レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#121(05/02/16)インタビュー
×松田聖子さん
2005年1月30日 夕方
『HEY!HEY!HEY!』収録のあと
砧 東京メディアシティ 楽屋でインタビュー

きくち
おつきあいもかなり長いですけど、こうやってあらたまると、ちょっと緊張しますね(笑)。
聖子
私もちょっと緊張してます(笑)。
きくち
わたしの中で「松田聖子」ってボーカリストとの出逢いはすごく大きいの。声が魅力的で強くて、歌が上手でしかもかわいらしい。わたしにとっての「GIRL POP」の原点ですね。
聖子
ありがとうございます。
きくち
もうホント、すばらしい。…これで終わっちゃダメよね(笑)。
聖子
(笑)。
きくち
前に松本隆さんと聖子さんのお話をしたんですよ。そのときも話したんですけど、聖子さんが画期的だったのは、いろんなアーティストが次々と聖子さんの楽曲を手掛けたこと。それこそ大瀧詠一さんに細野晴臣さん、佐野元春さん、財津和夫さん、もちろん松任谷由実さん…。
聖子
そうなんですよね。あらためて思うんですが、本当にすごいなと。あれは私の宝、大きな財産ですよね。
きくち
毎回挑戦だったでしょ?みんなすごいクセがあるし…たとえば大瀧さんの曲なんかは、
聖子
大瀧さんにアルバムをプロデュースしていただいたんですが(『風立ちぬ』)、本当に厳しかった。今となってはすごい勉強になったと思いますけど、当時の私にとってはものすごいチャレンジでしたね。
きくち
細野さんも難しい曲(笑)。
聖子
そうそう(笑)。でも細野さんってデモテープに、ご自分でうたってくださるんですよ。
きくち
え、そうなんですか?
聖子
そう、あのかわいーい歌詞を、細野さんがうたってくださって(笑)。それは本当に貴重なテープですよね?
きくち
貴重です!ありえない。けど、どんなクセの強い曲でも「松田聖子」の歌にしてしまうのが、またすごい。
聖子
そんなふうに考えたことはなかったです(笑)。ありがとうございます。
きくち
今回は鳥山(雄司)さんの曲なんですね。いっしょにやってらっしゃるのは知ってましたけど、シングルははじめて?
聖子
はじめてですね。今まではずっとアレンジだけだったんですけど。
きくち
聖子さんが詞を書いてますけど、これは曲先だったんですか?
聖子
いえ、鳥山さんが弾くピアノの横に私が座って、
「こんなメロディどうかな?」っていうやりとりをして。
きくち
いっしょに作り上げた感じですね。
聖子
ですね。1曲1曲丁寧に組み上げて、編曲して。で、一番最後に詞を私が書きました。25周年ということで今までとは違うバラードに…またひとつ、新しいことにトライした感じです。
きくち
そうね、25周年ですね。デビューしたころ、わたしは『夜のヒットスタジオ』の視聴者でした(笑)。
聖子
そうですよね(笑)。今思うと、あの番組はすごかった。キチンとしていて、現場はピンと張りつめた雰囲気があって。出ることがステイタスみたいな感じだったじゃないですか。
きくち
今はバラエティな音楽番組ばかりでごめんなさい(笑)。でも聖子さんと(中森)明菜さんのボウリング対決(2005年2月14日放送)は、芸能界の歴史に残る大事件でした。実現できてうれしいです。ありがとうございました。
聖子
いえいえ、こちらこそ。
きくち
ここでこの話をするのはズルいんですが、わたしはマジメな音楽番組…『僕らの音楽』てゆのもやってまして(笑)。
聖子
あっ、知ってます。いい音楽番組だって、みなさん言ってますね。
きくち
25周年の記念に是非お願いしたいです。曲サイズがどうこう、とか、全然言いませんから(笑)。
聖子
(笑)。
きくち
デビューはいつでしたっけ?
聖子
なんと、4月1日なんです(笑)。
きくち
うゎあぃ!放送日だ!!じゃあ4月1日、金曜日に枠移動した第1回!是非お願いします。本人を前にこんな卑怯な交渉もないですが(笑)。
聖子
いえいえ(笑)。ぜひぜひ、前向きに検討させていただきます(笑)。

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