KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#15(00/12/20)



年末の嵐を超えて21世紀(のお仕事)へ!

 あけましておめでとうございます。わたしの2000年は世紀末らしくいろんなことになってました。この連載をいただいたのもそのとおり、何がどうなるかわからないものだと感嘆しつつ、2週間に一度、千文字強のパブリックスペースをいただける幸せ。許される限り味わいたいと思います。21世紀もどうかごひいきに!

 とか、新年号らしく書きましたが、みなさんに届くのも師走の半ば、原稿を打っている今はなんと生LOVEの2日前でございます。ここからがたいへんなテレビのお仕事、毎年かなりとっちらかっています。嫌いじゃないんですけど(笑)

 入社1年生2年生のころ、大晦日は「世界紅白歌合戦」という番組のADをやっていました。今のFNSとおなじ「飛天」でかくも盛大にとりおこなわれたこの番組、特に2年 目は5時間にも及ぶ壮大なる歌謡ショウで、何がスゴかったかというと、今日まで16年間でいちばん台本が厚かった!(笑)進行表だけ別冊にしたものがもうふつうの台本とおんなじ厚さで、終わったぶんだけ破り捨てながら、あと何時間あと何十分、ってふらふらがんばっていました。まあ去年の24時間テレビで、人間まる2日間くらいはほんとうに寝なくても仕事になるんだって経験しましたが(笑)。31日の朝9時に東京ドームでフィナーレのリハをやってから元旦の夜9時まで本番で、そのあと拓郎さんと打上げてたから(笑)。

 その次2年は平穏無事に年を越したのでしたが、89年は「乙女塾」という女の子たちの写真集とかの撮影で、ハワイへ。楽そうに見えてもちろんたいへんだったのですが、ロケも途中でぎっくり腰をやりまして、それはそれでまたたいへんな正月になりました。そのころ苦楽をともにしたH野さんという若いカメラマン、今は立派になられて、所さんとかあみちゃんの現場でお逢いするんですが、目があうたびにそのころのことがにじんできます(笑)。

 それから5年ぐらい記憶がないんですが(笑)HEYがはじまった94年の大晦日は、小室さんをベルファーレで張っていました。その日休暇に旅立つ浜田さんに「H Jungle」の歌詞を渡すために。結局あがらなかったんですが、正月休みで函館にいた1月2日の深夜3時、小室さんから携帯が鳴って、「できたから今から聴きに来ない?」さすがにその日には無理だったので、翌日とんぼ返りしてそのままスタジオへ。はじめて聴く「WOW WAR TONIGHT」は、でもスゴイ感動がありました。

 一昨年からはJ-FRIENDS。大晦日まで大きな仕事ができるのはテレビマンとしてしあわせなことかもしれません。いつのまにかもうそう思っています。今年も東京ドームできっとがんばっているはずです。


フジテレビ きくち



モドル




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