KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#44(02/01/30)



TV番組の 始まりかた と 終わりかた

 他紙でのうちのボス;M口リーダーのコラムのような、TVの裏側ねたをちょっと書いてみようかと思います。きっかけは、『FACTORY』。

 今ちょうどこの時期、TVの世界では、4月からの番組のことをああだこうだやっています。けっこうぎりぎりです。3か月を1クールと呼ぶんですが、ドラマ以外の番組はふつう6か月2クールの単位で、始まってそして終わってゆきます。年度のはじまりの4月と、6か月後の10月がいわゆる改編期で、その2〜3か月前の今ごろが、番組が終わるとかはじまるとかの最後のせめぎ合いの真っ最中です。

 そういったところにちゃんと関わるようになったのはプロデューサーになってからですから、レギュラーでは95年4月『TK MUSIC CLAMP』が最初でした。1月スポンサーさんから深夜で音楽の番組をと話があって、最初書いた企画書が「佐野元春のサウンドストリート」音楽の話をしない音楽番組として『HEY!HEY!HEY!』がうまくいったころだったので、音楽の話しかしない音楽番組を作ろう、ってNHK FMの名番組をイメージして。あるいは「大滝詠一のゴー!ゴー!ナイアガラ」または「吉田拓郎のオールナイトニッポン」(笑)佐野さんご本人とはじっくり話したうえで断念、拓郎さんは関係者と話すことすら届かなくて、結局なかよくさせていただいていた小室さんと話し合って、みんなが納得の結果オーライ、2月初旬放送枠もキマって、4月スタートしました。

 MCを変え3年続いた番組が終わることになったのが98年。深夜枠のバランスとか長く続くことのデメリットだとか様々な理由から終了がキマりました。それで番組内のコーナー「FACTORY」を拡大して後続の番組として企画、そのまま4月から4年、かたちを変えながらもがんばってきました。

 96年「LOVE LOVEあいしてる」の始まりかたは去年ここで書きましたが、終わりかたは・・・4年半のあいだには何度か枠移動のお話とかあったりもしながら、でも結局は、何が悪いわけでなくちょうどあの時期がちょうどそういうタイミングだったんだろう、と今は思います。

 2002年『FACTORY』が今また深夜番組のリストラクションの嵐にもまれていて、けれどこれをチャンスと、毎週放送のレギュラー番組に戻すべく懸命に闘っています。それでも終わるときは終わるのだろうし、それはわかりませんが、志を持って最後までがんばります。去年の今ごろのように。

 4月からにご期待ください。


フジテレビ きくち





モドル




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