レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#158(06/07/19)インタビュー
×久保田利伸さん
2006年6月25日 夜
『僕らの音楽』収録のあと
お台場 フジテレビ 楽屋でインタビュー

きくち
KUBOJAHとの出逢いは86年。明大前のレコード屋さんで『SHAKE IT PARADISE』と運命的に出くわして。なんだかわかんないけど買わなきゃいけないって。
久保田
その前、全然インフォメーションなかったんですか?
きくち
全くない。発売日に、ジャケ買い。
久保田
おおー!
きくち
お家に帰って聴いたらば、1曲目が「流星のサドル」でしょ。ぶっとんで!なんじゃこりゃぁ!!って。あとから知ったんだけど、KUBOJAHって、鼻唄で作曲するんでしょ?
久保田
「流星のサドル」はそうですね。ただ、振り返るとそういう曲のほうが、自分の癖は強いんですよ。あと、まとまりもある。楽器でサポートするといろんなとこに行けちゃうから、逆に曲をまとまるのに頭を使いますね。
きくち
鼻唄の強み(笑)。天才だょね。次の日すぐ上司に聴いてもらって、そのときは大人の事情でダメで(笑)。次の年、プロデューサーが変わって、大急ぎでもう一度トライしたの(笑)。
久保田
そしたらその人が僕をほめてくれたんですよね。いや、当時は疑問でしたね。どうしてこんなおじさんが僕の音楽を聞いてくれるのかと(笑)。
きくち
いい若いコがいたの(笑)。
一同
(笑)。
きくち
大事でしょ、そういぅの。今、若い女子スタッフたちに、すっごくいろんなこと教えてもらってるし。
久保田
あ、音楽も同じですね。僕もリズム隊とかに、音の作り方は不器用だけど、でも面白いことやるヤツを入れるんですよ。そうするとその人から、なんか気づかされたりするんです。
きくち
刺激を受けるのは大事だよね。KUBOJAHからもすごい刺激を受けたもん。“KUBOJAH (クボジャー)”と呼ぶのも、リスペクトみたいな、そういう気持ちから。だって「JAH」だもの(笑)。
久保田
貴重ですよ、今では(笑)。
きくち
アルバム『KUBOJAH』はかっこよかったし、「Thang!」とか、それこそ「Bro!」だとか、言葉撰びはいっぱい教えられた気がする。名前の英語表記を「SINN」って重ねるのも KUBOJAHの影響だからね。
久保田
ああ、好きですね、僕。英語の発音からすると、もっと違う表記があるはずとか、並んだほうが字面がいいとかね、考えちゃうわけですよ。名前とかタイトルって、もっと自由でいいんじゃないかなと思うんですよね。
きくち
KUBOJAHのアルバムとかツアータイトルとかそうだよね(笑)。けっこう影響受けちゃったかも。
久保田
そうですかあ。いや、調子に乗っちゃいますよ、僕。
きくち
(笑)。入社10年出逢って8年、自分で番組を立ち上げるとこまで届いたら、そのときはKUBOJAH、日本にいないんだもんなあ。
久保田
最初は本当、行きっぱなしみたいな感じでしたからね。でもニューヨークに行くことで、やっぱりフレッシュな刺激があるんですね。さっきの話にあった、若い人と触れ合うのと一緒で。その分、大変なことも多かったけど、今はずいぶん要領もよくなって、日本にいることも増えてきましたし。
きくち
ま『MUSIC CLAMP』で中居くんとは話してもらったけど、ここからきちんと第一歩だね(笑)。次はね、久保田利伸として『僕らの音楽』やろう。それこそ1曲、「流星のサドル」があればいいから(笑)。
久保田
コンサートでもしばらくうたってないんですけどねぇ(笑)。…そうそう、「流星のサドル」の最初のアレンジャーって、誰だか知ってます?実は武部(聡志)さんなんですよ。
きくち
あ、武部さんなんだ!? なんかすごい武部さんぽくない感じ。
久保田
ぽくないんですよ。もしかしたら武部さんの中で一番ファンキーソングかもしんない(笑)。
きくち
だね(笑)。

「SPECIAL THANKS!」
ニッポンただひとりのJAHへ


KUBOJAHと藤井フミヤさんとジローラモが同い年。このあと『堂本兄弟』にも来てくれましたけど、屋敷豪太さんと浦島りんちゃんも同い年。それぞれ個性的に年を重ねてますね。「KUBOJAH」って呼ぶのは、今や世界中でもう わたしひとりだけだって。でも、数年ぶりに逢ってもいきなりふつうにしゃべれるかんじがいい。『堂本』もたのしかったみたいでよかったです。刺激的でしょ?あのバンド。

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