- きくち
- KUBOJAHとの出逢いは86年。明大前のレコード屋さんで『SHAKE IT PARADISE』と運命的に出くわして。なんだかわかんないけど買わなきゃいけないって。
- 久保田
- その前、全然インフォメーションなかったんですか?
- きくち
- 全くない。発売日に、ジャケ買い。
- 久保田
- おおー!
- きくち
- お家に帰って聴いたらば、1曲目が「流星のサドル」でしょ。ぶっとんで!なんじゃこりゃぁ!!って。あとから知ったんだけど、KUBOJAHって、鼻唄で作曲するんでしょ?
- 久保田
- 「流星のサドル」はそうですね。ただ、振り返るとそういう曲のほうが、自分の癖は強いんですよ。あと、まとまりもある。楽器でサポートするといろんなとこに行けちゃうから、逆に曲をまとまるのに頭を使いますね。
- きくち
- 鼻唄の強み(笑)。天才だょね。次の日すぐ上司に聴いてもらって、そのときは大人の事情でダメで(笑)。次の年、プロデューサーが変わって、大急ぎでもう一度トライしたの(笑)。
- 久保田
- そしたらその人が僕をほめてくれたんですよね。いや、当時は疑問でしたね。どうしてこんなおじさんが僕の音楽を聞いてくれるのかと(笑)。
- きくち
- いい若いコがいたの(笑)。
- 一同
- (笑)。
- きくち
- 大事でしょ、そういぅの。今、若い女子スタッフたちに、すっごくいろんなこと教えてもらってるし。
- 久保田
- あ、音楽も同じですね。僕もリズム隊とかに、音の作り方は不器用だけど、でも面白いことやるヤツを入れるんですよ。そうするとその人から、なんか気づかされたりするんです。
- きくち
- 刺激を受けるのは大事だよね。KUBOJAHからもすごい刺激を受けたもん。“KUBOJAH (クボジャー)”と呼ぶのも、リスペクトみたいな、そういう気持ちから。だって「JAH」だもの(笑)。
- 久保田
- 貴重ですよ、今では(笑)。
- きくち
- アルバム『KUBOJAH』はかっこよかったし、「Thang!」とか、それこそ「Bro!」だとか、言葉撰びはいっぱい教えられた気がする。名前の英語表記を「SINN」って重ねるのも KUBOJAHの影響だからね。
- 久保田
- ああ、好きですね、僕。英語の発音からすると、もっと違う表記があるはずとか、並んだほうが字面がいいとかね、考えちゃうわけですよ。名前とかタイトルって、もっと自由でいいんじゃないかなと思うんですよね。
- きくち
- KUBOJAHのアルバムとかツアータイトルとかそうだよね(笑)。けっこう影響受けちゃったかも。
- 久保田
- そうですかあ。いや、調子に乗っちゃいますよ、僕。
- きくち
- (笑)。入社10年出逢って8年、自分で番組を立ち上げるとこまで届いたら、そのときはKUBOJAH、日本にいないんだもんなあ。
- 久保田
- 最初は本当、行きっぱなしみたいな感じでしたからね。でもニューヨークに行くことで、やっぱりフレッシュな刺激があるんですね。さっきの話にあった、若い人と触れ合うのと一緒で。その分、大変なことも多かったけど、今はずいぶん要領もよくなって、日本にいることも増えてきましたし。
- きくち
- ま『MUSIC CLAMP』で中居くんとは話してもらったけど、ここからきちんと第一歩だね(笑)。次はね、久保田利伸として『僕らの音楽』やろう。それこそ1曲、「流星のサドル」があればいいから(笑)。
- 久保田
- コンサートでもしばらくうたってないんですけどねぇ(笑)。…そうそう、「流星のサドル」の最初のアレンジャーって、誰だか知ってます?実は武部(聡志)さんなんですよ。
- きくち
- あ、武部さんなんだ!? なんかすごい武部さんぽくない感じ。
- 久保田
- ぽくないんですよ。もしかしたら武部さんの中で一番ファンキーソングかもしんない(笑)。
- きくち
- だね(笑)。
「SPECIAL THANKS!」
ニッポンただひとりのJAHへ
KUBOJAHと藤井フミヤさんとジローラモが同い年。このあと『堂本兄弟』にも来てくれましたけど、屋敷豪太さんと浦島りんちゃんも同い年。それぞれ個性的に年を重ねてますね。「KUBOJAH」って呼ぶのは、今や世界中でもう わたしひとりだけだって。でも、数年ぶりに逢ってもいきなりふつうにしゃべれるかんじがいい。『堂本』もたのしかったみたいでよかったです。刺激的でしょ?あのバンド。
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