KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#11(00/10/25)



和田さんとのあんなこと!そんなこと!

 わたしの数少ないいわゆる業界の中のおともだちに、W田さんという男がいます。おんなじような時代におんなじようなところをがんばってきたので、親しみをこめてわたしは戦友と呼ばせてもらっていますが(笑)。

 はじめて逢ったとき彼は森高千里さんの後付け?マネジャーでした。どうやってなかよくなったのか憶えてはいないのですが、気がついたとき彼はもうわたしたちの飲み仲間でした。おんなじくらいの世代のマネジャーさんやプロモーターさんそれからわたしたちと、そのころはいっぱいいっぱい仲間でもりあがってて、けどそのあとずっとお仕事もしてそのうえでと もだちなのはW田さんと、篠原のマネジャーになったSさんぐらい。なんかどっか合ったんだと思います。

 そんな彼がもう8年も前、新人をまかされたといって持ってきたのがシャ乱Q。GAOの次の「BSヤングバトル」のグランプリでした。「お嬢様」と「18ヶ月」2曲が入ったテープを聴かせてもらって、どっちがデビュー曲のA面か、意見を求められました。メンバーの作詞作曲のほうがいい、拙いけどもメロディーにクセがあって強い、とか言って「18ヶ月」のほうを推しました。

 それからずっといろいろといっしょにやりました。「MJ」の電光板でも毎週のようにヒマねた流したり。なかなか売れなかったけど、W田さんの意外に地道でもっと意外に緻密なプロモーション活動もあって、6枚目の「シングルベッド」でついにブレイク!次はどうしようかっていう矢先にW田さんがバイクで大事故!病院のベッドから本人の電話で聞いて、各所に連絡して。次の日わたしは「H Jungle」のPV収録の日で、それが終わってから、病院にかけつけました。シャ乱Qはじめての大ホール、W田さんのいない渋谷公会堂もそのころ。つんくのMCに泣けました。生きててよかったね(笑)

 病院を抜け出して最初の仕事?がわたしの結婚披露宴の司会。松葉杖ついてかなりムリヤリだったけど、ハコバンやってくれたシャ乱Qと、3次会までがんばってくれました。

 3年たってひさしぶりに新人の、それも女の子のテープを持ってきたのがモーニング娘。で、そのあとはテレビやラジオでご存じのとおり。

 自分で言うのもアレなんですが、おたがいにがんばってるから、ちゃんと戦ってるから、ずっと言いたいことも言いあえて、ずっとスクエアに、いつまでも戦友でいられるんだと思っています。

 そんなW田さんの今度は自分でつくった新人ユニット「EE JUMP」ふたりともいいコです。ソニンは上手だし、東京の10代がもう持ってないものをまだ持っています。またスゴいのかな。

 W田さんのまたその次の新人のときにまだ戦友でいられるように、わたしもまだまだ戦い続けなきゃって思っています。何年後?来年かな(笑)


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