大多数の、生演奏でのベストライブがありました。
4月19日『FACTORY』openning act シリーズの初回;安倍なつみさんの「チェインギャング」、あと『フォークジャンボリー』辻カオリさんの「コーヒーブルース」、『ayu ready?』の「古い日記」もよかった!



モドル




(C) OTOGUMI ALL RIGHTS RESERVED.