KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#46(02/02/27)



我らが愛しのボス;M口さんに捧ぐ

 『HEY!HEY!HEY!』も足かけ8年、数えたらわたしの制作人生ももう17年目が終わろうとしています。

 わたしが入社して最初の上司は『夜ヒット』の大プロデューサーだったH田さんと、今もわたしの上司であるI上チーフディレクター(当時)でした。それこそ右も左もわからずに全力で走り回るだけの新入社員のわたしを、厳しく叱りやさしく諭し、そしてまた厳しく指導してくださいました。最初がそんな『夜ヒット』だったから、今もわたしはこの仕事を続けていられるんだと、ほんとうに感謝しています。ツラかったですけど(笑)。

 その『夜ヒット』で次にお世話になったのがW邉プロデューサー。3年目4年目、ちょうどチーフADの年頃、テレビの制作マンとしての思春期をW邉さんの下ですごしました。まだ携帯電話がふつうじゃなかったそのころポケベル持たされて。徹夜明けの朝8時から新宿に飲みに出かけたり、無茶なところも全部W邉さんから教わりました。日本酒もワインも教わりました(笑)。

 『夜ヒット』をはなれて、有名なI田さんとたぶん今でもある意味この世界でいちばん怖い(笑)K井さんの下でディレクターになりました。そして『MJ』でアシスタントプロデューサーに、今につながる具体的な道はK井さんが示してくれた、とふり返って思います。めげずにがんばれるよう、あれからずいぶん強くなりました(笑)。

 1年半の『MJ』が終わって、フジテレビのゴールデン・プライムタイムから音楽番組がなくなった半年間は、Oさんの下でクイズ番組のディレクターをやりました。

 そして。それも終了が決まった94年の夏過ぎ、神宮球場に阪神を応援に出かけてたらば、M口さんがわたしを見つけてやって来て「きくち、10月からいっしょに歌番組やるから」もうこのひとこと、運命の神様をM口さんに感じました。APとして、ADのようにも秘書のようにも、『HEY!』とM口さんのために懸命にがんばりました。全員一丸健闘のかいあって、ミスチルを擁した6回目には20%を突破、続く数多の音楽番組のきっかけとなることができました。

 それからもう7年半。はじめからのスタッフも上から4人を残すだけとなり、そして2月の人事異動で、我らが愛しのボス;M口リーダーが編成部の部長に昇進、『HEY!』は番組開始以来ある意味最大の転換期を迎えました。

 M口さん!おつかれさまでした!ありがとうございました!今週からの『HEY!』をずっとM口さんに捧げて、わたしたちがんばって闘い続けます。M口さんも、もっと高いところまで、ずっと闘い続けてください!


フジテレビ きくち





モドル




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